****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

息よ。四方から吹いて来い。

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115. 息よ。四方から吹いて来い。

【聖書箇所】 エゼキエル書37章9節後半

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【読み】
メーアルバ ルーホーットゥ ボーイー ハールーアッハ ウーウェヒー バハルーギーム ハーエッラ ヴェイブユー

【文法】
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【翻訳】

【新改訳改訂3】
息よ。四方から吹いて来い。この殺された者たちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ。
【口語訳】
息よ、四方から吹いて来て、この殺された者たちの上に吹き、彼らを生かせ。
【新共同訳】
霊よ、四方から吹き来れ。霊よ、これらの殺されたものの上に吹きつけよ。そうすれば彼らは生き返る。
【岩波訳】
四方から、霊よ、来たれ。これら殺害された者たちの中に吹け。彼らが生き〔返〕るように。
【NKJV】【NIV】
Come from the four winds, O breath, and breathe on these slain, that they may live.

【瞑想】

「神である【主】は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。」(創世記2:7)とあるように、「人の創造」には二つの段階があります。

創造の第一の段階は「土地のちりで人を形作る」ということです。第二の段階は、主が「その鼻にいのちの息を吹き込まれた」ことです。そこで人は生きものとなったのです。この創造の原則はエゼキエル書37章においても同じです。エゼキエル書の再創造の第一段階は、「骨と骨とが互いにつながり、その上に筋がつき、肉が生じ、皮膚がその上をすっかりおおった」ことでした(7~8節)。しかしその中に息はなかったのです。そのために、第二の段階としてエゼキエルが息に向かって命じます。「息よ。四方から吹いて来い。この殺された者たちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ。」(9節)と。すると、息が彼らの中に入り、彼らは生き返り、自分の足で立ち上った」のです(10節)。

9節にある「息」は冠詞付の「ルーアッハ」です。旧約聖書の「ルーアッハ」の使用頻度は389件ですが、そのうちエゼキエル書はイザヤ書についで多く52回です。そのうちで冠詞付は6回のみです。つまり珍しいということです。冠詞付きの「ルーアッハ」は、やがてこの世に来られる聖霊なる神を暗示していると言えます。
「その息」が「吹きつけられる」ことによって、枯れた骨が「生き返る」のです。新改訳では「この殺された者たちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ。」となっており、あたかも命令形の動詞が二つあるように訳されていますが、原文は命令形のひとつで「吹きつけよ」のみです。そうするならば、彼らは「生き返る」(未完了)となっています。新共同訳、岩波訳は原文どおりに訳しています。「吹きつける」という動詞は「ナーファハ」(נָפַח)で、創世記2章7節にある「・その鼻にいのちの息を吹き込まれた(נָפַח)。そこで人は生きものとなった」の「吹き込まれた」と同じ語彙が使われています。つまり、創造の原則が再びなされようとしているのです。

ここで直接的に語られている「枯れた骨」とは、「私」のことではなく、「イスラエルの全家」のことを意味しています。「イスラエルの全家」とは、すでにアッシリヤによって離散した北イスラエルの10部族と南ユダ部族のことです。「非常に多くの集団」なのです。これらに息が吹きかけると、息が彼らの中に入って、彼らは生き返り、自分の足で立ち上ったのです。それだけでなく、神は彼らを彼らの地に住みつかせると約束しています(14節)。21節にはこう記されています。

「彼らに言え。神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは、イスラエル人を、その行っていた諸国の民の間から連れ出し、彼らを四方から集め、彼らの地に連れて行く。」

37章は、個人的な魂の覚醒や、教会のリバイバルを語っている箇所ではありません。にもかかわらず、これまでそのように語られ教えられてきたのは、キリスト教の歴史における「置換神学」と「個人的救いの強調」の弊害のゆえです。神の預言はみことばどおりに実現します。イスラエルの地に全イスラエルが回復するのです。すでにそれがはじまっています。この預言の実現に向けてこれからの世界は動いていくのです。神はこのことを「二つの杖が一本の杖につなぐ」という預言者の象徴的行為によって表わすよう命じました。一つの杖は、「ユダと、それにつくイスラエル人のために」、もう一本の杖は「エフライムの杖、ヨセフと、それにつくイスラエルの全家のために」で、その両方をつないで、エゼキエルの手の中でこれらを一本の杖とするという行為です。

ちなみに、ここで「つなぐ」と訳された原語は、本来、「近づく、進み出る」を意味する「カーラヴ」(קָרַב)ですが、この箇所のみピエル態で使われて「互いを近づけて」「つなぐ」(joint together)と意味になっています。LXX(70人)訳は「縛る、結びつける」という意味の「デオー」(δέω)ということばを当てています。

34章、36章でも語られたメシア預言が、37章において再度語られています。
「24 わたしのしもべダビデが彼らの王となり、彼ら全体のただひとりの牧者となる。彼らはわたしの定めに従って歩み、わたしのおきてを守り行う。25 彼らは、わたしがわたしのしもべヤコブに与えた国、あなたがたの先祖が住んだ国に住むようになる。そこには彼らとその子らとその子孫たちとがとこしえに住み、わたしのしもべダビデが永遠に彼らの君主となる。」
ここでもはっきりと、「牧者」(羊飼い)が「王」の比喩であることが確認できます。

それはすでに回復の風は吹き始めていると言えます。そのしるしの一つは1948年にイスラエルが建国した事実です。1700~1800年の間、世界中に散らされていたユダヤ人が、今やイスラエルに帰還しつつあります。しかし、枯れた骨である「イスラエルの全家」が完全に生き返るのはキリストの再臨の時だと言えます。

9節に「霊よ。四方(אַרְבַּע)から吹き来たれ(בּוֹא)。これらの殺された者たちに吹きつけよ(נָפַח)。そうすれば彼らは生き返る(הָיָה)」(新共同訳)
「四方」(アルバアאַרְבַּע)とは、新改訳聖書のチェーン式バイブルの脚注には「神の霊が強力に働くことを象徴する表現だ」と説明していますが、その時がいつかについては説明がありません。しかし、マルコの福音書13章26~27節にこう記されています。

【新改訳改訂第3版
26 そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。27 そのとき、人の子は、御使いたちを送り、地の果てから天の果てまで、四方からその選びの民を集めます。


2013.7.3


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