****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

恩寵用語Ps49

Ⅱ/A(42~72篇) | テキストPs49 | 原典テキストPs49 | 瞑想Ps49/A | 瞑想Ps49/B | 礼拝用語Ps49 | Ps49の「かかわりの構造」 |

詩49篇「買い戻す」 פָּדָה パーダー

〔カテゴリー救出〕

15節「しかし神は、私のいのちをよみの手から買い戻される。
神が受け入れてくださるからだ。」(新改訳)
15節「まことにヤハウェはわが魂を贖い、陰府の手からわたしを救われる。」(関根訳)

Keyword; 「買い戻す、贖う」 redeem, deliver, rescue, buy back,
25:22/26:11/31:5/34:22/44:26/49:7, 7, 15/55:18/69:18/71:23/78:42/119:134/130:8

  • 詩49篇には「買い戻す、贖う」と訳されるパーダー(פָּדָה)という動詞が3回(7節に2回、15節に1回)使われています。旧約では60回、詩篇では14回使われています。ちなみに、類義語として「ガーアル」があります。「パーダー」が買い戻しのために値を支払うという意味合いが強いのに対して、「ガーアル」(גָּאַל)は物や人が本来の所有者に帰ることを意味します。
  • 詩49篇の作者は4節で「私のなぞを解き明かそう」と述べています。「詩篇にはもうひとつ「昔からのなぞを物語ろう」(78:2)というのがあります。この「昔からのなぞ」とは、なんども繰り返して罪を犯す神の民に対して、見切りをつけることなく、神は彼らを赦し、滅ぼすことをされなかったという「なぞ」です。しかし、前者(49:4)の「なぞ」は、自分のたましいの身代金を払うことのできないゆえに、よみに定められている人間を神は身代金を払ってそこから買い戻されるという「なぞ」です。
  • 人間の普遍的な問題である「死」―この詩篇では「死」を「よみ(陰府)の手」としていますー、どんな人にも百パーセント確実に訪れる死の問題に対して人間は全く無力なのです。医学の進歩は死を一時的に延期できます。しかし、死そのものを解決することができません。しかし神は、私のいのちをよみの手から買い戻すことのできる方です。「よみ」(「シェオール」שְׁאוֹל)とは、神との交わりが絶たれた場所です。
  • イエスはこんな話をされました。「人はたとい全世界を手に入れたとしても、まことのいのちを損じたなら、何の益がありましょう。そのいのちを買い戻すためには、人々はいったい何を差し出せばよいでしょう。」(マタイ16:26) いのちはあまりにも高価であるゆえに、それを損じたなら永久に取り戻すことをあきらめるしかありません。しかし神ならば、いのち(「たましい」ー「ネフェシュ」נֶפֶשׁ)を買い戻すことができます。これは神にしかできないことです。神はイエス・キリストの十字架と復活の出来事によってそれを実現してくださいました。その意味で、詩49篇は預言的な詩篇といえます。
  • 「一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9:27)人間を、よみの支配から買い戻す(贖う)その動機は、詩49篇15にあるように「神が受け入れてくださった(「ラーカー」לָקָח)」からです。死に対する神の備えを得ることが本当の悟りです。その「悟りがなければ」、人はどんな栄華の中にあっても、滅びうせる獣に等しいのです。そのような者に対してイエスは「愚か者」と一喝されました(ルカ12:16~21)。

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional