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恩寵用語Ps13

詩13篇「豊かにあしらう」 גָמַל ガーマル

〔カテゴリー愛顧〕  

6節「・・私は主に歌を歌います。主が私を豊かにあしらわれたゆえ。」(新改訳)
6節「・・あなたがわたしに報いてくださいますように。」(新共同訳)

Keyword; 「豊かにあしらう」  have been good, goodness, weaned, 116:7/119:17/142:7

  • この詩篇は、神の不在と沈黙の中で神を求めている部分(1~4節)と信仰の確信の部分(5~6節)の二つの部分に分かれています。5節の頭には、へブル語の接続詞である「ヴェ」(וְ)があり、「そして」「~と」(and)、「しかし」(but)、「それゆえ」(therefore)、「また」(also)という意味があり、前後のコンテキストによってどれがふさわしいかを理解します。詩13篇5節以降はその前の部分とは全く内容が異なっているので、「しかし、私は・・」と訳すと、より理解がしやすくなりますが、実際にそのように訳しているのは、口語訳、関根訳、岩波訳だけです。
  • 5節の「恵みに拠り頼みます」「救いを喜びます」「歌を歌います」という礼拝用語は、最後の行にある「主が私を豊かにあしらわれたゆえ」という恩寵用語にささえられています。つまり、「主が私を豊かにあしらわれたゆえ」に、主に「拠り頼み」「喜び」「歌う」ことができるわけです。この論理を「恩寵先行、信仰後続の論理」と言います。主の恩寵だけが「私の目を輝かせる」ことができるというわけです。つまり、私全体(考えも行いもすべて)を輝かすことのできる秘訣は主の恵みです。ですから、私たちは日ごとに主の恵みを深く味わっていく必要があります。
  • ところで、「主が豊かに私をあしらう」の「あしらう」と訳されたヘブル動詞は、「ガーマル」גָּמַל(gamal)で「良くしてくださる」という意味です。他にも、乳離れさせる、熟する、成熟させる、仕返しする、報いる、という意味があります。TEVでは、because you have been good to me (主が私に良くし続けて下さったから)」と訳され、LB訳では「身にあまる祝福をいただいき」と訳しています。
  • 「ガーマル」גָּמַל(gamal)は旧約で37回、詩篇では10回使われていますが、「豊かにあしらう」「良くしてくださった」という意味で使われているのは116篇7節、119篇17節、143篇7節の3箇所だけです。しかもこの語彙は詩篇のみに見られるものです。また「乳離れする」(wean)という意味で使われているのも、詩篇では131篇2節のみです。使用頻度が少なくとも、重みのある語彙です。
  • この詩13篇5, 6節に見られる賛美は、ダビデがまだ悲しみのトンネルの中にいたときに告白したものであると考えられます。ダビデは自分の嘆きの中で、自分の人生を振り返りながら、自分が主によってどんなに良くしてもらってきたか、その主の恵みに思いを巡らしたのです。その思い巡らしの中で、主の恵みに対する気づきこそが嘆きを賛美に変えていく力であると信じます。

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