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恩寵用語Ps109

詩109篇 「祝福する」 בָּרַךְバーラフ

〔カテゴリー愛顧〕

28節「彼らはのろいましょう。しかし、あなたは祝福してくださいます。」(新改訳)
28節「彼らはのろうが、わたしにはあなたの祝福があります。」(フランシスコ会訳)

Keyword;「祝福する」 bless  5:12/28:9/29:11/37:22/45:2/67:1/107:38/109:28/
112:2/115:12/118:26/128:4, 5/134:3/

  • 詩109篇では「のろい」と「祝福」が対峙する形で登場します。名詞の「のろい」はケララー(קְלַלָה)で33回。申命記の特愛用語です(11回)。詩篇では109篇(17, 18節)の2回。一方の「祝福」はベラーハー(בְּרָכָה)で69回。動詞の「のろう」はカーラル
    (קָלַל)で81回。詩篇ではわずかに3回(37:22/62:4/109:28)、「祝福する」のバーラフ(בָּרַךְ)は327回ですがそのうち神に対する賛美の意味ではなく、純粋に神からの恩寵としての「祝福する」という動詞は260回ほどです。
  • 「のろい」「のろう」よりも、圧倒的に「祝福」「祝福する」ということばが多いのです。神は本来的に祝福の神なのです。しかし、詩109篇の作者の周りには「のろいを愛する」者(17節)、「のろいを身にまとう」者(18節)たちがいます。彼らのことばは邪悪と欺きであり、憎しみに満ち、「祝福することを喜ばない」(17節)者たちでした。
  • 私たちがそのような者たちにのろわれた時、どう受け止めたらよいのでしょうか。その模範となるべき人物は新約においてはイエス・キリストです。ペテロは「キリストは、・・ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。」( ペテロ2章22節)と模範を示し、同時に私たちに対しても「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」と勧告しています。
  • 旧約のダビデの模範もあります。彼が自分の息子アブシャロムの反乱によって都落ちしたとき、かつてのサウル一族のひとりシムイが逃亡するダビデに「神がサウルの家のすべての地をおまえに報いたのだ」とさんざん罵り、のろいのことばをはきつづけ、石までも投げつけました。ダビデの部下がシムイの首をはねようとしましたが、ダビデは彼を押しとどめました。ダビデは神がのろうのを許しておられるからだとダビデは受けとめました。つまり、ダビデはそれを神に対する信頼のテストとして受けとめたのでした。
  • 自分にのろいのことばが向けられた時、ダビデの模範は大いに役立ちます。案の定、アブシャロムの反乱は失敗に終わり、ダビデは元いたエルサレムに戻りますが、そのときダビデの前にシムイが現われて、自分のしたことを謝罪します。ダビデはなんと彼のしたことを赦したのでした。まさに神からの祝福を存分に受けたダビデは「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」という勧告を先立って実行したことになります。

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