****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

御霊

聖餐のための瞑想(7) 「御霊」

ベレーシート

  • 「聖餐」についての七つの瞑想の最後の言葉は「御霊」です。

【新改訳改訂第3版】ヨハネの福音書 6章63節
いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。
わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。


  • イェシュアの語った数々のことば(「レーマ」ῥήμα)は、霊(「プニューマ」πνεμμα)であり、またいのち(「ゾーエー」ζωή)です。したがって、イェシュアの語ったことを正しく理解する上で、肉は何一つ役に立たない、何の益ももたらさないということです。事実、群衆もそして多くの弟子たちもイェシュアの語ったことばにつまずき、「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか。」と言って、イェシュアから離れ去って行きました。これは今日のキリスト者にも言えることなのです。

1. 目に見えない「いのち」を自ら選び取る

  • 聖書には、「祝福」と「のろい」、「いのち」と「死」、「霊」と「肉」という、相反することばがあります。他にも、「救い」と「滅び」、「目に見えるもの」と「目に見えないもの」、「神の知恵」と「人間の知恵」(あるいは「この世の知恵」)などもそうです。私たちはそのいずれかを自ら主体的に選ばなくてはなりません。
  • モーセの訣別説教である申命記の中で、モーセはイスラエルの民に以下のように語っています。

【新改訳改訂第3版】申命記30章19節
19 私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。・・・


  • しかし、イスラエルの民を見るなら、「いのちを選ぶ」ことがいかに難しいことかを知らされるのです。イェシュアも以下のように述べて、いのちに至る狭き門から入る者が少ないことを述べています。

【新改訳改訂第3版】マタイの福音書7章13~14節
13 狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。
14 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

  • 「いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」と言われているにもかかわらず、私たちは、何と目に見えるもので判断することが多いことでしょうか。目に見える祝福、目に見える数量、目に見えるこの世の価値観によって、物事の真偽を判断してしまうのです。しかし、「いのちへの道」は「狭く」、その門は「小さく」、さらに「それを見いだす者はまれです」とはまさに驚きのことばです。ですから、目に見えるもので、人の目を恐れたり、自分を恥じたりしない信仰の構え(訓練)が必要なのです。「人の子」イェシュアは神から遣わされた御子です。この方にこそいのちがあります。この方の語ることばこそ「真理」なのですから。

2. イェシュアのほかにはない

  • 空知太栄光キリスト教会で歌っている賛美を最後に紹介したいと思います。イェシュアこそいのちを与えることのできる唯一の方であり、この世の多くの宗教の中の一つでは決してありません。「唯一の救いの御名」なのです。
イェシュア.JPG

イェシュアのほかにはない
その御名のほかにはない
イェシュアの御名だけが
唯一の救いの御名


大いなるイェシュアこそ 誉れを受ける方
大いなる主に向かい賛美を
ささげよ 声上げ
イェシュアに イェシュアに


地上ではあなたのほかに 
心満たすものは何もない
いのちより勝るあなたの
とこしえの愛があるから
迎えに来てください 花婿イェシュア
迎えに来てください

●「主の御名」(=イェシュアご自身のご性質を表す巨大なフォルダー)を心から賛美します。


2017.10.8


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