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御使いガブリエルが告げた「七十週」の預言

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10. 御使いガブリエルがダニエルに告げた「七十週の預言」

【聖書箇所】 9章1節~27節

ベレーシート

  • ダニエル書9章23節は、御使いガブリエルが神から遣わされてダニエルのところに来て語ったことばです。9章1節で、ダニエルはダリユス王の治世の元年に、預言者エレミヤのことばによって70年の捕囚が終わる事を知りました。これはおそらくエレミヤがバビロンの捕囚となった人々に宛てた手紙だと思われます。エレミヤ29章。偽預言者は2年ほどで捕囚から解放されると安易に人々に語っていましたが、エレミヤはむしろ「わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために主に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから」という主のメッセージを記しました。捕囚の70年(実際は50数年間)は、神が意図をもって定めたものであり、神の民が心を尽くして神を捜し求めさせるためでした。それが彼らにとって将来と希望を与えるためのものであったからです。ダニエルはその手紙(文書)によって、再び、イスラエルへの帰還が近い事を知り、主に祈ったのです。そのことが9章3~19節に記されています。ダニエルは神の民が罪を悔い改め、あわれみを示して下さるように、神に祈りました。

1. 御使いガブリエルが伝えた「七十週の預言」

  • ダニエルがそのような祈りをささげていたときに、御使いガブリエルが神から遣わされてダニエルに近づいて来て、次のように告げたのです。

    22 ダニエルよ。私は今、あなたに悟りを授けるために出て来た。あなたが願いの祈りを始めたとき、一つのみことばが述べられたので、私はそれを伝えに来た。
    23 あなたは神に愛されている人だからだ。そのみことばを聞き分け、幻を語れ

  • ガブリエルの来訪の目的は、ダニエルに「悟りを授けるため」(新改訳)でした。新共同訳では「目覚めさせるために」と訳しています。ダニエルを目覚めさせる神からの「一つのみことば」とは、神の奥義、すなわち「隠された神の秘密」です。それはダニエルが祈り始めたときにすでに神から発せられたものでした。それをダニエルに悟らせるために届けられたのでした。その内容はダニエルが祈っている内容よりももっと遠大な内容、つまり、神の最終的な御国が打ち建てられるという有名な「七十週預言」と言われるものです。このことを悟るようにとダニエルは求められたのです。
  • 「神に愛されている人」と「隠された神の秘密を知らされること」は密接な関係があるようです。ここで「愛されている」と訳された形容詞は「ハームード」(חָמוּד)で旧約では9回使われている語彙ですが、そのうちの6回はダニエル書で使われていますから、いわばダニエル書の特愛用語です。その意味は「最良の、貴重な、尊い、高価な、ごちそう、財宝、宝物、愛されている人」という意味です。神に愛されていた者に神はご自身の秘密を明かされるのです。

2. 「七十週」が定められているのは、神の民と聖都エルサレムに対して

  • 22節と23節に3度「ビーン」(בִּין)という動詞が出てきます。これは神の奥義を理解し、その秘密を悟ることを意味します。その秘密の内容は、24節にあるように「あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている」というものです。「あなたの民」とはイスラエルの民(ユダヤ人)のこと。「聖なる都」とはエルサレム、あるいはエルサレム神殿のことです。

(1) 「七十週の預言」にある六つの計画

  • 24節には「七十週の預言」にある六つの計画(あるいは目的)が記されています。つまり、患難期の目的が記されているのです。

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  • No.1~3まではメシアの初臨によって神の側では実現していますが、神の民イスラエルはまだそれを民族的に受け取っていません(ヘブル9~10章)。No.4~6はやがて再臨されるメシアによって実現するものです(ヘブル9:28)。「永遠の義」は完全なメシア王国でしか成り立ちません。「幻と預言とを確証する」とは聖書のすべての幻と預言が成就するということです。最後の「至聖所に油を注ぐ」とは、メシア王国の時代に建てられる第四神殿において神のシャハイナ・グローリーが現われることを意味しています。ソロモン時代の第一神殿ではその献堂式においてシャハイナ・グローリーが現われました。しかし捕囚からの帰還後に建てられた第二神殿、および反キリストが建てると言われる第三神殿においては、それは現われていません。再びそれが現わされるのは「千年王国」時代の第四神殿が建てられた時と考えられます。

(2) 「七十週預言」の三つの部分(期間)

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※1 「七十週の起算点」について

●エルサレムの神殿再建命令、すなわち、70週の起点となる年は以下のようにさまざまな異論があります。

(1)B.C.457・・ペルシャの王アルタシャスタ王の第七年目と理解する説(ダニエル9:25/エズラ記7:11~26)。この説に従えば、7週と62週の後、すなわち483年後であるA.D.27年にメシアは公の働きを初め、その3年後に十字架に磔にされることによって、「油注がれた者は断たれます」(ダニエル9:25~26)という預言が成就します。

(2)B.C.445・・神殿と城壁、エルサレムの再建をアルタシャスタ王が命じた時と理解する説(ネヘミヤ2:1~8/エズラ4:7~23)

(3)B.C.539・・クロス王による勅令の時と理解する説(Ⅱ歴代誌36:22~23/エズラ1:1~4、6:3~5)。この説の根拠とするところは、エレミヤ書の70年の捕囚預言(エレミヤ25:11, 12/29:10)と、イザヤ書の「わたしはクロスに向かっては、『わたしの牧者、わたしの望む事をみな成し遂げる。』と言う。エルサレムに向かっては、『再建される。神殿は、その基が据えられる。』と言う。」 (イザヤ44:28) の預言の成就という観点からです。

(4)B.C.519/518・・ダリヨス王による勅令(エズラ5:3~17、6:1~12)

4つの説の中で最も妥当な解釈 なのは、(3)のクロスの勅令からです。ただ年代B.C.539がどうも怪しいのです。聖書で、B.C.・・・というのは、聖書的根拠はないと思います。おそらく世界史の資料から類推していると思います。クロス王こそ、エルサレムを回復し再建せよとの「命令」を与えるはずの人であったことは確かです。この時が七十週の起点となる年です。そして「油注がれた者」が出現するまでが、聖書によれば483年(7×7+7×62=49+434 =483)です。イェシュアが「油注がれた」時とは、公生涯に入られる洗礼の時です。クロス王の勅令の年代が聖書の中に明確に記されていないことから、混乱を余儀なくされているのです。

※2
●A.D.70年にエルサレムの神殿はローマ軍によって完全に破壊され、ユダヤ人は世界に離散するようになりました。それ以来、歴史は止まったままの状態です。1948年のイスラエル建国以来、ユダヤ人たちはエルサレムに帰還しつつありますが、エルサレムの神殿はまだ再建されていません。歴史が再び動き出すのは、ユダヤ人の帰還と神殿の再建というこの二つがそろった時です。つまり、最後の1週(7年間)以降と言えます。

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3. ダニエル書9章25節~27節までの注解

【新改訳改訂第3版】ダニエル書9章25~27節

25 それゆえ、知れ。悟れ。引き揚げてエルサレムを再建せよ、との命令が出てから、油そそがれた者、君主の来るまでが七週。また六十二週の間、その苦しみの時代に再び広場とほりが建て直される。
26 その六十二週の後、油そそがれた者は断たれ、彼には何も残らない。やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。
27 彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現れる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。

  • 「七十週」という意味について、聖書の中では1日を1年と見なす解釈があります。民数記14章34節、およびエゼキエル書4章6節を参照。

(1) 25節
25節にある「七週」は、7日×7週=49日となり、49年間を意味します。また「六十二週」は、7日×62週=434日となり、434年を意味します。「七週」と「六十二週」を合わせると「六十九週」となり、49+434=483(年)となります。

(2) 26節
26節の「その六十二週の後、油そそがれた者は断たれ、彼には何も残らない」とは、イエスが油注がれて三年半にわたる宣教活動を経て十字架の死にかかられることを預言しています。「彼には何も残らない」とは、イエスは死から復活して天に昇られたために、この地上では目に見える姿として何もないという意味です。

続いて、「やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する」の「君主」とは、偽キリスト(反キリスト)のことです。そして「その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている」とは、異邦人の時が終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされることを意味します。異邦人の時が終わる時までとは、反キリストがキリストの再臨によって滅ぼされる時までです。それまで歴史の時計は止まっています。なぜなら、この時計は神の民ユダヤ人と聖なる都エルサレムがいっしょにある時にのみ動く時計だからです。「七十週の預言」は、神の民と聖なる神の都エルサレムが同時に存在しているときに関するものなのです。

(3) 27節
27節「彼は一週の間」の「彼」とは、反キリストのことであり、続く「一週の間」とは七十週預言の最後の一週(7年間)のことです。つまり、反キリストの支配が7年間(患難時代)に及ぶことを意味しています。イスラエルの中の多くの者は、一致して、反キリストと堅い平和条約を結ぶのです。しかし7年の前半の「半週の間」(つまり3年半)までは平和的なメシアの様相を呈しています。おそらくすべての宗教的混淆による平和がもたらされると考えられます。ところが後の「半週の間」(3年半)は、反キリストがその本性を顕わにします。「荒らす忌むべき者が翼に現われる」とは、反キリストが自らを神と称して「翼」、すなわち「神殿」の座に着き、人々に礼拝を強要するようになることを意味しています。その時こそまさにユダヤ人にとって未曽有の大患難の時(ヤコブの苦難)を迎えるのです。

  • ちなみに、「患難期携挙説」では異邦人クリスチャンは天に引き上げられるために患難には遭わないと考えますが、「患難期携挙説」では異邦人クリスチャンも患難に遭うと考えます。
  • 以下の聖書箇所も参照のこと。➡Ⅱテサロニケ2章3〜10節、黙示録17章1〜5節。
  • しかし「ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかか」ります。それは再臨されるメシア(キリスト)によって反キリストは完全に滅ぼされるということを意味しています。

おわりに

●終わりの日の預言がダニエルに示され、このことを悟るように、理解するようにと告げられたのです。現代に生きる「神に愛されている」私たちも、ダニエルと同様にこのことを悟る必要があります。なぜなら、神のご計画のマスタープランを知ることによって自分の立ち位置が見えてくるからです。ゴールが見えることで、目に見えることに一喜一憂することなく、将来と希望をもって生きることができるようになると信じます。終末預言は決してやさしくはありません。複雑です。それゆえ、繰り返し、繰り返し、根気強く学ぶ必要があるのです。

●神のご計画のマスタープランにおける異邦人クリスチャンの立ち位置については、以下の文書が参考になります。

2013.8.24


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