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御使いに勝る御子

第4日「御使いに勝る御子」 

御使いが仕えているという驚き、そしてそれを支配される御子

  • 「御子は、御使いたちよりもさらにすぐれた御名を相続されたように、それだけ御使いよりもまさるものとなられました。」(1:4)

はじめに

  • 少々、分かりにくい表現です。分かりやすく言うならば、「御子は御使いたちに勝る存在とされた」ということです。とは言っても、私たちにとって、御使いの存在は必ずしも意識されていないのが現実ではないかと思います。信仰のあかしで「御使いが・・」というのを私はあまり聞いたことがありません。意識していないからです。神様が、主が、聖霊様が、とは言いますが、「御使いが」とはあまり聞きません。みなさんはどうでしょうか。ですから、御子が御使いと比較されても、あまりピンとこないのです。しかし今朝、しばしここにとどまり、私たちの生涯において、神から遣わされた御使いがどれほど深くかかわっていてくださって「いた」(過去)か、あるいは今もかかわってくださって「いる」(現在)か、あるいは将来も続けてかかわって「くださる」(未来)ことを知るならば、私たちの信仰生涯はより確かな歩みとなるにちがいありません。御使いのことについて今朝、教えてくださいと心の中で祈りつつ聞いてください。
  • そこでまず、御使いの存在とその特徴についてお話し、次に、御使いが聖書の中でどのように働かれたのかを検証しながら、その働きの原則というものを学びたいと思います。

1. 御使いの存在とその働き

(1) 霊的な存在(目に見えない存在)であるが、知性(その知性は人間をはるかに超えています)と自由意志を兼ね備えています。

(2) 神に仕えるか否か、善と悪の選択はただ一度限り。 悔い改めることも、堕落するもことできません。
。その決定はすでになされている。悔い改めることができないというのは、人間とは全く異なるところです。私たちはどんな悪の道を歩んでいたとしても、神の喜ばれない歩みをしていたとしても、悔い改めることができます。悔い改めて、神の子どもとして歩むことができるのですが、ひとたび、悪の選択をした天使は後戻りができず、その運命はすでに定められているのです。変えることはできないのです。

(3) 性別の区別もありません。それゆえ、当然ですが、結婚することもありません。

(4) 天使ということばは、名前ではなく、役割・職務を示す名称です。

  • そもそもなぜ御使いを神は創造されたかというと、それは、神に仕えるためです。また、やがて創造の冠として創造される人間に仕えるためでもあります。ところが、人間が造られる以前に、御使いの頂点にいたルシファーという天使―最も美しく、最も賢く、他の天使からも信頼されていた存在―が、神をさておいて、自分がこの宇宙のボスになろうとしたことから、神はこのルシファーを奈落の底に落としました。そのとき、ルシファーは自分に従った天使の仲間たちと一緒に地獄に落ちたのです。そのルシファーはサタン(神に逆らう者、人を訴える者)となり、彼に従った手下の御使いたちは悪霊(複数)と呼ばれるようになりました。つまり、私たちが造られる以前に、霊の世界では、神に仕える良い御使いと、サタンに従う堕落した御使いたちが存在していたのです。
御使いの特徴
  • 良い御使いたちは、他にもいろいろな呼び方をされています。たとえば、「御使い」「天使」「エンジェル」(森永製菓の商標―かつて創業者はクリスチャンだったようですが・・)、他にも「神の使者」、複数になると「天の軍勢」という言い方もします。黙示録は御使いの登場回数が他より群を抜いています。そこには御座の周りで多くの御使いたちが神を賛美している光景が記されていますが、その数は「万の幾万倍、千の幾千倍」であるとあります。
  • 天の光景を見せられたヨハネはその数を数えることはできませんでした。万の幾万倍ですから、高度な天体望遠鏡でもそれほどの数を見ることはできないはずです。それらの数の御使いたちが一斉に昼も夜も大声で神を賛美するわけですから、…私たちの想像を絶する世界です。私たちが礼拝するとき、私たちだけでなく、天の軍勢も共に神を賛美しているというあたりから意識することを心がけるとよいかと思います。
  • 御使いには名前をもった御使いもいます。特別な名前があるわけですから、それなりの役割(職務)があるわけです。
    名前を持った御使い① 名前を持った御使い②
  • ほかにも、神の契約の箱を守っている「ケルヴィム」という名の御使いがいます。それぞれ役割が異なっています。
    ①「ミカエル」という御使いは、「御使いのかしら」だと聖書にあります。(ユダ書) どちらかというと、敵(サタンと悪霊たち)との戦いにおいて遣わされる御使いです。
    ②「ガブリエル」という御使いは、主に、大切な神のメッセージを伝える役目をもった御使いで、マリアにイエスの受胎を告知したのもこの御使いです。
    ③「セラフィム」(どういうわけか複数形です)は、
    a. 6枚の翼を持つ、2枚の翼で顔を覆い、2枚の翼で足を覆い、残りの2枚で飛翔する御使いです。この天使を描いた画家はいなかったようです。 
    b. 預言者イザヤだけが見た天使。 
    c. しかも、常に神の周りを飛翔しながら、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな (Holy, Holy, Holy―サンクトス)」と、神を称えている御使いです。

2. 御使いの声を聞いた人々

  • 聖書の中には、はっきりと御使いの声を聞いた人々がいます。それは特別な人たちであって、私たちはそんな御使いの声など、今日は、聞くことができないという人もいるかもしれません。知ってください。私たちは御使いが今も天において歌っている賛美を、礼拝の中で共に歌っています。「共に」です。そうしたことが意識化されると、神が私に語られたという場合も、あるいは聖霊様が私に語ってくださったということを聞きますが、それは御使いの声であるかもしれません。大切なことは意識することです。御使いの存在を意識することです。

(1) マリアの場合

  • クリスマス・シーズンには、しばしばイエスの誕生の物語が語られます。このイエスの誕生は私たちの理性ではつまずきです。御使いガブリエルが乙女マリアに話しかけたという事実だからです。最初はマリアも驚きますが、「こわがることはない。あなたは神から恵みを受けたのです」と聞かされたときは、すっかり落ち着いています。そして次なる大切なメッセージを聞かされたのです。「あなたはみごもって男の子を生みます。名をイエスとつけなさい。その子はすぐれた者となり、いと高き子と呼ばれます・・。」この告知に対してマリアはどうしてそのようなことがあり得るのかを尋ねます。すると御使いは、「聖霊があなたの上に望み、いと高き方の力があなたを覆います。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれるのです。」と答えます。そしてこの告知の極めつけは「神にとって不可能なことは一つもありません。」という御使いのことばでした。この告知に対するマリアの態度は、「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」でした。
  • 神は、御使いを通して、私たちの理解を超えたことを語られます。現実にはあり得ないことです。皆さんがこのたぐいのことばをもし聞いたとしたら、どうこたえるでしょうか。

(2) コルネリオとペテロの場合・・不思議な意味のある出会い

  • 不思議な、しかも、やがて歴史が変わっていくような意味のある出会いにおいても御使いの働きがありました。カイザリヤに住む神を敬うローマの百人隊長であったコルネリオの所に御使いがやってきて、ヨッパというところにペテロがいるから、そのペテロを家に招待しなさいと語りました。コルネリオは御使いを「はっきりと見、そして聞いた」のでした。コルネリオはそのことがどんなことになっていくのかは、少しも分かりませんでした。しかし、彼は御使いの言われるままにしたのです。
  • ペテロはペテロでやはり彼に対する特別な取り扱いを幻で見、そして天からの声を聞いていました。天からの声ですから、あるいは御使いの声と言えるかもしれません。ユダヤ人の食物規定で汚れたとされるものが入った敷布のようなものが天からつり下ろされて、「さあ、ほふって食べなさい」という声が聞こえました。ペテロは「それはできません。私は一度もそのようなものを食べたことがありません。」と答えるのですが、「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない」という声が聞こえました。ペテロがこの幻はいったい何だろうと思っていると、あなたを招くようにコルネリオ様から言いつかってまいりましたという使いの者がペテロの所にやってきました。そのようにしてペテロはコルネリオの所を訪れるのですが、本来、決して交わることをしなかった異邦人のところにペテロは行ってイエス・キリストの福音を伝えたとき、彼らは救われたのでした。これは異邦人伝道の門が開かれてそこに踏み切るように励ます画期的な出来事となったのです、実際には、異邦人伝道は使徒パウロが主からの召しとしてやっていくのですが、彼を理解するためには使徒ペテロの証言が必要だったのです。
  • あなたのところにも御使いが訪れて「これ~のことをするように」と告げる声を聞くかも知れません。それがなにを意味するのか、おそらく分からないはずです。しかし、それを受け留めるときに、神の導きの糸が他の人との出会いによって結びついていくのです。
  • きわめて大きな意味を持つ不思議な出会いーそれは人との出会いの中に、あるいは本との出会い、あるいは出来事との出会いの中に、御使いが遣わされたのです。御使いの存在があったのです。それを知らずに、私たちは単なる導きと感じているだけかもしれません。意識しなければ分からないのです。

(3) ペテロとパウロの場合・・死に直面したときの救出

  • みなさんは今にも死にそうになったという経験をしたことがあるでしょうか。そのような時にも、御使いは私たちを救い出します。死んでもおかしくない状況の中で、生かされるという経験です。ペテロとパウロはその経験をしました。
  • ヘロデという王はユダヤ人を喜ばせるために、翌日、使徒のペテロを処刑しようとしていました。ところがペテロは処刑の前夜、突然、御使いに起こされました。鎖が手から落ちました。帯を締め、靴を履いて、上着を着て、御使いについて行きました。門はひとりでに開き、外に出ることができました。救出されたのです。番兵たちがいたにもかかわらず、牢からなんなく脱出できたのです。ペテロは最初夢を見ているように思っていましたが、牢の外に出てから、御使いが彼から離れて見えなくなると、彼は我に返り、「主は御使いを遣わして、すべての災いから私を救いだしてくださった」と知ったのです。
  • パウロの場合も、ローマ行きの船旅において難破するという経験をします。二週間ほど続いた暴風雨でみな死を覚悟していました。その時、パウロは「あなたは必ずカイザルの前に立つ」という御使いの声を聞いたのです。そんなことではあなたは死なない、あなたには神の計画があるということを確信させる励ましでした。そのことをパウロは聞かされて人々を励ましました。
  • 行き詰まりや失意の中で、あきらめの気持ちがやってくるかもしれません。それは生きる力を失わせます。あるいは大きな過ちを犯したときにも、お先真っ暗になって果たして自分の生きる道はあるのかとうなだれます。そんなとき、私も主の声を聞きました。いや、ある人の文章を読んでいるときでした。御使いかも知れません。「あなたはもう一度やり直すことができます。あなたが立ち直ったら、他の人々を力づけてやりなさい。」と。

(4) イエスの御使いについての教え

  • 「あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。」 (マタイ18:10)
  • つまり、ここでの意味は、小さな者、弱い者のひとりでも見下げたりしないようにしなさい。それは彼らのために遣わされている御使いたちが、どのような助けをすべきかを父の顔を常にうかがっているからだということです。ですから、小さな者であっても、弱い者であっても心配することはありません。なぜなら、「御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされて」いる(ヘブル1:14)からです。これはなんとすばらしいことでしょうか。
  • イエスの御使いについてのもうひとつのことばをあげておきましょう。心躍ることばです。ルカ15章にある「失ったものが見つかったときの異常な喜び」です。いなくなった一匹の羊が見つかって異常に喜ぶ羊飼い、銀貨一枚が見つかった婦人の異常な喜び、そして放蕩息子が帰って来て喜ぶ父親の異常な喜びが記されています。この異常な喜びはまさに神の私たちに対する喜びなのです。そこにこうあります。「あなたがたに言いますが、・・ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」 (ルカ15:10)
  • もしそうだとしたら、大切なことは、私たちが悔い改めて(180度、神に向きを変えるという意味です)、つまり、向きをを変えて、「ありのままで」神に立ち帰ることです。立派になってから神を信じて従っていこうではなく、これこれ、あれこれを改善してから神に従っていこうではなく、そのままで、ありのままで、父のもとに帰ることです。そのとき、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。

(5) 私たちにとっての御使いの存在の意義

  • 「御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされた・・・」 (ヘブル人への手紙 1章14節)
    ※「救いの相続者」とは、主イエスを信じる者たちのことです。

●「主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。」(詩34篇7節)
●「まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。」(詩91篇11節)

  • これらは、私たちにとって何と心強いみことばでしょう。

おわりに

  • 最後になってしまいましたが、これまで私たちのために遣わされている御使いのことを見てきました。しかし、「神の御使いはみな、彼を拝め。」(ヘブル1:6)とあるように、その御使いたちはいつも主であるイエスを礼拝しています。なぜなら、御子は「御使いよりもまさるものとなられ」(同1:4)たからです。「まさる」と訳されたギリシヤ語は「ディアホォロス」διαφοροςで、「~に対してまさっている、すぐれている」という意味だけでなく、「他のものとは質が異なっている」という意味があります。御子は御父に信任された存在として、御使いたちとは全く質の異なった特別な存在なのです。ですから、御使いの主であるお方にいつも栄光を帰さなければなりません。御使いの働きがどんなに素晴らしくても、彼らを賛美してはなりません。エホバの証人たちが言うように、イエスは単なる「敬うべき存在」なのではなく、御使いにまさる(質の)異なった存在として、あがめられるべき存在、御父と同格の礼拝されるべきお方なのです。


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