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彼らはわたしが熱心に語ったことを知ろう

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83. 彼らは、主であるわたしが熱心に語ったことを知るだろう

【聖書箇所】 エゼキエル書 5章13節

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【読み】
ヴェ・ヤーレー キー・アニー アドーイ ディヴァルティー ベ・キネーティー

【文法】
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※このフレーズにある「キー」(כִּי־)は、動詞の後にある部分を強調します。

【翻訳】

【新改訳改訂3】
彼らは、【主】であるわたしが熱心に語ったことを知ろう。
【口語訳】
彼らは主であるわたしが熱心に語ったことを知るであろう。
【新共同訳】
そのとき、主であるわたしが・・・、熱情をもって語ったということを彼らは知るようになる。
【岩波訳】
こうして、彼らは知るであろう、わたしヤハウェがわが嫉妬をもって語ったのだ、と。
【NKJV】
and they shall know that I, the Lord, have spoken it in My zeal,
【NIV】
they will know that I the LORD have spoken in my zeal.

【瞑想】

今回はエゼキエル書5章13節の後半にあるフレーズを取り上げます。まず最初に、13節の全体を見ます。

「わたしの怒りが全うされると、わたしは彼らに対するわたしの憤りを静めて満足する。わたしが彼らに対する憤りを全うするとき、彼らは、【主】であるわたしが熱心に語ったことを知ろう。」(新改訳)

ここでフォーカスしたい点は、主がご自身の選ばれた民に対して「熱心に語った」という箇所です。「熱心」と訳されたヘブル語は名詞の「キネアー」(קִנְאָה)で、「熱心、熱愛、熱意、熱情、ねたみ」を意味します。「ねたむ」を意味する動詞の「カーナー」(קָנָא)から由来しています。

旧約における神の「憤り、激怒、憤怒」(「ヘーマー」חֵמָה)は、神の「熱心、熱意、熱情、ねたみ」(「キネアー」קִנְאָה)と表裏一体です。キネアーの中にある「ねたみ」は、人を(選んだ民を)深く愛するがゆえに、その不誠実さに対して起こる強い否定感情です。聖書の神はこのような情動表現を通してご自身のかかわりの愛の強さを表わされます。

出エジプト記20章にある十戒の第一戒~第三戒には、神の愛のかかわりの強さを裏付けることばが語られています。

3 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
4 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。
5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、【主】であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。

神の都エルサレムが滅ぼされ、廃墟となった原因は、神の民が神の声を聞こうとしなかった点にあります。偶像の神は「語る神」ではありません。偶像は人間の欲望を無限に肯定する想像の産物ですから、口があっても語ることをしません。しかし聖書の神は、最初から終わりまで、「語られる神」です。神は、口からことばを発することによって創造のみわざをなされました。「語る」ことを意味するヘブル語の「アーマル」(אָמַר)は動詞の使用頻度としてはトップにランクします(5,308回)。また同じく「話す、語る」わ意味する「ダーヴァル」(דָּבַר)のランクは第九位(1,137回)。そして、人がその神のことばを「聞く」という「シャーマ」(שָׁמַע)のそれは第八位となっています(1,159回)。このことは、聖書における神と人とのかかわりの基本が「語る」-「聞く」という関係にあることを物語っています。その親密なかかわりが壊されることが「罪」であり、それによって「死」がもたらされました。「死」とは神と人との親しいかかわりが断絶することを意味します。

神によって造られた人間が神の声を聞こうとせずに、背反し、神の道から離反していく現実の中から、神は救いの担い手としてアブラハムを選び、アブラハムの子孫である神の民イスラエルがその担い手となっていきます。その担い手の最も重要な務めとは、神のことばを「聞く(シャーマשָׁמַע)」ことです。ところが、神の民は次第に神に逆らい、神のことばに従って歩むことをせず、それをないがしろにしました。そして神の民は偶像を神としたのです。それが神にとっては最も「忌み嫌うべきこと」でした。

神は、ご自身の統治理念にしたがってイスラエルの民をさばき、彼らが自分たちの信仰の拠り所としていたエルサレムの町を徹底的に破壊しました。それは神の民が神のことばを聞かなかったことに対する懲罰的さばきであると同時に、神が捕囚として散らされた者たち(残りの者)に対して一縷の望みを託した行為でもありました。

イスラエルが神の民として歩むためにどうしても欠かすことのできない条件は、ひとえに神のことばを聞くことです。それゆえ、礼拝における「シェマ」はきわめて重要です。空知太栄光キリスト教会の礼拝が「シェマ」という呼びかけから始まるのはそのためです。それは神のことばを注意深く聞くために、自分に対して「霊の目を覚ます」呼びかけの歌であり、神の最終的な救いに向けて心を整えて「みことばの回復」を目指す告白的行為でもあります。

神から遣わされた御子イエスは神の国について繰り返し語られましたが、その都度、「耳のある者は聞きなさい」、「聞くことに注意しなさい」と語られました。それは今日的課題としての「みことばの回復」とも深く関係するところです。


2013.5.8


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