****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

宗教改革を断行したヒゼキヤ王

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53. 宗教改革を断行したヒゼキヤ王

【聖書箇所】Ⅱ歴代誌 29章1節~36節

ベレーシート

  • 29章から32章までの4章分が、ヒゼキヤとその治世について記されています。今回はその第一回目です。父の治世からアッシリア(「アッシュール」אַשּׁוּר)の勢力が強まり、そのために周辺諸国は翻弄されていきます。父アハズはアッシリアと同盟しようとして多くの賄賂を贈りましたが、「何の助けにもならなかった」(Ⅱ28:21)とあります。しかもそのつけは、ユダに大きな損害をもたらしまた。アハズが死んでその子のヒゼキヤが王となった時、彼が即座に取り組んだのは閉じられた主の宮を開けさせ、そこをきよめ、修理したことでした。

【新改訳改訂第3版】Ⅱ歴代誌29章3節
彼はその治世の第一年の第一の月に【主】の宮の戸を開き、これらを修理した。


●「主の戸を開く」ことは、主との交わりが回復する象徴的出来事です。それまでは主との親しい交わりは閉ざされて、霊的ないのちの枯渇を招いていたことを示唆しています。さらに「修復した」(口語訳は「繕った」)の原語は「ハーザク」(חָזַק)の強意形ピエル態で、それは「強固にする」という意味です。主との生きた交わりを神のトーラーによって堅固にするする姿勢をもって、最初から改革に乗り出したのです。それは今日で言うならば、みことばの中に隠されている秘密を明らかにして、主の民としてより堅く立とうとする改革的な取り組みでした。


1. ヒゼキヤの改革の特徴

(1) 周到な準備

  • 29章の最後の節である36節には、「このことが即座に行われた」とあります。「即座に」と訳されたヘブル語は、前置詞「べ」(בְּ)を伴う副詞「ピットオーム」(פִּתְאֹם)で、「にわかに」「速やかに」「突然に」「不意に」という意味です。何の抵抗もなく改革が成功したのには、おそらく、それなりの用意周到な準備があったと考えられます。人々の目には「突然に」見えることでも、そこには隠された備えの時があったと信じます。そうした下準備があったことで、神の時が来た時に「即座に」実行することが出来たのだと信じます。これはリーダーとなる者の資質の一つであろうと思います。思い付きの改革ではなく、やがて自分の時代が来た時に何をすべきかを知って備えていた王、それがヒゼキヤでした。

(2) 原点に帰る

  • ヒゼキヤの改革の特徴の第二は「原点思考」、「原点回帰」です。つまり、はじめに帰るという改革です。いわば自分たちの民としてのルーツに帰ることを意味します。それは自分たちのアイデンティティーにつながるからです。30章では、イスラエルの民がエジプトの奴隷から救われて神の民となった記念的出来事である「過越」(ぺサハ)の復興が記されていますが、29章は「礼拝」の復興です。つまり、神と民たちとのかかわりの霊的な回復として、父アハブの治世においてなおざりにされ、閉じられていた主の宮を元通りにするために、汚れをきよめ、祭司たちとレビ人たちの本来の働きを回復しました。そのために16日間かかりました。
  • キリスト教の歴史において、制度化して霊的ないのちを喪失した教会にいのちを取り戻すためのさまざまな改革運動がありました。それは人間的な努力ではなく、常に、聖書に帰ることによってなされました。人間が造り出した形骸化された宗教システムを壊して、新たないのちが回復されるために、いつも聖書に戻り、聖書の真理を見出した人々が、時至ってなされているという事実です。それは今日においても然りです。すべての霊的な源泉は神との交わりにおいて回復される必要があると信じます。回復へ至るプロセスは決して突如ではなく、隠された地道な探求の結果なのです。
  • 「ヒゼキヤ」(「「ヒゼキヤーフー」חִזֶקִיָּהוּ)という名前は「主が強める」という意味ですが、彼の母の名前である「アビヤ」(列王記では「アビ」・・「父」や「先祖」という意味)が記されているのは、ヒゼキヤの宗教改革の背景に母親の影響があったことを示唆しているのかもしれません。

2. 神との交わりを回復する手段としての「いけにえ」

  • 「いけにえ」によってモーセの律法が回復されました。以下のチャートのように、すべてのいけにえは神に近づくために神がお定めになった手段です。

画像の説明

  • 人が神に近づく方法は、「罪のいけにえ」から「全焼のいけにえ」へです。おそらく「罪のいえにえ」と「全焼のいけにえ」という表現で、すべての「いけにえ」を意味しているのだと思います。祭司たちとレビ人たちは、「罪のいけにえ」によって自分たちと民との罪の贖いをなし、その後で自分たちを神の所有の民としてささげる「全焼のいけにえ」をささげています。
  • 興味深いことに、「全焼のいけにえ」がささげられたとき、祭司とレビ人たちは楽器をもって主を賛美し、全会衆は「ひざをかがめて」「伏し拝み」、喜びをもって主を喜んだとあります。真の礼拝がここに回復したのです。
  • そのあとでヒゼキヤは人々に「感謝のいけにえ」を主の宮に携えて来るように呼びかけています。この「感謝のいけにえ」はその形が全焼のいけにえの形を取ったり、穀物のささげ物や和解のいけにえの形を取ったとしても、神の恵みに対する豊かな情動であることには変わりません。この「感謝のいけにえ」という言葉は旧約に13回ありますが、歴代誌では2回(Ⅱ29:31、Ⅱ33:16)です。詩篇は5回(50:14, 23、56:12、107:22、116:17)、そしてエレミヤ書は2回(17:26、33:11)です。特に重要なのは、エレミヤ書33章11節です。30~33章にある「新しい契約」の預言において、「主の宮に感謝のいけにえを携えて来る人たちの声が再び聞こえるようになることが預言されているからです。

【新改訳改訂第3版】エレミヤ書33章11節
楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、『万軍の【主】に感謝せよ。【主】はいつくしみ深く、その恵みはとこしえまで』と言って、【主】の宮に感謝のいけにえを携えて来る人たちの声が再び聞こえる。それは、わたしがこの国の繁栄を元どおりにし、初めのようにするからだ」と【主】は仰せられる。

  • ヒゼキヤの宗教改革は、やがて来るメシア王国のひな型であるという点に注目して、預言的な出来事として読まなければなりません。


2014.4.15


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