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同胞に対するパウロの絶えざる心痛

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1. 同胞に対するパウロの絶えざる心痛

【聖書箇所】9章1~5節

ベレーシート

  • 先日(2017.7.9)の礼拝で、マタイの福音書5章44節「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」を説教しながら、私はパウロのことをずっと思っていました。パウロほど自分の同胞からねたまれ、拒絶され、殺害しようとされた人物はありませんでした。彼がキリストのしもべとなってからずっと、どこへ行ってもユダヤ人の敵とされたのです。

1. パウロの生涯にけるユダヤ人からの迫害

  • 使徒の働きには、使徒とされたパウロの生涯において執拗にユダヤ人から敵とされたことが記されています(以下をクリックすると拡大します)。

画像の説明

2. パウロの同胞のための「アナセマ」(ἀνάθεμα)

【新改訳改訂第3版】ローマ人への手紙9章1~3節
1 私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。
2 私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。
3 もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。

  • 2節は「同義的パラレリズム」です。「大きな悲しみがあり」と「絶えず痛みがあり」は同義です。その悲しみと心痛とは、神に選ばれたイスラエル(ユダヤ人)が福音を拒絶し、信じ受け入れようとしないばかりか、むしろ妨害し、パウロを敵と見なして執拗に殺意をもっていることに対するものです。
  • こうしたユダヤ人のために、パウロは「もしできることなら、・・この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。」と述べています。「願う」と訳された「ユーコマイ」(εὔχομαι)は「神に祈る」とも訳される動詞です。
  • 「のろわれた者」と訳されたギリシア語は「アナセマ」(ἀνάθεμα)で、「のろい、誓い」を意味します。ここではパウロが、キリストが私たちの罪のためにのろいとなってくださったように、第二のキリストになって、同胞のために身代わりとなってのろいを一心に引き受けても良いと述べているのです。それは不可能なことなのですが、それほどまでの同胞に対するパウロの愛が伝わってきます。
  • アナセマ」(ἀνάθεμα)をヘブル語にすると、「へーレム」(חֵרֶם)となります。この語彙は完全に神にささげる「聖絶」を意味します。

3. 神から与えられているイスラエルの特権

  • 4節の冒頭で「彼らはイスラエル人です」と語られ、その特権についてパウロは以下のように、それぞれ冠詞付で記しています。

(1) 子とされること
●ここで「子とされること」(子の身分)とは、神の養子とされることです。養子であっても法的には神の子の特権が与えられています。


(2) 栄光
●イスラエルの民は神の栄光の現われを見ています。シナイ山で、また幕屋建造や神殿完成の時にです。


(3) 契約(複数形)
●イスラエルの民は神とのシナイ契約、シェケム契約、新しい契約にあずかっています。


(4) 律法の賦与
●イスラエルの民はシナイ山において、聖なる永遠の律法を賦与されています。律法は聖なるものであり、やがてメシア王国においての憲章ともなります。


(5) 礼拝
●ここでの礼拝とは、神に近づく方法を神から直接教えられているということです。神と交わることのできる民なのです。


(6) 約束(複数形)
●イスラエルは神から多くの約束が与えられています。アブラハム契約、ダビデ契約などの一方的な約束にあずかった民なのです。もし、神の約束が実現しないのであれば、神の真実は明かされることはありません。神の約束が必ず実現される民として、イスラエルは神によって選ばれているのです。


(7) 父祖たち
●ここでの父祖たちとは、アブラハムに代表される「先祖たち」で、イサク、ヤコブ、そしてダビデ、イェシュアへと流れています。それは神のご計画を担う民として連綿と続いて来ている幹です。


2017.7.11


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