****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

千年王国(メシア的王国)の必然性

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6. 千年王国(メシア王国)の必然性

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「【主】は地のすべての王となられる。その日には、【主】はただひとり、御名もただ一つとなる。・・エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の【主】である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。」(ゼカリヤ書14章9, 16節)


ベレーシート

  • 前回は、キリストの地上再臨の前に起こる大患難時代とイスラエルの民族的回心に至るプロセスについて学びました。主に、マタイの福音書24章からお話ししました。反キリストによる未曾有の大患難の時を、聖書は「終わりの日」と言っていることもお話ししました。今回は、大患難の終わりにキリストが地上再臨された後に、この地上に実現する「千年王国」を取り上げます。「千年」という限定された期間を、象徴的な意味でなく、字義通りに受け止め、神の歴史のマスタープランにおいて、この「千年王国」がなぜ必要なのか、その千年王国はどのような時代なのか、どのような祝福があるのかを正しく理解する必要があります。なぜなら、クリスチャンは七年間の患難時代に入る前にキリストの空中再臨によって携挙されていますが、患難時代の最後に、反キリストの軍勢を滅ぼしイスラエルを救うためにキリストが地上再臨するときには、花嫁である教会もキリストの花嫁として共にこの地上に来て、千年の間、王である祭司としての働きをするように定められているからです。ですからクリスチャンも、この「千年王国」について知っておかなければならないのです。
  • 「千年王国」についての学びをすることで、聖書が教えている数多くのピースがうまくつながり、パズルとしての全体像がはっきりと見えてくるのです。旧約の歴史や預言者が語っていたことや、主イエス・キリストがこの世に来られて語られた「御国の福音」の意味がより明確にされるはずです。
  • 神の歴史におけるマスタープランを正しく理解することは重要です。たとえば、詩篇の瞑想をするとき、最初の第1篇はそれほど難しくなくても、次の第2篇を読んでつまずく人は多いはずです。なぜなら、どのように理解してよいのか分からないからです。実は、詩篇2篇は、キリストの誕生と再臨、そしてその後に来る「千年王国」におけるキリストの支配(メシア的王国)のことが、一つのピクチャー(絵)を見るように語られているからです。
  • また、マタイの福音書24章と25章には、主イエスが語られた終末についての教えがまとめられていますが、その教えの中には、A.D.70年のエルサレム神殿の破壊とエルサレムの町の滅亡の出来事、そしてキリストの空中再臨による教会の携挙のこと、そして七年間の反キリストによる大患難時代のこと、キリストの地上再臨と千年王国のこと、さらに、最後の審判といった出来事が同じく一枚の絵のように記されているのです。
  • 私たちが星座を観る時、そこには無数の星が見えます。しかし、その一つひとつの星はそれぞれ遠く離れており、星の誕生した時も異なれば、すでに消滅してしまった星も見ているかもしれません。遠く離れて観ているために、空間軸も時間軸もない同一平面上にある一つのピクチャー(絵)として見ています。聖書も同様で、やがて起こることの時間軸を無視して一枚の絵を見るように記されています。しかし将来に起こる出来事は必ず時間軸の中で起こってくるため、すでに実現したこと、まだ実現していないこと、将来のどのあたりで実現するのかといった神のご計画全体の大枠を整理して知っておく必要があるのです。そうでなければ、私たちは、パウロの言うように、「空を打つような拳闘」をしたり、「決勝点がどこかわからないような走り方」をしたりすることになってしまいます。そうしたことを避けるためにも、これから起こる事を正しく理解する必要があるのです。
  • 「千年王国」についての学びをすることによって、聖書全体に記されている多くの事柄がバラバラではなく、すべてがつながっていることを発見するようになります。それだけでなく、確かな希望から来るぶれることのない、かつ、自信をもった生き方ができるようになると信じます。いわば、「千年王国」は神の歴史におけるマスタープランの要石(かなめいし)なのです。そこで、早速、千年王国についての学びをしていきたいと思います。聖書のテキストは、ヨハネの黙示録20章です。

1. 「ヨハネの黙示録の20章」の重要性

  • まず、ヨハネの黙示録20章1~6節までを読んでみましょう。そこには「千年王国」の始まりについて記されています。ちなみに、7~15節は「千年王国」の終わりについて記されています。今回は、特に「千年王国」の始まりに注目したいと思います。

【新改訳改訂第3版】20章1~6節
1 また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。
2 彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕らえ、これを千年の間縛って、
3 底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。
4 また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行う権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。
5 そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。
6 この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。

  • 「千年」ということばが聖書の中で出て来るのは、ここ黙示録の20章だけです。7節も含めると、「千年」ということばが6回も繰り返されて使われています。重要な事柄にもかかわらず、全聖書の中でこの1章にしか出てこないのです。「千年」という期間にもかかわらず、こんなわずかなスペースでしか語られていないことに、ある人々はその出来事の信ぴょう性を疑います。しかし、この黙示録20章の偉大な貢献は、旧約時代、新約時代で語られてきた神の約束(特に、イスラエルの民に対して語られた多くの約束)の成就とその期間、完成された御国の期間が、「千年」という限定された期間であることが啓示されている点です。他の箇所では決して言われていないこの事実を、黙示録20章が記しているということです。神が約束された「メシア的王国」のことは多く語られていたとしても、その期間が「千年」であるということを啓示しているのは、ヨハネの黙示録20章だけなのです。それだけでも、この箇所は神のマスタープランを知る上で価値のある重要な箇所と言えます。また別の言い方をするならば、この章の理解が、聖書の理解、神の歴史のマスタープランの理解を決定づけるとも言えるのです。
  • このことの理解がないばかりに、私たちは死んだ後のことがよく分からないということになります。「死んだら、天国に行く」という考えは、今日、マスコミを通して、この世の考え方になって来ています。しかしその天国がどういう所なのか、多くの人々が確信をもって語る事ができないのが現状です。実はクリスチャンたちも同じレベルです。「死んだら、天国へ行く」ということだけですべてを済ませてしまっているとすれば、神の備えられたすばらしい福音を語り伝える事はできません。いわば煙に巻かれている状態なのです。

(1) サタンの幽閉

  • 「千年王国」はサタンの幽閉から始まります。1節には、「御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た」とあります。「見た」のは使徒ヨハネ自身ですが、「御使い」の名前は記されていません。この「御使い」とは、主イエスのことだという見方がありますが、いずれにせよ、王であるキリストから来ていることには間違いありません。
  • なぜ、その御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖をもって天から下って来たかといえば、それは2節にあるように、「悪魔でありサタンである竜」「あの古い蛇」を捕えて、千年の間縛り、底知れぬ所に投げ込み、そこを閉じ、そこを封印するためでした。
  • 「古い蛇」とは、創世記3章に出て来る「獣の中で最も賢い存在」であった蛇、サタンが蛇に変身してエバに近づいて騙した、あの蛇のことです。
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  • 黙示録19章19節以降を読むと分かるように、ヨハネはすでにハルマゲドンと呼ばれる最後の戦いー「獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢が戦いを交える」のを見ました。その後で、は捕えられ、また、獣の前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあの偽預言者もいっしょに捕えられています。このふたりは、硫黄の燃える火の池に、生きたままで投げ込まれたとあります。つまり、「獣」と呼ばれる反キリストと、「獣」を支える「偽預言者」はやがて千年の後にサタンも投げ込まれる「火の池」に、すでに先に投げ込まれてしまっています。その大御所であるサタン(悪魔)は、千年間、「底知れぬ穴」に幽閉され、その後、そこから一時解放された後に、「獣」と「偽預言者」のいる「火と硫黄との池」(地獄)に投げ込まれます(20:10)。千年王国の最後の審判において、すべての者が死からよみがえりますが、「いのちの書に名の記されていない者はみな、この火の池に投げ込まれ」ます(20:15)。そこは「永遠に昼も夜も苦しみを受ける」所です(20:10)。

(2) サタンの幽閉の目的

  • サタン(悪魔)を幽閉した目的は、3節にあるように、「千年の終わるまでは、諸国の民を惑わすことのないように」するためでした。しかし、それは消極的な面です。積極的な面は、神が約束された御国をこの地上で実現させるためです。神の民イスラエルに対してなされてきた約束が完全に成就するためです。また、神を信頼して信仰を貫き通した者たちに、地上においてさばきを行う権威を与えるためです。さらには、かつて地上にあったエデンの園が回復されたその祝福を味わわせるためなのです。このことについては、また別の時に扱いたいと思います。
  • 「千年王国の祝福」については、黙示録20章では扱われていません。それはむしろ旧約聖書の中にそのことが多く啓示されているからです。それらを一つひとつ丁寧に学ぶことにより、一層、この千年王国のすばらしさを知ることができます。しかしながら、そのすばらしい千年間に及ぶ祝福も、その後に訪れる「新しい天と新しい地」という永遠の御国の前座的期間でしかないということです。
  • 限定された「千年王国」の目的は、神が、神の民イスラエルに対して約束されたことに対して、どこまでも真実な方であるということをあかしする期間なのです。それは神にとっても、神の民にとっても至福の喜びです。また、教会もその喜びを分かち合うため招かれているのです。

(3) 「第一の復活」と「第二の死」が意味すること

  • 黙示録20章6節に、「第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。」とあります。「第一の復活」ということば、さらには「第二の死」ということばが出てきます。「第一の復活」とは、千年王国で生きるために、新しい朽ちることのないからだを与えられることを言います。携挙された教会はすでに朽ちることのないからだに変えられていますから、文句なしに、この「第一の復活」に与っています。黙示録20章でいう「第一の復活」に与った人とは、患難時代、大患難時代を括り抜けて信仰を貫き、殉教した人々(異邦人、およびイスラエルの民)のことで、キリストの再臨の時に、この「第一の復活」に与ることができます。イエスはこの「第一の復活」の初穂となられたのです(Ⅰコリント15:23)。初穂とは、次に続く収穫があることを意味しています。
  • 「第二の死」ということばが出てきます。「第一の復活」に与った者には、それは「何の力もない」とあります。第一の死(肉体の死)に対しては、よみがえりのいのちによって復活し、朽ちない新しいからだを与えられています。しかしそうでない者は、千年王国の終わりの大審判が行われるときに死からよみがえります。しかし、それは「第二の死」(よみがえった朽ちないからだをもった永遠の死)に定められるためです。つまり、いのちの書に名のしるされていない者たちは、獣と偽預言者、そしてサタンがいる同じ火の池に投げ込まれるのです。これが「第二の死」と言われるもので、永遠に苦しみ続けるところに置かれるということなのです。これほど恐ろしいことはありません。決して、無(Nothing)の世界ではありません。これまでのことをまとめると、以下の図のようになります。

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2. 「千年王国」は「神の国、天の御国」とイコール

(1) 千年王国は、旧約で預言されていたメシア的王国のこと

  • バプテスマのヨハネも、そして御子イエスも「悔い改めよ。天の御国は近づいた」と言って、「御国の福音」を宣べ伝えられました。ヨハネもイエスもいわば、旧約で約束された神の約束がこの地上で実現(完成)されるために、この世に遣わされた存在です。彼らが語り、またイエスの弟子たちが語った福音は、「御国の福音」でした。それは、別の言葉で言うならば、「メシア的王国の福音」です。それは、メシアが主権をもって樹立する可視的な地上における神の王国です。ところが、メシアであるイエスが当時のイスラエルの民によって拒絶されたために、その実現は延期されることになりました。その間、奥義としての「教会」が誕生して、神の救いの恵みとしての「罪の赦しの福音」が伝えられることで、異邦人もキリストの花嫁としての祝福を受けるようになります。このこともすでに神の奇しいご計画の中にあったのですが、実際は奥義として隠されていました。しかし、そのことが使徒パウロに啓示され、彼を通して伝えられるようになりました。しかも、異邦人に対しては、「御国の福音」というよりも、「罪の赦しの福音」、あるいは「神の恵みの福音」として伝えられていきました(使徒20:24)。
  • 「千年王国」は神がイスラエルの民に約束された「御国の福音の成就(完成)」のあかしであり、また同時に、キリストの教会もイスラエルに接ぎ木されることで、その祝福にあずかる特権が与えられています。いわばイスラエルの民と共同の相続財産を受けているのです。

(2) 千年王国の統治形態

  • 黙示録20章4節に「また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行う権威が彼らに与えられた。・・・彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。」とあります。6節では、「彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。」と記されています。
  • 「彼ら」とは、イスラエルの民で、反キリストの大患難に屈せずに殉教した人たちです。彼らは、王という立場で、御国においてなんらかのさばきを行う地位に着かせられます。異邦人を多く含む「教会」の立ち位置も、同じく王であり、祭司としての務めを果たしますが、イスラエルの民はエルサレムを中心とした形でその立場に着くと考えられます。「千年王国」においては、世界の中心はエルサレムになります。世界の諸国の民は王の王、主の主であられるキリストを礼拝するために、エルサレムに集まります。
  • 千年王国の統治形態は、民主主義ではなく、メシアであるイエス、王の王、主の主による専制君主制による統治です。メシアの統治は全世界に及びますが、その権威の委譲は、イスラエルに対してのものと、異邦人に対してのものとの二つがあります。前者はエルサレムを中心として(この時代はエルサレムが世界の中心となります)、後者は世界の諸国においてなされます。

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  • 千年王国において、ダビデがイスラエルの王として復活させられるならば、当然、ダビデの仮庵(幕屋)も復活します。アモスが預言したように、「その日、わたしはダビデの倒れている仮庵を起こし、その破れを繕い、その廃墟を復興し、昔の日のようにこれを建て直す。」(アモス書9:11)ということばが成就します。
  • 次回は、旧約聖書に預言されている「千年王国」(メシア的王国、神の国、天の御国、キングダム、神の支配)の祝福について取り上げる予定です。


2013.12.8


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