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十字架上のイェシュア(1)


19. 十字架上のイェシュア (1)

【聖書箇所】
マタイの福音書27章45~56節、マルコの福音書15章33~41節
ルカの福音書23章34, 39~49節、ヨハネの福音書19章25~30節

ベレーシート

●十字架上のイェシュアが語った七つのことばを取り上げていきます。それをリアルタイムで表わしてみると以下のようになります。


(1) 「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
(2) 「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
(3) 「女の方。そこに、あなたの息子がいます」
(4) 「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」
(5) 「わたしは渇く」
(6) 「完了した」
(7) 「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」

●(1)~(3) は、午前中にイェシュアの口から発せられたことばです。(4)~(7)は午後3時以降に発せられたことばです。正午からの三時間はイェシュアは沈黙しています。今回は(1) と(2) を取り上げます''。いずれも、ルカだけが記している独占的なイェシュアのことばです。

1. 「父よ。彼らをお赦しください。」

●イェシュアが十字架上で最初に口にしたのが、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです。」という祈りでした。この祈りは、イェシュアがオリーブ山にあるゴルゴタにおいて、つまりエルサレムの全景を見渡せるところから、自分を拒絶し、自分に敵対したすべての人々(祭司長たちと彼らによって扇動された群衆たちも含む)やイェシュアを裏切った弟子たち、また直前までイェシュアをあざけった道行く人々、そして、イェシュアと共に十字架につけられた二人の強盗どもに対して祈られた祈りでした。

●そして、マタイ27章44節とマルコ15章32節で、イェシュアと共に十字架につけられた二人の強盗どももイェシュアをののしっていました。ところが、このイェシュアの祈りを聞いたひとりの強盗が、自分の罪を認め、神に立ち返るという奇蹟が起こったのです。

●自分自身のためにではなく、自分を十字架にかけた者たちのために、その罪が赦されるようにと祈っていたのです。この状況でこんな祈りができることは尋常ではありません。しかも、この祈りはギリシア語では未完了形で記されています。つまり、一回切りの祈りではなく、繰り返しこの祈りを祈られたことを意味します。

●そうしたイェシュアの姿を見ていたひとりの強盗が、イェシュアに対して「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と「言う」という場合も未完了形、また指導者たちや群衆たちがイェシュアを嘲笑するときも未完了形で表わされています。しかしそんな彼らに対して、イェシュアも繰り返して「父よ。彼らをお赦しください。」と言って(祈っている)のです。日本語訳ではこのニュアンスは伝われにくい訳になっています。

●指導者たちや群衆たちがイェシュアを嘲笑するときも未完了形で表わされています。しかしそんな彼らに対して、イェシュアも繰り返して「父よ。彼らをお赦しください。」と祈っているのです。日本語訳ではこのニュアンスが捉えにくく訳されています。

2. 「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいる」

●そんなイェシュアの姿を見たひとりの強盗が、神に立ち返ったのです。そしてイェシュアにこう言いました。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」 (ルカ23:42)と。するとイェシュアは、「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(新改訳)と約束しています。この43節をヘブル語聖書で見ると「わたしはあなたに真実を告げます。あなたはきょう、わたしとともにエデンの園にいます。」としています。「パラダイス」を「エデンの園」(「ベガン・エーデン」בְּגַן־עֵדֶן)と訳しています。

●旧約において、死んだ者はすべて「シェオール」(よみ)に行きます。しかし、ここでイェシュアが「パラダイス」という言葉を使ったということは、「シェオール」にも二つの領域があるのだということが考えられます。一つは「アブラハムのふところ」であり、もう一つは「ハデス」です(ルカ16:19~31)。イェシュアが「パラダイス」ということばを悔い改めた強盗に使ったとすれば、「パラダイス」と「アブラハムのふところ」は同義と考えられます。ただし、イェシュアは常に「御国の福音」について語って来たことを考えるならば、「御国」の視点から「パラダイス」という概念を考える必要があります。

●もし「パラダイス」を「御国の福音」の視点から理解するならば、「あなたが、あなたの御国の位に着くとき」とはメシア王国が実現するときを意味します。それはある意味で「エデンの園」が回復される時でもあります。しかしその先があります。それは「永遠の御国」の最終ステージです。「メシア王国」と最終ステージの「永遠の御国」も射程に入れたところに、イェシュアは「あなたはわたしとともにいる」と約束されたと理解すべきではないかと思います。「御国の福音」の全体を学んだ者でなければ、それを理解することは難しいかもしれません。俗にいう、死んだらすぐに「天国」に行くという意味で理解するだけでは、神のご計画(マスタープラン)という神のみこころには関心がないということになってしまいます。神のヴィジョンと同じ方向を見ながら、神と共に歩むことを神は求めておられるのです。

2015.3.29


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