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創世記1章1節にある「メリズモ」修辞法と「バーラー」という動詞について

創世記1章1節にある「メリズモ」修辞法と「バーラー」という動詞について


はじめに

  • 私が神学校で最初に覚えたヘブル語の聖句は創世記1章1節でした。ヘブル語は右から読みます。

    画像の説明

    (読みは、右から左へ)

    べ・レーシート、バーラー、エローヒーム、エット、ハッ・シャーマイム、ヴェ・エット、ハ・アーレツ

    「初めに、神は天と地を創造された」

  • 創世記1章1節から二つのことを取り上げたいと思います。ひとつは「メリズモ」(「メリスム」と言う人もいます)という修辞法と「バーラー」という動詞の特徴についてです。

1. 「メリズモ」という修辞法

  • 前者の「メリズモ」という表現法ですが、「天と地」という二つの相反する言葉をつなぎ合わせることで「すべてのもの」を表わすことを言います。新共同訳では「天地」と訳していますが、原文では「天」と「地」の間に「と」という接続詞の「ヴェ」וְがあります。「天と地」は空間的総称を表わす表現法です。「天にあるものと地にあるもののすべて」という意味です。詩篇1篇2節にある「昼も夜も」は時間的、あるいは状況的総体を意味します。他にも「ダンからべエルシェバまで」といえば「北から南まで」(しかし、実際には「左から右まで」という意味。なぜなら、イスラエルの地図では東が上になるからです。)、あるいは、「日の上るところから沈む所まで」といえば地理的総体を意味します。「善と悪」といえば「善からはじまり悪に至る」知識の総体を意味します。このように全く逆のことばを使って全体を表す修辞法が「メリズモ」です。

2. 「バーラー」という動詞

  • 「神が、天と地を創造した」の「創造した」という動詞に「バーラー」בָּרָאというヘブル動詞が使われています。旧約聖書では54回も使われています。このことばはしばしば言われるように、必ずしも「無からの創造」を意味しません。むしろ、この動詞の特異性は、主語が神であるという点です(例外もいくつかあります。脚注・・)。つまり、この「バーラー」בָּרָאは、新しいもの、あるいは新たに更新されたものを生み出す限りにおいて、神の働きを指し示す動詞であり、神のために取り置かれているのです。
  • たとえば、イザヤ書43章7節には、創造に関する三つの動詞が使われています。

    「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造しבָּרָא、これを形造りיָצַר、これを造ったעָשָׂה。」


    英語訳では
    わたしがこれを創造しבָּרָא(created)、これを形造りיָצַר(formed)、これを造ったעָשָׂה(made)

  • 43章7節にある「形作った」と訳された「ヤーツァル」יָצַרと、「造る」と訳された「アーサー」עָשָׂהは、必ずしも主語が神であるとは限りません。ただし「ヤーツァル」יָצַרの場合はかなりの頻度で主語が神で使われてはいます(ちなみに、創世記では2:7, 8, 19に使われています)。何かを造ったり、仕立てたり、完成させたり作るときには「アーサー」עָשָׂהが使われます。ギリシャ語では「ポイエオー」ποιεω、英語ではdomakeの訳語が当てられます。
  • 「バーラー」בָּרָאという動詞が神の創造的な行為を表わすものだとすれば、詩篇51篇10節(新改訳、新共同訳は12節)の「神よ。わたしにきよい心を造り、ゆるがない霊を新しくしてください。」というダビデの祈りにおいて、きよい心を「造る」בָּרָאことができるのは神ご自身だけであり、神の創造のみわざであるというという信仰の告白となります。
  • 「創造する」(バーラー)という動詞が神の独占的な創造のみわざだということを考慮するなら、ダビデが祈った「きよい心」とは、神にしか創造しえないものであることを告白したものと言えます。
  • 「創造する」(バーラーבָּרָא)は旧約で54回使われていますが、創世記では11回、イザヤ書では21回と特愛用語になっています。以下はその箇所です。

    【創世記】
    1:1, 21, 27, 27/2:3, 2:4/5:1, 2/6:7
    【イザヤ書】
    4:5/40:26, 28/41:20/42:5/43:1, 7, 15/45:7, 7, 8, 12, 18, 18/48:7/54:16, 16, 19/65:17, 18, 18
    【詩篇】
    51:12(10)/89:12(13)/, 47(48)/102:18(19)/104:30/148:5
    【出】34:10 【民】16:30 【申】4:32 【ヨシ】17:15, 18 【1サム】2:29 【伝】12:1 【エレ】31:22 【エゼ】21:24, 24, 35/23:47/28:13, 15 【アモ】4:13 【マラ】2:10



脚注
神が主語ではない用例としては、以下の6例が挙げられます。
①ヨシュア記17:15, 18で「人が未開拓の部分を自ら切り開いて自分のものとする」という意味で使われています。パイオニア的精神の「バーラー」です。
②Ⅰサムエル2:29で「私腹を肥やす(太らせる)」という意味で使われています
③エゼキエル書の21:24, 24, /23:47

2011.11.4


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