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全イスラエルの意向としての王ダビデの登場

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11. 全イスラエルの意向としての王ダビデの登場

【聖書箇所】Ⅰ歴代誌 11章1~47節

ベレーシート

  • 11章でいきなりダビデが登場します。それまでのプロセスが一切なく、いきなり、全イスラエルの意向として、ダビデに王としての就任を要請します。
  • 11章の内容は、大きく三つに分けられます。
    (1) 全イスラエルの王としての就任を求められるダビデ
    (2) ダビデが王となって最初にしたこと
    (3) ダビデ王朝を支えていく勇士たちの存在

1. 全イスラエルの王としての就任を求められるダビデ

  • 11章1~2節「あなた」という言葉が連発されます。「あなた」とはダビデのことです。

【新改訳改訂第3版】Ⅰ歴代誌11章1~2節
1 全イスラエルは、ヘブロンのダビデのもとに集まって来て言った。「ご覧のとおり、私たちはあなたの骨肉です。
2 これまで、サウルが王であった時でさえ、イスラエルを動かしていたのは、あなたでした。しかもあなたの神、【主】は、あなたに言われました。『あなたがわたしの民イスラエルを牧し、あなたがわたしの民イスラエルの君主となる。』」

この箇所は、全イスラエル(全部族の代表)と主自身が、ダビデに対して「あなた」と呼ぶこと、実に、七回に及んでいます。
(1) 指示代名詞ハー」(ךָ〇〇)
①「あなたの骨」②「あなたの肉」③「あなたの神」④「あなたに」
(2) 独立代名詞アッター」(אַתָּה) 
①「イスラエルを動かしていたのは、あなたでした」②「あなたが・・牧し」③「あなたが・・君主となる」

  • ダビデはサウルの死後、七年半の間、ユダの小さな町ヘブロンで一部族の王となっていましたが、ここでは神がかつて約束した通りに、全イスラエルの王となる時が来たことを示しています。神の時が来るまで、ダビデは自分から決して王となろうとはしませんでした。ダビデはじっと神の時を待ったのです。単に、その時をじっと待っていたわけではないと思います。やがてその時が来たなら、何をすべきかを思い巡らしながら備えて待ったのです。「待つ」というのは、たやすいことではなく、むしろ非常にレベルの高い霊的訓練と言えます。
  • 神の最善の時、神の最善の方法で、神のみこころがなることをひたすら待つところに、神の民の本来の姿、すなわち礼拝者の姿があります。
  • 全イスラエルの長老たち、および各部族から集まった兵士たちは、ヘブロンにおいて、ダビデに油を注いでイスラエルの王としたのです(11:3)。12章38〜40節には、新しい王の誕生を祝った祝宴の様子が描かれています。

2. ダビデが王となってから最初にしたこと

  • ダビデが王となったことで最初にしたことは、シオンの要害をイスラエルの中心地としたことです。そこにはエブス人が住んでいましたが、ダビデはその地を攻め取りました。これが「ダビデの町」と呼ばれるようになります。ちなみに、聖書にはもうひとつ、「ダビデの町」と呼ばれる場所があります。それはダビデの出身地のベツレヘムであり、預言された主イエスが誕生された場所です。御使いが羊飼いたちに「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。」(ルカ2:11)という「ダビデの町」は、ベツレヘムのことです。
  • 「シオン」(「ツィッヨーン」צִיּוֹן)は、旧約で154回使われていますが、そこに天幕が張られ、神の契約の箱が安置されます。それが「ダビデの幕屋」と呼ばれるものです。

(1) シオンの地理的意味
シオンとは「要害」という意味で、エルサレムそれ自体が難攻不落の堅固な要塞の町です。東には険しい峡谷、南と西には外敵に対する砦が築かれていました。シオンは小高い丘であり、エルサレムの南西に位置していました。そこにダビデは契約の箱を安置する天幕を張ったのです。

(2) シオンの霊的意味
聖書では他の山々にまさってシオンの山が特筆されます。その理由はただ一つ。そこにダビデの幕屋が置かれ、神の臨在がそこに満ち溢れていたからです。主の定め(神のマスタープラン)によれば、メシアがそこを中心として全地を治めるようになるのです。
① シオンは神が選ばれた(愛された)場所(詩篇132:13)
② 神はシオンの中に住まわれた(詩篇9篇11節)
③ シオンは麗しい所、全地の喜びの場所である(詩篇48:2, 11/50:2)


3. ダビデを支えた勇士たちの存在

  • Ⅰ歴代誌11章には、ダビデ王朝を支えていく勇士たちの存在がいたことを記しています。その一つのエピソードが、ペリシテの支配にあったベツレヘムからダビデのために命がけで水を汲んできた三人の勇士たちの話です。並行箇所のⅡサムエル記23章では、「ヤショブアム(יָשָׁבְעָם)、エルアザル(אֶלְעָזָר)、シャマ(שַׁמָּא)」の三人ですが、なぜか歴代誌では「三人の勇士」とありながら、もう一人の名前が記されていません。これは歴代誌のミステリーです。「シャマ(シャンマー)」(שַׁמָּא)の名前の意味するところは不明ですが、Ⅱサムエル記23章12節には「隊をなしているペリシテ人に対して、果敢にも一人で戦い、主の大勝利をもたらした人物であることが記されています。「シャマ」(שַׁמָּא)の語根が「שׁמ」とすれば、神の息、神の主権的な力を意味します。三人の名前を列挙すると、「神は民とともに住む・神は助ける・神の力ある息をもって」という意味になります。ダビデは自分の三人の部下たちが命をかけて汲んできた水を飲むことはできませんでした。
  • いずれにしても、ダビデとこの三人の勇者のうるわしいかかわりは、一朝一夕にして築かれるものではありません。サウル王の執拗な追跡をかわしながら、荒野をさまようという厳しい苦楽の生活を共にすることで築かれたものです。サウルにはそれがありませんでした。ダビデの後継者のソロモンにもありませんでした。これはダビデに与えられた神からの賜物です。
  • 三勇士たちは、サウルの治世においてはならず者でした。しかしダビデと苦楽を共にすることで、やがてダビデの親衛隊となり、ダビデの王権を強固なものとし、ダビデの治世を支えていったのです。三人の勇者たちに代表されるダビデを支える者たちに恵まれたというところに、ダビデが神によって愛されたことを見ることができるのです。


2013.12.17


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