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使徒ヨハネの自己紹介

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9. 使徒ヨハネの自己紹介

【聖書箇所】 1章9節

【新改訳改訂第3版】
私ヨハネは、あなたがたの兄弟であり、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐とにあずかっている者であって、神のことばとイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。

【新共同訳】
わたしは、あなたがたの兄弟であり、共にイエスと結ばれて、その苦難、支配、忍耐にあずかっているヨハネである。わたしは、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた。

【岩波訳】
あなたたちの兄弟でもあり、イエス・キリストのうちにあって、患難と王国と忍耐とをあなたたちと共にわかち合っている私ヨハネは、神の言葉〔を伝え、〕またイエス・キリストについて証言〔した〕ために、パトモスとよばれる島にいた。

【塚本訳】
君達の兄弟であり、(主にある)患難と、(来るべき)王国(における幸福)と、(また)イエス(来臨)の待望とを共にする(この)私ヨハネは、神の言とイエスの証明と(を伝えたこと)のために、パトモスという島に(流されて)いた。


1. ヨハネの自己紹介

  • ヨハネは自己紹介するにあたって、「私、ヨハネは」と書いています。これは同じ黙示文学のダニエル書と類似しています(ダニエル書7:28/9:2/10/2参照)。自分と源を同じくする者たちを「兄弟」と呼び、また、主イエスを信じることによる苦難と、主の恵みに満ちた御国とそれを待望する忍耐とを共有する者として紹介しています。ギリシア語の「スンコイノーノス」(συγκοινωνός)は、「共に」を意味する「スン」(σύν)と、「共有の」を意味する「コイノーノス」(κοινωνός)の合成語で、共同の分担者、共同の連帯人を意味します。
パトモス島.JPG
  • また、「忍耐」と訳されている「ヒュポモネー」(ὑπομονή)は、「堅く踏みとどまる」を意味する動詞「ヒュポメノー」(ὑπομένω)の名詞で、塚本訳は「イエス(来臨)の待望」としています。つまり、消極的にただじっと我慢している忍耐の意ではなく、むしろ困難と迫害に敢然と立ち向かい、これに挑戦する積極的な態度を表します。それは同時に、キリストの再臨によって完成する御国を待ち臨むところの信仰的忍耐です。
  • 「苦難」の原語「スリプシス」(θλίψις)は、普通一般の苦難ではなく、宗教的迫害による苦難を意味します。つまり、当時のキリスト者がすでにローマ皇帝による迫害を受けていたことを示しています。そしてヨハネ自身もその迫害のゆえに、エーゲ海上にあるパトモスと呼ばれる島に囚人として流刑されたのです。しかし、孤独という境遇の中で、ヨハネはこれから起こる出来事と天にある栄光のヴィジョンを開示されたのでした。

2. パトモスと呼ばれている島

  • ヨハネがパトモスと呼ばれる島にいたその理由を、ヨハネ自身が「神のことばとイエスのあかしとのゆえに」と記しています。これは、ヨハネが神のことばを宣べ伝え、イエスについてあかししたためということです。
  • 現在のパトモス島は、写真で見る限りとても美しい島ですが、この島はローマ人によって政治的な犯罪者の流刑地でした。イエスをあかしし、神のことばを伝えたために、首を切られたり、火あぶりの刑にされたりした人々もあれば、ヨハネのように島流しにされた人もいたのです。

    画像の説明

    今日のパトモス島は開発が進み、観光地になっていますが、ヨハネが置かれた時の環境は、いばらと岩の島でした。周りは海に囲まれ、独自の水源はなく、食料の乏しい所で、しかも太陽の日差しの強い厳しい所でした。人間的には厳しい環境の試練に耐えながら、ヨハネは終末預言を書き残すという使命を全うしたのです。


2013.11.22


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