****** 詩篇は、神と私たちの生きた関係を築く上での最高のテキストです。******

仮庵の祭りとその預言的意味・後篇

9. 仮庵の祭りとその預言的意味 (後篇)

ハグ・ハスッコート
画像の説明

ベレーシート

  • 今回は、主の例祭における秋の祭りを締めくくる「仮庵の祭り」の後篇です。主の制定された「例祭」にはすべて神の不変のご計画のマスタープランが啓示されていますが、特に今回の「仮庵の祭り」は重要です。キリスト教の三大祭と言えば、「クリスマス・イースター・ペンテコステ」ですが、再度、下の図を見ていただくと分かるように、キリスト教では祝うことのない「仮庵の祭り」が、イェシュアの「誕生」「公生涯の開始」「地上再臨」「メシア王国における唯一の祭り」と深いつながりをもっているのです。今回は、そのことを一つひとつ取り上げながら、この仮庵の祭りが単にユダヤ人たちの祭りではなく、私たち異邦人クリスチャンにとっても意味のある祭りであることを学びたいと思います。
仮庵の祭りチャート(2).JPG
  • 神のご計画(マスタープラン)を単に頭で理解するのではなく、「祭り」「祝祭」という形で体感できるように、今年から「空知太バージョン」の「仮庵の祭り」を計画するように導かれています。「秋の祭り」の特徴は、イェシュアの再臨によってこの地上に実現するメシア王国と永遠の御国の到来です。と同時に、神の御子イェシュアがこの地上に誕生し、宣教を開始した日でもあるのです。従来の12月にもたれる「クリスマス」は、主の例祭とは結びついていないために、神のご計画の全体像を思い巡らすことにおいて脆弱性をもっています。私たちにとって重要なことは、神のご計画(マスタープラン)です。この視点から私たちはこれまでの祝祭の習慣から脱却して、信仰的な文化創造をしなければなりません。

1. イェシュアの誕生は仮庵の祭りの時期

  • イェシュアが誕生した時期は12月25日ではなく仮庵の時期であったということは、ある人たちにとってはすでに常識になりつつあります。しかし多くのクリスチャンたちはいまだに、イェシュアが生まれたのは12月25日だと信じています。しかしこの日を「クリスマス」としたことは、ローマ帝政時代における政治的戦略―異教文化の受容―と深いかかわりを持っていました。ここではクリスマスの成立についての歴史的経緯については触れずに、イェシュアの誕生が仮庵の祭りの時期であったことを聖書から論証したいと思います。

(1) イェシュアがベツレヘムで誕生された時は、五旬節から仮庵の祭りまでの期間であること

  • イェシュアの誕生が冬の12月ではないことを証拠づけるものとして、イェシュアの誕生が最初に知らされたのがベツレヘムで羊の群れを飼っていた羊飼いたちであったという事実です。

【新改訳改訂第3版】ルカの福音書2章8~11節
8 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

  • 「羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた」ということが可能な季節は、五旬節から仮庵の祭りの間の期間だということです。「この土地」(ルカ2:8)とあるのはベツレヘムの農耕地(=麦畑)です。五旬節頃に小麦の収穫が始まり、収穫が終わるとその農耕地に草が生えるため、しかも乾季に入るため、羊飼いたちがその農耕地に生える草を羊に食べさせることが許されました。羊飼いたちがその麦畑に生えた草を羊に食べさせる代わりに、農耕地の主人は麦畑にあるいちじく桑の木を栽培する仕事を頼んだようです。そのようなかかわりがあったことを示しているのが預言者アモスの職業です。預言者アモスは自分が預言者として神に召されたことを語る箇所で自分のプロフィールを以下のように記しています。
テコア.JPG

【新改訳改訂第3版】アモス書7章14~15節
14 アモスはアマツヤに答えて言った。「私は預言者ではなかった。預言者の仲間でもなかった。
私は牧者であり、いちじく桑の木を栽培していた
15 ところが、【主】は群れを追っていた私をとり、【主】は私に仰せられた。『行って、わたし
の民イスラエルに預言せよ』と。


●「私は牧者であり、いちじく桑の木を栽培していた」とあります。アモスの出身は「テコア」(右図)で、そこはベツレヘムに近い場所にあります。ちなみに、ユダ出身のアモスは北イスラエルの民に預言しました。

  • このように、「羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた」ということが可能な季節は、冬の季節ではなく、五旬節から仮庵の祭りの間の期間だということは分かりました。しかし、これではイェシュアの誕生日を特定するにはあまりにもアバウトすぎます。もっとより正確な情報が必要です。

(2) イェシュアの誕生はバプテスマのヨハネの誕生の六か月後であること

  • マリヤが懐妊したことを御使いのガブリエルから告知される六か月前に、親類のエリサベツが懐妊しています。

【新改訳改訂第3版】ルカの福音書1章5~31節より抜粋
5 ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。
7 エリサベツは不妊の女だったので、彼らには子がなく、ふたりとももう年をとっていた。
13 御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。
23 やがて、務めの期間が終わったので、彼は自分の家に帰った。
24 その後、妻エリサベツはみごもり、・・・・
26 ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。
27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。
30 ・・・御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。
31 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。

  • バプテスマのヨハネが誕生した時期がいつであるかという情報は、エリサベツが懐妊した時がいつかということにつながります。その時は夫のザカリヤがエルサレムで祭司としての務めをしていた頃です。ザカリヤはアビヤという組の祭司で、アビヤという組が神殿で奉仕する時期は正式に決められていました。Ⅰ歴代誌24章10節によれば、アビヤ組は24組のうちの第8番目で、シバンの月(今の暦では5月中旬~6月中旬)の第12~18日の一週間が神殿での奉仕日に当たっていました。それが終わってからエリサベツがみごもったのですから、6月に入ってからと考えられます。それから十か月後に生まれたとすれば、ほぼ「過越の祭り」の頃になり、その六か月後にイェシュアが生まれたとするなら、それはちょうど「仮庵の祭り」の頃になるのです。

(3) 「飼葉おけ」は「(仮)小屋」のこと

  • ベツレヘムで誕生したイェシュアは、布にくるまれ、「飼葉おけ」に寝かせられた(ルカ2:7)とあります。そこには、宿屋には彼らのいる場所がなかったからであるという理由まで記されています。「飼葉おけ」と訳されたギリシア語は「ファトネー」(φάτνη)ですが、これをヘブル語にすると「エーヴ―ス」(אֵבוּס)となり、「小屋」という意味にもなります。「ヴェエーヴース」(בְּאֵבוּס)で「仮小屋で」とも訳せるのです。つまり、その時期は宿屋で出産できなかったとしても、その周辺に仮小屋があって、そこで布にくるまれた初子が寝かせられたと解釈できます。必ずしも「飼葉おけ」と限定する必要はないのです。「小屋(=仮庵)の中に寝かせられた」と訳しても間違いではないと考えます。
  • またこの時は、ヨセフとマリヤがローマ皇帝の勅令によって自分の故郷であるベツレヘムに行き、人口登録をしたのですが、主の例祭がなされる時期を見計らって、ローマ皇帝がそれをうまく利用したとも考えられます。

(4) ロゴスなるイェシュアは人となって仮庵に住まわれた

【新改訳改訂第3版】ヨハネの福音書1章14節
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。

  • ロゴスとしてのイェシュアは人となって、私たちの間に住まわれたとあります。「住まわれた」と訳されたギリシア語の「スケーノー」(σκηνόω)は、「イェシュアが仮庵をまとわれた」ということ。つまり、「イェシュアは天幕(テント)を張ってそこに住む」という意味です。ヘブル語にすると「シャーハン」(שָׁכַן)という動詞になりますが、それは神と人とが共に「住む、とどまる」ことを意味します。「天幕」とは「テント、仮庵」のことです。つまり、イェシュアは、この地上において、33年半(このことは後で詳しく取り扱います)という一時的な滞在をされたのです。
  • 仮庵の祭りは第七の月(ティシュレーの月)の第15日と決まっています。人々はその日から仮庵を作って、かつて出エジプトをした民が40年間の荒野での生活(=仮庵の生活)を思い起こし、そのときの神の恵みを次の世代に語り告げました。主の例祭に啓示されている神のご計画(マスタープラン)は正確です。ですから、イェシュアが人となって仮庵に住まわれた時が、もし仮庵の祭りではなかったとするならば、他の主の例祭との整合性が取れません。
    「過越の祭り」においてイェシュアが罪のいけにえとして十字架にかかられたのは、主の例祭に啓示された神のご計画に沿った出来事でした。イェシュアが三日目に死から復活されたことも、その日が主の例祭としての「初穂の祭り」だったからです。逆の言い方をするならば、モーセの律法に規定された「初穂の祭り」は、やがてメシアなるイェシュアが「復活のからだの初穂」となることを啓示していたのです。とすれば、イェシュアの誕生(初臨)も再臨も「仮庵の祭り」の時でなければならない必然性があるのです。
  • 私たちが神のご計画に沿って神とともに生きようとするならば、12月25日をクリスマスとしてイェシュアの誕生をお祝いするということは信仰的な良心が痛むはずです。これまでの伝統や、伝道至上主義的な視点からの理由ではなく、ユダヤ的・ヘブル的視点から聖書を再解釈して、神の真理に立たなければなりません。すべてはそこが出発点だからです。

2. イェシュアの公生涯は30歳になった仮庵の祭りから始まった

  • この地上でのイェシュアの生涯(=仮庵生活)は何年間だったのでしょうか。33年? それとも33年半?
    はっきりとしていることは、イェシュアが公生涯に入られたのは30歳になってからということです。イェシュアが30歳で公生涯を始めたとすれば、その30歳に公生涯の働きの期間を足せば、イェシュアの生涯がどれほどであったかが正確に分かります。しかしその前に、なぜイェシュアが30歳になるまで宣教の働きをすることなく沈黙の期間を過ごされたのか、そのことを考えてみたいと思います。

    【新共同訳】
    ルカ 3:23 イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった。(新改訳は「教えを始められとき」と訳されています)

(1) 30歳からイェシュアの公生涯が始まった

  • 「およそ三十歳」の「およそ」と訳された「ホーセイ」(ὡσεί)という副詞は、新約聖書で21回使われています。そのうちの15回はルカ文書(福音書&使徒の働き)で使われていますが、意味は以下のように二つあります。

    ①「~のように」で、羊飼いのない羊のように、死人のように、火のように、御使いのように。

    ②「ほど、およそ」で、人数(五千人ほど、百二十人ほど)、日(八日ほど)、時間(十二時ごろ)、距離(石を投げて届くほどの所)、年齢(およそ三十歳)。

    ●これらはルカの特徴的な感覚表現と言えます。ですからイェシュアの宣教のミニストリーが開始された歳が30歳であった、としても間違いではないわけです。
    ●あるいは、「およそ三十歳」という表現は、イェシュアの宣教開始が第七の月の第一日の「ラッパを吹き鳴らす日」であったことも考えられます。というのは、その日は新年を知らせるためたけでなく、その後に続く十日目の「大贖罪日」と十五日目の「仮庵の祭り」が始まることを告知するためでもあったのです。「ラッパを吹き鳴らす」ということは、神からの新たな告知の象徴的行為なのです。

  • それにしても、なぜイェシュアは30歳まで本格的な働きを待たれたのでしょうか。ユダヤ人は13歳で成人式を迎えます。その1年前(12歳)の時のイェシュアの姿がルカの福音書2章40~52節に記されていますが、すでにその時のイェシュアがエルサレムの人々の目に、あるいは両親の目にどのように映ったのか、それを一言で言うならば、「唖然とさせる驚きの存在」でした。それはイェシュアが神の律法(おしえ)の理解において並外れていたということです。イェシュアの誕生の目的を考えるならば、いよいよその頭角を顕わにされたときに、この世に出て多くの働きをしてもおかしくありませんでした。ところがイェシュアは30歳になるまで、ナザレという村で、沈黙の日々の中に過ごされたのでした。これは驚きです。大きな可能性を秘めた優秀な人材を30歳になるまで登用することなく、そのまま眠らせておくでしょうか。この世ではそんなことは絶対にしません。それを用いるために自分の行くべき場所、あるべき場所を探すか、あてがわれるはずです。しかしイェシュアはご自分の時をじっと待つ日々を送られたのでした。
  • ここにイェシュアの「謙遜」があります。この人だったらどこでも通用するといった人材であったとしても、時が来て、御父のゴー・サインがなければ決して腰を上げないということの中に真の謙遜があるのです。イェシュアは公生涯に入られる前にバプテスマのヨハネから洗礼を受けています。それはいわば御父による御子イェシュアの就任式でした。その後に40日間の荒野での試みを受けられ、御霊の力を帯びてガリラヤに行き、そこから働きが開始されています。働きの準備段階をも含めるなら、「およそ30歳」という表現は的確な表現と言えます。
  • ちなみに、
    ダビデは、サムエルを通してイスラエルの王となるべく油を注がれました。しかし、ダビデが30歳にしてイスラエルの正式な王となるまでの10余年間、彼は流浪の旅を経験します。サウル王の妬みを買い、追われ、数々の辛い目に会い、忘恩の仕打ちを受けました。これらの経験を通してダビデは人間の真相を学び、その罪深さを、身をもって知らされます。しかしそうした下積みの苦難を味わったことがダビデの人格を磨き、やがて王としてふさわしい者となって行きました。ダビデが経験した数多くの苦しみは、神と人とのかかわりにおける味わいのある珠玉の詩篇を生み出しました。
  • ヨセフに与えられた役職は、「首相」とも「宰相」とも「総理大臣」とも言われています。そのときのヨセフの年齢は30歳でした。管理者としての真の実力が問われる地位に立たされたのですが、それに対応できるように神はすでに父ヤコブのところにいたときから父の財産を管理させ、ポティファルの家や牢獄においてもその管理能力を養うように導いておられました。全エジプトを治める知恵と力もその経験の延長上にあったのです。人々に飢饉のために備えさせたヨセフは、神のご計画のために自らも日々備えていたと言えます。
  • 主の宮で賛美の奉仕するレビ人の資格は30歳以上・・イスラエルにおいて一人前の男として数えられるのは20歳以上でした。しかしダビデの時代、主の宮に関わるレビ人は30歳以上でした。つまり職務の重責のゆえに、より厳しいものが要求されたのです。歴代誌によれば、主の宮で奉仕するレビ人は30歳以上の者で3万8千人いたとあります(Ⅰ歴代誌23:3)。レビ人のうち4千人は「ダビデが賛美するために作った楽器を手にして、主を賛美する者」として登用されたとあります。礼拝のために仕えるレビ人の働きは20歳になってからですが、ダビデ・ソロモン時代においての賛美の奉仕をするレビ人は30歳になってからでした。その分、音楽の技術的な訓練、および霊的な訓練が求められたのだと考えられます。国家挙げてのプロジェクトでしたから、それなりの質が求められたと考えられます。
  • このように「30」という年齢は、神に仕える務めをするにふさわしい神が定められた年齢なのだということです。ですから、イェシュアが公生涯に入られた時が30歳であったのは必然的なことであったのです。

(2) イェシュアの公生涯の期間は三年半

  • イェシュアの公生涯が30歳の時からはじまり、その期間は三年とも、三年半とも言われます。さて、どちらが正しいのでしょうか。ウキペディア(インターネットの百科事典)によれば、

    公生涯とは、イエス・キリストの公の生涯という意味で用いられる。福音書の記述によるとイエス・キリストが30歳で荒野でサタンの誘惑に勝利し、ユダヤで公の活動を始めたことから始まり、十字架までの約三年半の期間を指す。

    と説明されています。この説明は、逆算すれば、イェシュアが宣教を開始されたのは仮庵の祭りの頃ということを示しています。
  • イェシュアの公生涯が三年半であるということを裏付けるもう一つの証拠があります。それはやがて来る大患難における反キリストの真の活動が三年半だということです。偽りの神であるサタンは、神やキリストを真似することにおいては天才的です。そのサタンの支配の下で、やがて海から上がってくる「獣」と言われる反キリストは「42か月間活動する権威を与えられた」(黙示録13:5,11:2も参照のこと)とあります。この「42か月」とは「三年半」のことです。それゆえ、イェシュアは「諸国の⺠が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、⼈々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。」と預言されました(ルカ 21:25〜26)。その期間、反キリストに対抗して、主を証しする「二人の証人」が「1260日の間預言する」とあります(黙示録11:3)。この「1260日」をユダヤ暦の360日で割るとちょうど「三年半」となります。しかも彼らは「三日半の後」に復活します。神のご計画にはこうしたイェシュアを中心とする「」が、聖書のいたるところに存在しています。それは神のご計画について、私たちにはっきりと悟らせるためなのです。
  • 以上、イェシュアの誕生が仮庵の祭りの時であること。また、宣教の開始も仮庵の時であることを論証して来ました。最後に、イェシュアがメシアとしてこの地上に再び戻って来られる時(地上再臨)には、「仮庵の祭り」が啓示していたことが実現します。

3. イェシュアの地上再臨は仮庵の祭りの時

  • イェシュアの再臨は仮庵の祭りの時であると確定するとすれば、異端だと言われかねません。イェシュアの再臨と仮庵の祭りと密接な関係にあると言えば、異端呼ばわりは免れます。しかし、恐れずに言うならば、主の例祭全体が啓示していることから考えるならば、主の再臨は仮庵の祭りの時とみなすことはきわめて自然であり、神のご計画において整合性が取れるのです。但し、誤解しないでいただきたいのは、これは主の地上再臨の場合のことを言っているのであって、教会が空中携挙される時のことではありません。空中再臨と教会の携挙の日がいつかは分かりません。決して特定することはできないのです。それゆえ、その時を待つことにおいて緊迫性があります。
  • イェシュアが地上再臨された後のメシア王国(千年王国)においてなされる唯一の主の例祭があります。それは「仮庵の祭り」です。メシア王国でなされる祭りとしては、この「仮庵の祭り」の他には聖書では言及されていません。したがって、

【新改訳改訂第3版】ゼカリヤ書14章16~17節
16 エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の【主】である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。
17 地上の諸氏族のうち、万軍の【主】である王を礼拝しにエルサレムへ上って来ない氏族の上には、雨が降らない。

  • ゼカリヤ書に記されている上記の聖句には、エルサレムを攻撃するために上ってくるすべての民が滅ぼされるのではなく、その中に生き残る者があること。つまり、イスラエルの民のために再臨される主の栄光を見て、その威光に打たれて回心する人々(異邦人)がいること。そしてメシア王国が実現してからは、その人々が、毎年、エルサレムに主を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来るということが預言されています。と同時に、17節にあるように、上って来ない者たちがいることが記されており、彼らの上には雨が降らないということも預言されています。
  • メシア王国では、朽ちないからだを与えられた者とそうでない者(患難時代を潜り抜けた人々や主に敵対していたけれども主の威光にふれて回心した者たち)とが混在します。朽ちないからだを持つ者たちは、神の律法が心に書き記されて神に敵対する者はいませんが、朽ちるからだで入った者たちはその肉のゆえに、神に敵対することもあるのです。ですから、メシアは鉄の杖をもったままで支配されるのです(詩篇2:9)。とはいえ、メシア王国ではサタンは幽閉され、またサタンの手下である獣と呼ばれる「反キリスト」も「にせ預言者」も「硫黄の燃えている火の池」に投げ込まれるために、千年王国は私たちの想像を越えた祝福に満ちた世界となります。そうした世界を、聖書によってより深く学ぶことは、私たちの信仰をより確固不動にしていくことは間違いありません。
  • 秋の祭り(ティシュレーの月)の一日目は「ラッパの祭り」と呼ばれ、ラッパ(ショーファー、角笛)の響きとともに始まります。そしてその月の第十日目には年に一度の「大贖罪の日」です。その日はイスラエルの民族的回心を啓示しています。主は「恵みと哀願の霊」を注ぐことによって(ゼカリヤ12:10)、あるいは、主がその息を四方から吹かせることによって(エゼキエル37章)、神の民を民族的に主に立ち返らせることを啓示しています。そして第十五日目から始まる仮庵の祭りは、イェシュアが王なるメシアとして地上に再臨し、贖われた者たちと共に住むことが実現されます。再臨を仮庵の祭りの時とするのは、神のマスタープランにおいて必然性があると信じます。
  • メシア王国は「千年」という限定つきのメシアによる支配ですが、仮庵の祭りが七日間で終わるのではなく、八日目も聖なる日として祝うのは、八日目がメシア王国の後に来る完全な永遠の御国を啓示しているからです。ヘブル人への手紙の著者は11章1節で、信仰の定義を次のようにしています。

信仰とは、望んでいる事がらを保証する(確信させる)もの(1節前半)
信仰とは、目に見えないもの(事実)を確信(確認)させるもの(1節後半)

  • この1節はヘブル語法の特徴である同義的パラレリズムによって書かれています(ヘブル人への手紙の著者はユダヤ人であることをお忘れなく)。つまり、「望んでいる事柄」と「目に見えないもの」とは同義です。「保証するもの」と「確信させるもの」も同義です。つまり、「望んでいる事柄」と「目に見えないもの」とが同義であるならば、それは「天にあるもの」、つまり「永遠の事柄」ということになります。私たちの望んでいる事柄は大方「目に見えるもの」ですが、使徒パウロも言うように、「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(Ⅱコリント4章18節)。
  • ヘブル人への手紙の著者は明らかに、メシア王国を越えて、最終ステージである「永遠の御国」=「シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム」(ヘブル12:22)、「揺り動かされない御国」(12:28)に目を向けています。その証拠に、生涯を天幕で過ごした信仰の父であるアブラハムは、「堅い基礎の上に建てられた都」を待ち望んでいたとしています(ヘブル11:10)。この「都」とは、黙示録21章2節にある「聖なる都、新しいエルサレム」です。

最後に

  • 主の例祭はユダヤ人に与えられたものだから、新約の私たち(=異邦人)は守らなくても良いという人がいますが、そうではありません。主の定められた例祭の意味を正しく理解して、これからなされる神のご計画のヴィジョンに向かって、神と共に歩むことは常に新しいことなのではないでしょうか。特に、仮庵の祭りはメシア王国において実現される安息と同時に、それを越えて、新しい天と新しい地における永遠の御国における神の安息を思い巡らす時なのです。とすれば、この「仮庵の祭り」を祝う事にはとても大きな意味があるのではないかと思います。
  • 仮庵の祭りの最後の「八日目」は「祭りの終わりの大いなる日」として、その日を「聖なる日」として祝うことを主は命じています。まさにそれは神と人とがともに住む「永遠の御国」における「新しいエルサレム」の啓示だからであり、その時が来ることを悟るようにと制定された日だと信じます。古い天と古い地においては、第七日目が神の安息日でしたが、「新しい天と新しい地」での神の安息は、仮庵の祭りの「八日目」でそのことを啓示していると考えられます。この神の安息はまだ神の民のために残されているのです。この最後の安息を失うことは、「目に見えない、望んでいる事柄」のすべてを、永遠に失うのに等しいのです。 
  • 前篇でも言いましたように、私たちが神のご計画(マスタープラン)の重要性を深く心に覚えるために、当教会としては初めての試みですが、今年の秋の9/27(日)~10/4(日)を特別な祝祭の期間として過ごしたいと思います。どのような形になるのかは未定ですが、これから時間をかけて検討して、それにふさわしい準備をしていきたいと思います。

2015.5.17


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