****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

仮庵の祭りとその預言的意味・前篇

8. 仮庵の祭りとその預言的意味 (前篇)

ハグ・ハスッコート
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ベレーシート

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  • 今回は、秋の祭りを締めくくる「仮庵の祭り」を取り上げます。前回は一年の中で最も厳粛な日である「贖罪の日」(「大贖罪日」とも呼ばれます)を取り上げましたが、今回はその日から五日目にやってくる「仮庵の祭り」です。秋の収穫祭でもあるため、主の例祭の中では最も喜ばしい祭りです。ヘブル語表記は、祭りを意味する「ハグ」(חַג)と、仮庵を意味する「スッカー」(סֻכָּה)の複数形の「スッコート」(סֻכּוֹת)に、冠詞の「ハ」(הַ)がついて、「ハグ・ハスッコート」(חַג הַסֻכּוֹת)となります。日本語では略して「スコット」と表記されています。第七の月(ティシュレー)の15日(14日の日没)から、七日間(後に八日間)にわたってなされる「主の例祭」です。
  • モーセの律法では、イスラエルの民の成人男子は年三回の例祭のためにエルサレムに集まることが定められています。その三回のうち第一回目は「過越の祭り」「種を入れないパンの祭り」「初穂の祭り」がセットになっています。第二回目は同じく春の祭りの「七週の祭り」、そして第三回目は「ラッパの祭り」「贖罪の日」「仮庵の祭り」がセットです。特に秋の祭りは、第七の月の第一日目にラッパが吹き鳴らされた後、人々はエルサレムに行き、十日目の「贖罪の日」で断食をし、十五日目から始まる「仮庵の祭り」の準備をしたのです。こうした祭りのためにユダヤ人たちは家を留守にしなければなりませんが、その祭りの間、主が家や耕地を守ってくださると約束されたのです。
の仮庵の祭りチャート.JPG
  • 主の制定された「例祭」にはすべて神の不変のご計画のマスタープランが啓示されていますが、特に今回の「仮庵の祭り」は重要です。右の図を見ると分かるように、「仮庵の祭り」はイェシュアの「誕生」「公生涯の開始」「地上再臨」「メシア王国」と深いつながりがあるのです。ですから、この祭りは単にユダヤ人たちのための祭りではなく、私たち異邦人クリスチャンにとっても、意味のある祭りなのです。どのようにして主のご計画を私たちが共に歩んでいくか、そのことを心に据えるために特別な時を持つことは、これからの時代においてとても重要なことです。従来の伝統的な冬のクリスマスではなく、神のマスタープランに従った主の誕生を祝わなければなりません。また、主がイスラエルの民を荒野において訓練されたように、私たちの生存と防衛の保障が主にのみあることを告白し、特別な感謝のささげものをしつつ、主の再臨を待ち望むという「祭り」をするために、主の「仮庵の祭り」を十分に学び、それを新しい形において行わなければなりません。
  • 今回のこのメッセージを準備する中で、私たちが神のご計画(マスタープラン)の重要性を深く心に覚えるために、当教会としては初めての試みですが、今年の秋の9/27(日)~10/5(月)を特別な祝祭の期間として過ごすようにと導かれています。どのような形になるのか、これから時間をかけて検討し、それにふさわしい準備をしていきたいと思いますが、おそらく当教会において、画期的な新たな催しとなっていければと願っています。
  • さて、まずはこの「仮庵の祭り」の制定について、聖書のテキストを読んでみましょう。

【新改訳改訂第3版】レビ記 23章34~36、39~43節
34「イスラエル人に告げて言え。この第七月の十五日には、七日間にわたる【主】の仮庵の祭りが始まる。
35 最初の日は聖なる会合であって、あなたがたは、労働の仕事はいっさいしてはならない。
36 七日間、あなたがたは火によるささげ物を【主】にささげなければならない。八日目も、あなたがたは聖なる会合を開かなければならない。あなたがたは火によるささげ物を【主】にささげる。これはきよめの集会で、労働の仕事はいっさいしてはならない。
39 特に、あなたがたがその土地の収穫をし終わった第七月の十五日には、七日間にわたる【主】の祭りを祝わなければならない。最初の日は全き休みの日であり、八日目も全き休みの日である。
40 最初の日に、あなたがたは自分たちのために、美しい木の実、なつめやしの葉と茂り合った木の大枝、また川縁の柳を取り、七日間、あなたがたの神、【主】の前で喜ぶ。
41 年に七日間、【主】の祭りとしてこれを祝う。これはあなたがたが代々守るべき永遠のおきてとして、第七月にこれを祝わなければならない。
42 あなたがたは七日間、仮庵に住まなければならない。イスラエルで生まれた者はみな、仮庵に住まなければならない。
43 これは、わたしが、エジプトの国からイスラエル人を連れ出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを、あなたがたの後の世代が知るためである。わたしはあなたがたの神、【主】である。」

  • 今日も、ユダヤ人たちはこの祭りを守り、家の屋上や庭に仮庵を建てて七日間をそこで過ごすようです。私たちは同じことはできませんし、その必要もないと思います。しかしこの祭りが意味する精神を正しく理解して、大げさな言い方ですが、どこかの真似事ではなく、「空知太バージョン」による新しい文化創造ができればと願っています。

1. 旧約のイスラエルの歴史における「仮庵の祭り」

  • とにかく、この「仮庵の祭り」というのはキリストの再臨、すなわち、神のご計画の成就と深く結びついています。キリスト教会において大切なこととされている「聖餐」があります。カソリック教会のミサはいわばこの聖餐が主体ですが、プロテスタント教会は必ずしも礼拝の中でいつも行われているわけではありません。自由な扱いがなされているのが現状です。
  • 今年(2015)初めて行った「主の受難-24」の瞑想において、私はこれまで気づかなかったことを多く発見させられました。その一つに、「聖餐」の中で教会が「キリストの花嫁」であるという認識が欠如していることに気づかされました。実は、この「キリストの花嫁」という概念はユダヤの婚礼のしきたりの視点がないと理解することが難しいのです。福音派のある有名な先生の書かれた「教会」についての書籍の中で教会を象徴する18の項目を挙げていますが、その中になぜか「キリストの花嫁」という項目が抜け落ちています。なぜでしょうか。それはヘブル的・ユダヤ的視点が教会の歴史のある時点で断ち切られてしまっているからだと思われます。昨今(以前にも)、再臨待望聖会が催されているのは、本来、聖餐の中で取り扱われるべきことが十分に取り扱われていないからだと思われます。聖餐式は、どちらかと言うと、過去になされたイェシュアの受難と死、および復活に中心が置かれていて、本来、聖餐の中に盛り込まれているイェシュアの地上再臨によって実現される御国の食卓への待望が希薄化し、そのすばらしさが十分に味わわれていないためだと思われます。イェシュアが制定された「聖餐」は神のご計画をコンパクトに表現した「祝祭」のひとつだったはずです。このことについては十分な神学的検討が必要であり、新たな課題でもありますので、これくらいにしておきます。
  • 主がモーセを通してイスラエルに命じた例祭のひとつである「仮庵の祭り」は、すでにイスラエルが40年の荒野の生活で経験したことを民に思い起こさせることでした。そしてそこに神のご計画の奥義を隠しておられました。その奥義は神の御子イェシュアを通して明らかにされています。その預言的意味については、後で詳しく扱うことにして、まずは「仮庵の祭り」がイスラエルの歴史においてどのように実施されたのかを鳥瞰してみたいと思います。

(1) ソロモンの神殿奉献と「仮庵の祭り」

  • イスラエルの民が約束の地カナンに侵入し、そこを占領した後、「仮庵の祭り」がなされたという記述があるのは、ソロモンが七年の月日をかけて神殿を完成し、それを奉献した時です。

【新改訳改訂第3版】Ⅱ歴代誌 7章8~10節
8 ソロモンは、このとき、彼とともにいた全イスラエル、すなわち、レボ・ハマテからエジプト川に至るまでの大集団といっしょに、七日間の祭りを行った。
9 彼らは第八日目にきよめの集会を開いた。七日間、祭壇の奉献を行い、七日間、祭りを行ったからである。
10 第七の月の二十三日に、彼は民をおのおのの天幕に帰した。彼らは【主】がダビデと、ソロモンと、その民イスラエルに下さった恵みを喜び、心楽しく帰って行った。

  • この記述から、ソロモンの神殿奉献は「仮庵の祭り」の時に行なわれたことが分かります。この時は「仮庵」が「神殿」にすり替わっています。ソロモンの時代においては、主の三大例祭が行なわれていたようです。

【新改訳改訂第3版】Ⅱ歴代誌 8章13節
すなわち、モーセの命令どおりに、毎日の日課により、これをささげ、安息日ごとに、新月の祭りごとに、年三回の例祭、すなわち、種を入れないパンの祭り、七週の祭り、仮庵の祭りごとに、これをささげた。

(2) バビロン捕囚から帰還してからの「仮庵の祭り」

  • ソロモンの後にイスラエルは北と南の二つの王国に分裂します。北イスラエル王国はB.C.722年にアッシリヤによって滅ぼされ、捕囚、離散しました。また南ユダ王国はB.C.586年にバビロンによって滅ぼされて捕囚の民となりました。しかしその南ユダ王国、つまりユダ族だけがバビロンから帰還し、新しい神殿を建て、神のトーラーに従った新しい生活を、エズラ、ネヘミヤの指導のもとに始めました。捕囚から帰還した民(ユダヤ人)たちは神のトーラーに従って仮庵の祭りを回復しています。

【新改訳改訂第3版】エズラ記 3章4節
彼らは、書かれているとおりに仮庵の祭りを祝い、毎日の分として定められた数にしたがって、日々の全焼のいけにえをささげた。

仮庵のいけにえ.JPG
  • ちなみに、仮庵の祭りで、毎日の分として定められた数にしたがって、日々の全焼のいけにえをささげたとありますが、どれほどのいけにえがささげられたのでしょうか。このことを知るためには、民数記29章を読む必要があります。右図のチャート参照。
  • いけにえとしてささげられた数は、すべて「七」の倍数です。若い雄牛だけを見ても、七日間で合計70頭が全焼のいけにえとしてささげられています。この「七」という数は完全数です。

【新改訳改訂第3版】ネヘミヤ記 8章14~18節
14 こうして彼らは、【主】がモーセを通して命じた律法に、イスラエル人は第七の月の祭りの間、仮庵の中に住まなければならない、と書かれているのを見つけ出した。
15 これを聞くと、彼らは、自分たちのすべての町々とエルサレムに、次のようなおふれを出した。「山へ出て行き、オリーブ、野生のオリーブの木、ミルトス、なつめやし、また、枝の茂った木などの枝を取って来て、書かれているとおりに仮庵を作りなさい。」
16 そこで、民は出て行って、それを持って帰り、それぞれ自分の家の屋根の上や、庭の中、または、神の宮の庭や、水の門の広場、エフライムの門の広場などに、自分たちのために仮庵を作った。
17 捕囚から帰って来た全集団は、仮庵を作り、その仮庵に住んだ。ヌンの子ヨシュアの時代から今日まで、イスラエル人はこのようにしていなかったので、それは非常に大きな喜びであった。
18 神の律法の書は、最初の日から最後の日まで、毎日朗読された。祭りは七日間、祝われ、八日目には定めに従って、きよめの集会が行われた。


●「仮庵の祭りの最終日(第八日目)の「聖なる集会」のことを、ヘブル語で「アツェレット」(עֲצֶרֶת)と言います。イェシュアは「祭りの終わりの大いなる日」と言っています(ヨハネ7:)。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい(飲み続けなさい)」と招いています。この招きはやがて来るべきメシア王国において、「その人の心の奥底から、生ける水の川(複数)が流れ出るようになる」と約束されているのです。それは今日のキリスト教会にも語られているいると信じます。仮庵の祭りが指し示している主のご計画にある預言的な祭りを正しく理解して、主の約束の成就を待望する「聖なる集会」を持たなければならないと考えます。

  • 上記の箇所を見ると、「ヌンの子ヨシュアの時代から今日まで、イスラエル人はこのようにしていなかった」とあります。つまり、イスラエルの民は、荒野の40年間は仮庵とも言えるテントを住まいとしていましたが、約束の地に入ってからエズラ、ネヘミヤの時代まで、「仮庵の祭り」をしていなかったということではなく、おそらくこのときほど熱心に、かつ、自発的にはしていなかったという意味の表現と思われます。
  • 仮庵の祭りは「七日間」。いけにえの数もすべて「七」の倍数。すべてが「七」なのです。次に取り上げる新約における仮庵の祭りがヨハネの福音書の第七章全体を割いて掲載されていますが、「第七章」というのも関連して覚えやすいです。「過越の祭り」の続く「種の入らない祭り」では七日間続き、七日目に「聖なる集会」が開かれますが、「仮庵の祭り」では「八日目」にきよめの集会がなされています。「八」という数字は「七の」後に来る永遠の安息を示唆する数であり、深い意味があります。
  • この「仮庵の祭り」で神の民は仮小屋に住み、かつての荒野の生活の時を思い起こすのです。「荒野」は何もないところです。水もそしてパンも。しかし神は超自然的に人々に毎日必要なマナを与え、水を与えられました。仮庵の祭りの意義は、生存と防衛の保障がすべて神から来るということを教えるためのものでした。神の恩寵は、「荒野」においてこそ人の目には明瞭でしたが、「荒野」でなくても神の恩寵は注がれています。しかし、神の民が約束の地に住むようになると、すべての保障が神から来るということを「忘れる」ようになり、神よりもカナンの神(バアル)を愛するようになり、そちらを拠り頼むようになっていきます。その結果が、亡国の憂き目(捕囚・離散)でした。
  • 神の民が荒野から約束の地である「乳と蜜の流れる地」に入っていこうとする前に、神はモーセを通して警告していました。

【新改訳改訂第3版】申命記8章11~14節、17~20節
11 気をつけなさい。私が、きょう、あなたに命じる主の命令と、主の定めと、主のおきてとを守らず、あなたの神、【主】を忘れることがないように。
12 あなたが食べて満ち足り、りっぱな家を建てて住み、
13 あなたの牛や羊の群れがふえ、金銀が増し、あなたの所有物がみな増し加わり、
14 あなたの心が高ぶり、あなたの神、【主】を忘れる、そういうことがないように。

17 あなたは心のうちで、「この私の力、私の手の力が、この富を築き上げたのだ」と言わないように気をつけなさい。
18 あなたの神、【主】を心に据えなさい。主があなたに富を築き上げる力を与えられるのは、あなたの先祖たちに誓った契約を今日のとおりに果たされるためである。
19 あなたが万一、あなたの神、【主】を忘れ、ほかの神々に従い、これらに仕え、これらを拝むようなことがあれば、きょう、
私はあなたがたに警告する。あなたがたは必ず滅びる。
20 【主】があなたがたの前で滅ぼされる国々のように、あなたがたも滅びる。あなたがたがあなたがたの神、【主】の御声に聞き従わないからである。

  • 「仮庵の祭り」はまさにこの主の警告を思い起こすと同時に、「荒野」における神の恵みを思い起こさせることでした。預言者エレミヤを通して主が語ったことばがあります。

【新改訳改訂第3版】エレミヤ書2章1~2節
1 ついで、私に次のような【主】のことばがあった。
2 「さあ、行って、【主】はこう仰せられると言って、エルサレムの人々の耳に呼ばわれ。わたしは、あなたの若かったころの誠実、婚約時代の愛、荒野の種も蒔かれていない地でのわたしへの従順を覚えている。

  • 神は荒野の時代をハネムーン(蜜月)の時だったとしています。聖書では「婚約時代の愛」と訳されていますが、この「婚約」と訳された言葉はここにしか使われていない「ケル―ロート」(כְּלוּלוֹת)というヘブル語です。【口語訳、新共同訳、岩波訳】は「新婚時代の愛」と訳しています。日本では婚約と結婚は区別されますが、イスラエルにおいては「婚約」と「結婚」は同義であったことが理解できます。「初々しいハネムーン」が荒野であったということが重要なのです。イスラエルの民がそれほどに主に依存していたのです。神にとっては「荒野の時代」が最も麗しい蜜月の時であったとしています。そのときのことを思い起こすべく、「仮庵の祭り」が制定されたのです。
  • 「終わりの日」に、反キリストは世界中に散っている神の民であるイスラエルを抹殺しようとします。しかし、その時に主が彼らを「荒野」に避難させることをヨハネは黙示録で預言しています。

【新改訳改訂第3版】ヨハネの黙示録 12章5~9節
5 女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずである。その子は神のみもと、その御座に引き上げられた。
6 女は荒野に逃げた。そこには、千二百六十日の間(3年半)彼女を養うために、神によって備えられた場所があった。
7 さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、
8 勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。
9 こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。

  • ここに登場する「女」とはイスラエルのことです。そのイスラエルからひとりの男の子が産まれました。つまり、メシアなるイェシュアです。神は反キリストによる大患難からイスラエルの民を守るための場所を、「荒野」に備えておられます。女であるイスラエルはその「荒野」に逃げるのです。まさに「荒野」は神の恩寵が最も現わされる場所であり、神の民の生存と防衛の保障が約束されている場所だからです。

2. 新約聖書における「仮庵の祭り」についての言及

  • 新約聖書において、「仮庵の祭り」について言及されている箇所はヨハネの福音書の第7章だけです(実は、もう一箇所があるのですが、次回の後篇に取っておきます)。

【新改訳改訂第3版】ヨハネの福音書7章2節、10節、14節、37~39節
2 さて、仮庵の祭りというユダヤ人の祝いが近づいていた。
10 しかし、(イェシュアの)兄弟たちが祭りに上ったとき、イエスご自身も、公にではなく、いわば内密に上って行かれた。
14 しかし、祭りもすでに中ごろになったとき、イエスは宮に上って教え始められた。
37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。
39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。

  • ここでの仮庵の祭りは、イェシュアの三年半の公生涯の最後の「仮庵の祭り」の時だったと考えられます。つまり、過越の祭りで十字架にかかられる、その半年前の出来事です。37節に「さて、祭りの終わりの大いなる日」とありますが、それは最後の八日目を示唆しています。最も、祭りの最高潮に達した日に、イェシュアは立って、大声で叫ばれました。
  • このときの様子をお話ししたいと思います。今回は、「仮庵の祭り」の前篇です。仮庵の祭りと関連するイェシュアの誕生、そして公生涯の宣教の開始、聖霊の傾注、キリストの再臨。そしてメシア王国における仮庵の祭りについては、次回(5/17)の後篇で取り上げたいと思います。今回はその前篇で、仮庵の祭りが歴史の中でどのように取り扱われたかについてお話ししています。
  • イェシュアの時代にはまだ神殿がありましたが、今日は神殿がありません。ですから、その代わりにシナゴーグがその役割を果たしているようです。神殿のあったイェシュアの時代において「仮庵の祭り」がどのように行われていたかを最後に取り上げて、お話ししたいと思います。
  • ユダヤ暦の第七の月の15日から七日間にわたる主の「仮庵の祭り」では、「水取りの儀式」がシロアムの池で行なわれます。大祭司がきれいな衣を着て金の杓子をもってシロアムの池から水を汲み、それを神殿にまで運びます。その時に、イザヤ書12章を歌いながら、神殿までその水を運ぶ行列をするのです。今日においても歌われていたようです(「マイム・マイム」がそれ)。
仮庵の祭(3).JPG
  • ユダヤ人は七日間、仮庵に住まなければならないことがトーラーの中に記されています。この時の様子について記している本から引用したいと思います。その本は「聖書の世界が見える」(植物編)で、著者は韓国のリュ・モーセという方です。イスラエルの宣教師であると同時に、漢方医学、現代医学の博士。翻訳は上田あつ子、出版は「ツラノ書院」(2011.6発行)です。以下は、その本からの引用です(249~253頁)。少々長い引用ですが、とても重要な事柄なので引用したいと思います。
仮庵の祭(1).JPG
  • 仮庵の祭りのハイライトは、神殿の祭司の庭にある祭壇の南西側に柳の木を立て、毎日、祭壇の周りを一周ずつ回るのです。ユダヤ人たちはエルサレムの西側にある「モツァ」という川縁から、毎日新しい柳の木を折って来ました。柳の木の枝は折られた瞬間に生気がなくなり、たった1日でも枯れてしおれてしまうからです。
仮庵の祭(2).JPG

最初の日に、あなたがたは自分たちのために、美しい木の実、なつめやしの葉と茂り合った木の大枝、また川縁の柳を取り、七日間、あなたがたの神、【主】の前で喜ぶ。(レビ23:40)

  • このように6日間新しい柳の木の枝を立てておき、仮庵の祭りの最後の日には、特別な行事をしました。・・・本来、祭壇がある神殿の祭司の庭は、祭司以外には誰も入ることができない聖域ですが、しかし、この日(最後の日)だけは例外で、すべてのイスラエルの巡礼者たちに(女性も子どもたちにも)開放されました。普段は祭壇の周囲を1周しますが、仮庵の祭りの最後の日には、祭壇の周囲を七回りしました。この時、巡礼者たちは祭壇の周囲を回りながら、詩篇の祈りを切にささげました。イスラエルの人々は、水がないため、渇いてしおれて行く柳の木の枝を横に、「主よ。どうか私たちを救ってください。」(詩篇118:25)と叫びながら祈りをささげたのです。・・・
  • 荒野の民イスラエルにとって、水はいのちそのものであり、創造主の恵みを象徴するものです。水がなく、枯れてしまう柳の木のように、創造主の特別な恵みがなくては枯れて、廃れてしまうしかないイスラエルを救ってくださいという切なる願いをささげたのです。「どうぞ、救ってください。」とはヘブル語で「ホサナ」(「ホーシーアー・ナー」הוֹשִׁיעָה נָּא)です。・・仮庵の祭りに使われる柳の木の別称はホサナです。ホサナは水を求めて叫び声を上げる柳の木を指します。
  • イェシュアは仮庵の祭りの最後の日、神殿の祭司の庭に出て行かれました。この時、ユダヤ人たちは、創造主の恵みを切に求めていましたが、すぐ横に立っておられるイェシュアを知ることはありませんでした。何と皮肉なことでしょうか。・・・水を失い枯れ行く柳の木と、救いを切に求め、ホサナと叫ぶユダヤ人たちに、ご自分がメシアであることを叫んでおられたのです。

「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ7:37~38)

以上、引用終わり

  • イザヤ書12章3節に、「あなたがたは喜びながら、救いの泉から水を汲む。」という預言があります。それは、尽きることのない泉から流れ出る、救いの喜びに満たされることを意味します。しかしその救いの喜びとは、私たちが労苦して「汲む」のではなく、神の恩寵として、腹の底から湧き上がり、流れ出てくる生ける水であり、主を知ることの喜びです。それはイェシュアの地上再臨によるメシア王国の到来によって完全に実現します。いのちの水は人に対してのみならず、いやされた地においても豊かに注がれるのです。その祝福がひとつの絵のように描かれています。

【新改訳改訂第3版】詩篇65篇9~13節
9 あなたは、地を訪れ、水を注ぎ、これを大いに豊かにされます。神の川は水で満ちています。あなたは、こうして地の下ごしらえをし、彼らの穀物を作ってくださいます。
10 地のあぜみぞを水で満たし、そのうねをならし、夕立で地を柔らかにし、その生長を祝福されます。
11 あなたは、その年に、御恵みの冠をかぶらせ、あなたの通られた跡にはあぶらがしたたっています。
12 荒野の牧場はしたたり、もろもろの丘も喜びをまとっています。
13 牧草地は羊の群れを着、もろもろの谷は穀物をおおいとしています。まことに喜び叫び、歌っています。

  • 「仮庵の祭り」の意義は、神と人とが回復されたエデンの園に永遠に住むことを啓示する「待望の祭り」でもあります。それが完全に実現する時が来ることを思い巡らして、シメオンやアンナのように(ルカ2章)、待望の光の種を心の中に数多く灯す時です。今年から、ぜひそのような時を特別に設けたいと願っています。

2015.5.3


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