****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

人間の主観としての神の臨在と不在経験が意味するもの

24. 人間の主観としての神の臨在と不在経験が意味するもの

  • 「今日の集会は主の臨在があった」とか、「臨在がなかった」とかいう言葉を耳にすることがあります。それはしばしば主観的なものであり、目に見えるものや触れるもの(雰囲気)といった感覚的なものです。客観的に考えれば、神の臨在はいつもあるのです。ただそれを感じることができたり、出来なかったりする私たちの側に問題があります。そしてその問題は、気づかないうちに私たちの神に対する信仰のあり方を規定していきます。神の臨在経験と不在経験が意味するもの、それに気づかされることが詩篇瞑想の旅の醍醐味のひとつであると信じます。

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional