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二人の無名な預言者たちの象徴的出来事

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列王記の目次

14. 二人の無名な預言者たちの象徴的出来事

【聖書箇所】13章1節 ~ 34節

はじめに

画像の説明
  • 13章には大きく二つの出来事が記されています。いずれも象徴的な意味合いのある出来事に思えます。そしてこの二つの出来事には密接なつながりがあります。それをつないでいるキーワードが「カーハシュ」כָּחַשׁという動詞ではないかと思います。
  • ヘブル語の「カーハシュ」כָּחַשׁという動詞は、旧約での使用頻度は22回です。列王記では13:18の1回だけです。その意味は以下の通りです。

基本形(能動態)
「やせ衰える」
ニファル形(受動態)
「縮こまる、見せかける、装う、へつらう」
強意形のピエル態(能動態)
「否定する、打ち消す、欺く、偽る、失望させる、期待に背く、へつらう」
強意形のヒットパエル態(再帰態)
「おもねる、みせかける」

  • この「カーハシュ」כָּחַשׁという動詞のもつ意味合いが、13章の出来事の象徴的なキーワードとなっているように思われます。

1. ヤロブアムの「カーハシュ」による北イスラエル王国の滅亡への予感

  • 13章33節と34節にそれぞれ、「このことがあっても」「このことによって」ということばかあります。ここにある「このこと」とは何でしょうか。それは神からのサインをもった出来事です。神からの警告のサインがあっても、なんら悔い改められることがなく、事態も変わらず、やがては北イスラエル王国の将来が「やせ衰えて」、滅亡し、地の面から根絶やしにされることを予感させています。
  • サウル、ダビデ、ソロモンの三代にわたってイスラエル統一王国が築かれましたが、ソロモン王による偶像礼拝による罪によって、王国は北と南の二つに分裂しました。北イスラエル王国の最初の王となったヤロブアムは人々の心を自分に引きつけさせるために、礼拝のための祭壇を造り、そして自ら祭司としての務めをし、さらにはその務めをする祭司たちを一般の民の中から起用しました。つまり、自分のために宗教政策を用いたのです。ここに民に対する欺きがあり、みせかけがあります。そうしたみせかけはやがて滅びを自ら招くことが示唆されています。
  • 北イスラエル王国がはじまってから、北のアッシリヤによって、B.C.721年に滅びるまでの約200年の間、19名の王が登場しますが、一人として神の側に立つ王はいませんでした。最初のボタンのかけ間違いが最後まで続いて行ったのですが、神は預言者を遣わして、繰り返し、繰り返し、神に立ち返るように呼びかけましたが、立ち返る王は一人としていませんでした。その意味で、最初のボタンを掛けたヤロブアムの罪は大きいと、列王記の著書は記しています。

2. 分裂後、預言者が台頭する時代を迎える

  • 預言者が遣わされる背景には、その国が神のみこころからそれている現実があります。
画像の説明
  • 列王記13章には、二人の無名な預言者が登場しています。ひとりはユダから北のベテルに遣わされた「神の人」で、預言者としての働きをしました。もうひとりの預言者は「年寄りの預言者」です。
  • 南のユダから遣わされた預言者は人を恐れることなく、ヤロブアムに直接ではなく、祭壇に向かってはっきりと預言しました。その預言の内容とは、ユダでやがて生まれるひとりの男の子ヨシヤが祭壇の上に北イスラエルの祭司たちの骨が置かれて焼かれる」と言うものでした。この預言はなんと300年、つまり北イスラエルが滅びてから100年後に、ユダの王ヨシヤ(南ユダの王の中で主アー右京改革をなした王)によって実現するというものでした。その証拠となる目に見えるしるしが、「祭壇は裂けて祭壇からは灰がこぼれ出ました。」です。
  • この無名の預言者のことを、ベテルに住む年寄りの預言者の息子たちが感動して父に伝えました。当時のベテルの預言者はこの世の流れに迎合し、その権威を発揮することなく、やせ衰えていました。そのような現実の中で、ベテルの預言者の息子たちは、南からやって来た「神の人の孤高な姿」に感動したに違いありません。それを知らされた父は、その神の人を捜して、自分の家に招こうとしました。しかし「神の人」は、この地では一切パンも水も食べたり飲んだりしてはいけないという神のことばに従って招きを断りましたが、年老いた預言者は欺いて(嘘を言って)、自分の家に招きました。そのことで、「神の人」は無残な横死をとげます。それは、「神の人」が神の言われた事を最後まで従うことができなかったからです。
  • 神からの召しを受けた者は、たとえ人から欺かれたとしても、それを理由に自分のした失敗を弁解できないのです。あくまでも自分の失敗として引き受けなければなりません。ここに預言者としての資質と務めの厳しさがあります。
  • 13章に登場する二人の預言者は、当時の状況とこれからの時代における預言者のあり方が問われる一つの象徴的なピクチャーとなっています。つまり、預言者はどこまでも孤高の口を持っていなければならないということです。自分の存在を打消し、その存在を否定したり、こびたり、へつらったり、みせかけの服従は赦されないということです。それは神のみこころをストレートに民に伝えなければならないからです。「神の人」に神が命じた事柄として、その地のパンも、そして水も口にしてはならないということは、遣わされるところにおいて、人からの称賛も、またへつらいも受けることがないための指示でした。同じ使命を与えられた者となれ合いになることを避けるための指示でした。
  • 北イスラエル王国には、エリヤ、エリシャ、アモス、ホセアといった偉大な預言者が遣わされますが、それに先立って、13章の二人の預言者は象徴的なしるしとなっています。それは、やがて神から遣わされて登場する預言者たちに対する警告ともなっているように思います。
  • 13章の二人の預言者の出来事は、逆説的な意味において、やがて登場する預言者たちりあり方を指し示し、その頂点である真の預言者として遣わされる主イエス・キリストを指し示しています。主イエス・キリストは、まさに預言者としての「孤高の口」をもって御父のみこころを伝えた方でした。決して、人々にへつらうことなく、こびることなく、称賛を求めることもなく、また、当時のパリサイ人たちのように人に見せかけることなく、弟子たちから正しく理解されなくても、最後まで自分自身を否む(欺く)ことなく、完全に、真の「神の人」としての道を歩まれたのです。

2012.10.2


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