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二つのかごに入ったいちじくの啓示

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27. 二つのかごに入ったいちじくの啓示

【聖書箇所】 24章1節~10節

ベレーシート

  • 「二つのかごに入ったいちじく」というとても印象的な啓示が24章に示されています。

(1) 「良いいちじく」

良いいちじくとは、バビロンに捕囚となった者たちのことです。なぜ、彼らが良いいちじくなのかといえば、やがて神の計画を担うようになるからです。

(2) 「悪いいちじく」

悪いいちじくとは、エルサレムに残った者、およびユダを去ってエジプトに住みついた者たちのことです。なぜ、彼らが悪いいちじくなのかといえば、神の計画を担えずに捨てられるからです。


1. 良いいちじく

  • 捕囚のなった民とは、B.C.598年の第一次捕囚となった人々です。エホヤキンをはじめてとして、その母后、および有能な者たち(一万人ほど)です。彼らはバビロンの地でなんらかの益をもたらす人材となりました。
  • エジプトの傀儡王であったエホヤキムの治世が終わり、代わってエホヤキンが18歳で王となったとき、バビロンの王となったネブカデレザルがエルサレムを包囲しました。そのときエホヤキンは戦うことなくバビロンに投降したため、捕らえ移されました。これが第一次捕囚の出出来事です。しかしそこには神の深いご計画(はからい)がありました。エレミヤ24章5節にはこう記されています。
    「この良いいちじくのように、わたしは、この所からカルデヤの地に送ったユダの捕囚の民を良いものにしようと思う。」
  • 「~しようと思う」ということばは原語にはありませんが、「送った」という原語の「シャーラハ」שָׁלַחが、ある目的をもって「遣わす」「派遣する「送り出す」という意味ですから、そこに「良いものにしようと思う」という神の意志を見ることが出来ます。

2. エレミヤ書の重要な思想

  • 特に、6~7節はきわめて重要な箇所であり、エレミヤ書全体の中心思想が言い表されています。

【新改訳改訂第3版】エレミヤ書 24章6 ~7節

6 わたしは、良くするために彼らに目をかけて、彼らをこの国に帰らせ、彼らを建て直し、倒れないように植えて、もう引き抜かない。
7 また、わたしは彼らに、わたしが【主】であることを知る心を与える。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らが心を尽くしてわたしに立ち返るからである。

  • この箇所にはエレミヤ書である「新しい契約」の「定型句」があります。それは「彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。」というフレーズです。30:22/31:33/32:38参照。良く観察すると、神の「わたしが」という意味の語彙が二重になって強調されています。この強調は、神である「わたしが彼らの神となる」ことへの意欲が表明されていると言えます。

画像の説明

  • 「新しい契約」の中身については、24章では触れられていませんが、その内容は以下の三つです。
    (1) 「わたしの律法を彼らのうちに置く」
    (2) 「民はみなわたしを知るようになる」
    (3) 「咎を赦し、二度と罪を思い出さない」
  • 「彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。」ための神のご計画はすべて神の側の恵みのわざによるものです。それも以下の三つの動詞で表すことが出来ます。
    (1) 「帰らせる」ー「シューヴ」שׁוּבの使役形(Hif)
    (2) 「建てる」-「バーナー」בָּנָה
    (3) 「植える」-「ナータ」נָטַע
  • 以上の神の先行的恩寵に加えて、神の民自ら「心を尽くして」神に立ち返るという自発的な意志が起こることで、定型句の「彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。」ということが実現するのです。

最後に

  • 神はエレミヤに見せた「いちじく」の幻によって、私たち人間の常識的な考えを覆されました。常識では、捕囚の民となった者たちは、彼らの罪に対する当然の刑罰を受けたと理解します。また残った民、あるいはエジプトに住み着いた者たちは処罰を免れ、神の祝福を受けるべき者と考えます。ところが、神の考えは私たちと異なりました。やがて、B.C.586年、ユダとエルサレムは根こそぎとなってしまうのです。

2013.3.2


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