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主の杉の木の預言的たとえ

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17. 主の杉の木の預言的たとえ

【聖書箇所】 17章1節~24節

ベレーシート 

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  • 17章2節の「人の子よ。イスラエルの家になぞをかけ、たとえを語り」というこのフレーズでは、動詞だけでも十分に意味をなすにもかかわらず、その名詞を目的格においてさらに強調しています。
    (1)「なぞをかける」を意味する動詞の「フード」חוּדに、謎や難問を意味する名詞の「ヒーダー」חִידָהが付け加えられています。
    (2)「たとえを(で)語る」を意味する動詞の「マーシャル」מָשַׁלに、たとえを意味する名詞の「マーシャール」מָשָׂלが付け加えられています。
  • 興味深いことに、「マーシャル」מָשַׁלの第一の意味は「支配する」「統治する」「治める」ですが、第二の意味は「たとえを語る」です。「支配」と「たとえ話を語る」という、一見、つながりそうにも見えないこの語彙の持つ二つの意味がどういう関連を持っているのでしょうか。その関連性とは、神の国の統治理念の中に、神の支配における重要な事柄があえて隠されているということです。
  • エゼキエル書17章では、エルサレムにすでに起こったこととこれから起ころうとすることがたとえで語られています。エゼキエル17章は三つの区分からなり、第一区分はたとえ(2~10節)、第二区分はその解釈(11~21節)、そして第三区分が再びたとえです(22~24節)。この第三区分のたとえの意味が実はきわめて重要です。そこにはメシアによる神の王国の実現が預言されているからです。

1. 第一区分のたとえ&第二の区分のその解釈(2~21節)


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2. 第三の区分(メシアによる神の支配の預言)

【新改訳改訂第3版】17:22~24
22 神である主はこう仰せられる。「わたしは、高い杉のこずえを取り、そのうちから、柔らかい若枝の先を摘み取り、わたしはみずからそれを、高くてりっぱな山に植える。
23 わたしがそれをイスラエルの高い山に植えると、それは枝を伸ばし、実を結び、みごとな杉の木となり、その下にはあらゆる種類の鳥が住みつき、その枝の陰に宿る。
24 このとき、野のすべての木は、【主】であるわたしが、高い木を低くし、低い木を高くし、緑の木を枯らし、枯れ木に芽を出させることを知るようになる。【主】であるわたしが語り、わたしが行う。」

  • 第一区分のたとえ話には、主ご自身による解釈がありましたが、22~24節のたとえには解釈がありません。聖書においてはこの部分のたとえが重要なのです。解釈はありませんが、第一区分の解釈がすでにあるので、比喩となっている対象を理解することができます。
  • イスラエルの王制はゼデキヤを最後に終焉します。しかし、「高い杉の木」であるダビデの王家は、主みずから柔らかい若枝の先を摘み取り、イスラエルの高い山に植えると言われます。そこでそれは成長し、枝を伸ばし、実を結び、高くてみごとな杉の木となると語っています。
  • 22節にある「みごとな杉の木」(新改訳)を、口語訳では「みごとな香柏」と訳し、新共同訳では「うっそうとしたレバノン杉」と訳しています。いずれにしても、40メートルになる高木の常緑針葉樹です。つまり、ダビデの王家にはまだ将来があることを預言しています。やがていつの日か、主に選ばれた者によってエルサレムは再び王としての繁栄を回復し、他の木々の間であがめられるようになるのです。おそらくこれはキリスト再臨後の千年王国において実現されるのです。
  • 22節の「柔らかい若枝」とは「メシア」以外には考えられません。「若枝」(「ヨーネケット」יוֹנֶקֶת)は聖書においてはメシアのたとえ(比喩)です。ホセア14:6参照。ただし「若枝」を表わすヘブル語の語彙は他にもあります。例として、「ツェマハ」(צֶמַח)ーイザヤ4:2/61:11/エレミヤ23:5/33:15/ゼカリヤ3:8/612/等。「ネーツェル」(נֵצֶר)ーイザヤ11:1/53:2/等。


2013.5.29


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