主の怒りを駆り立てたタンムズへの礼拝
エゼキエル書の目次
8. 主の怒りを駆り立てたタンムズへの礼拝
【聖書箇所】 8章1~18節
ベレーシート
- 8章で主は、エゼキエルの髪のふさをつかみ、エルサレムの神殿の「北に面する内庭の門の入り口」へと連れて行き、神殿で行われている偶像礼拝の四つの場面を見せられました。それらはいずれも主の忌みきらわれる偶像です。
(1) 北の祭壇の門の入り口・・「ねたみの偶像」
ーこれはねたみを引き起こす偶像のことで、アシュラ、天の女王、性と愛の女神、北側の門はは犠牲となる動物がほふられた方角のため「祭壇の門」と言われた。)(2) 内庭にある秘密の部屋の壁・・・「はうものや忌むべき獣の像などの彫像」
ー壁一面にはあらゆる種類の動物の偶像が彫られていた。その部屋の中で70人の長老たちがひそかに礼拝していた。その中にはヨシヤ王時代に神殿で律法の書を発見した書記シャファンの子ヤアザヌヤが彼らの長であった。)(3) 外庭の北側の門の外・・「タンムズ」
ー女たちが門の外に座ってタンムズのために泣いていた。(4) 内庭の本堂の入り口の玄関と祭壇との間・・「東のほうの太陽」
ー主に仕えるべき25人ほどの人が、本堂に背を向けて、東の方の太陽を拝んでいた。つまり、太陽崇拝が神殿の玄関の真ん中で行われていた。神殿に対して背を向けることは明らかに背信行為であった。※⇒図を参照(Webサイトはこちら)ー拡大図
以上の四つの場面の中から、特に、「タンムズ」礼拝について注目してみたいと思います。
1. タンムズとは
- 「タンムズ」を聖書検索すると1箇所しかヒットしません。それがエゼキエル書8章14節にあります。聖書の中に「タンムズ」についてほとんど語られていません。しかし「タンムズ」ということばがなくても、それと関連する表現がないわけではありません。8章17節の「見よ。彼らはぶどうのつるを自分たちの鼻にさしている」という表現が、どうもタンムズ礼拝を象徴する表現とされています。
- イザヤ書17章10~11節に、救いの神を捨てて、「好ましい植木を植え、他国のぶどうのつるをさす。あなたが植えたものを育てるときに、朝、あなたの種を花咲かせても、病といやしがたい痛みの日に、その刈入れは逃げうせる」と語られているように、「好ましい植木を植え、他国のぶどうのつるをさす」ということが、エゼキエル書8章17節にある「彼らはぶどうのつるを自分たちの鼻にさしている。」と同じであるならば、いずれもタンムズ崇拝を象徴する動作やしぐさを意味しています。事実、タンムズの月(6月後半~7月前半の時期に相当します)は灼熱の時期であり、この頃にぶどうの木には熟した初物ができるようです。
- 「タンムズ」に書かれた諸情報を以下に引用してみます。
(1) 岩波訳旧約聖書のエゼキエル書8章17節の脚注
「タンムズはメソポタミアの豊饒男神ドゥムジのヘブライ語形。夏の乾燥の到来と共に冥界に下ると信じられ、これを悲しむ祭儀が年ごとに行われていた。」(2) フルダ・K・伊藤著「一人で学べるエゼキエル書とダニエル書」より
「タンムズはバビロンの多産、植物の神で、例年第四の月、すなわち、文字通りタンムズの月(6~7月の灼熱の時期)、彼の死を覚えて嘆き悲しみ、第一の月、すなわち、春のニサン(アビブ)の月(3~4月)に、タンムズの復活を祝うのが恒例になっていました。」(3) F・A・タトフォード著「エゼキエル書注解」より
「タンムズまたはアドニス(バビロンのドゥムジ)は、シュメールの豊饒の神で、シュメールの愛の女神であるイシュタル(アシュタロテ)の兄であり配偶者。夏の暑さで作物は枯れ、川は干し上がり、偶像礼拝者たちは、植物と大水の神であるタンムズが死んでしまったと言っていた。それゆえタンムズを信奉する女たちは、6月と7月に集まり、その死を嘆いて泣いていた。ダンムズが死んだ後、その妹のイシュタルは、伝えられるところでは兄を救うため下界に下った。春に雨が降り、植物が成長するのは、タンムズがよみがえり、イシュタルと結婚するからであるとされた。豊饒の儀式はその一連の出来事と結婚を祝い、理論的にはその国の豊作を保証するものであった。・・タンムズのために嘆くこの儀式が豊饒の儀式の性的な行為と結びつけられ、これらのことが神殿のすぐそばで行われていた。」(4) 新聖書辞典(いのちのことば社)
「バビロニアの神話によると、タンムズは美しい牧神であったが、いのししに殺された。女神イシュタルは夫のために悲しむが、やがて夫を生き返らせるために下界に下った。するとあらゆる野菜等がは枯死した。やがてタンムズが生き返ると再び豊かに繁茂するようになった。シリヤとバレスチナ地方では6月から夏の乾期に入り植物が枯死する。この暦が神話と結びついて、タンムズが礼拝されたのである。イザヤ17:10の「好ましい植物」もタンムズ礼拝に関係するものと思われる。」
2. エルサレムの陥落の時期は「タンムズの月」だった
- 主はエゼキエルに「人の子よ。あなたはこれを見たか。」と尋ねられました。偶像礼拝の四つの場面を見せられたエゼキエルはこれらの罪深い行為がもたらす避けることのできない主のさばきの宣告を覚悟したに違いありません。ユダの家が神殿で行った忌み嫌うべき行為が見過ごされることはなかったのです。
- ネブカデネザル軍の一年半におよぶエルサレムの包囲の後に城壁が崩されて、神殿も焼かれ、エルサレムは陥落しました。その時期はなんとBC.587年のタンムズ(第四の月)の九日でした(Ⅱ列25:3~4、エレミヤ 39:2、52:6~7を参照)。
- そして興味深いことに、AD.70年にローマ軍によってエルサレムが陥落したのも、同じくタンムズの月であったということです。さらに、AD.70のエルサレム陥落時には、キリスト者は難を逃れて死ぬ者はいなかったようです。このことと患難前の携挙と関係があるのかないのか注目すべき点です。
2013.5.10
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