主の安息日とその預言的な意味
1. 主の安息日(シャッバート)とその預言的な意味
ベレーシート
- 2015年に向けて礼拝説教プランを祈り求めていたところ、主の定められた例祭について、その預言的意味について学び、語るようにと導かれました。主の例祭には、神の不変のご計画(マスタープラン)が啓示されています。したがって、日本人であるクリスチャンにとってもそれを知ることは重要なことと考えます。祭りというものは、非日常的な祝い事であり、その印象は私たちの心に強く焼き付いているものです。たとえば、子どもにとってクリスマスと言えば、ケーキを食べて、サンタからプレゼントをもらう日であり、正月は美味しいご馳走を食べて、親や親せきからお年玉をもらうといったイメージです。その祭りが意味している本質的な事柄を知らずとも、各祝い事の周辺的なイメージがあって、それを繰り返しているのです。宗教学的に言うならば、祝い事(祭り)の持つ重要な性格はその非日常性にあります。つまり、他の日とは区別された日だということです。聖書で主の例祭についての規定が記されているレビ記23章を見てみましょう。
【新改訳2017】レビ記23章1~6節
1 【主】はモーセにこう告げられた。
2 「イスラエルの子らに告げよ。あなたがたが聖なる会合として召集する【主】の例祭、すなわちわたしの例祭は次のとおりである。
3 六日間は仕事をする。しかし、七日目は全き休みのための安息日、聖なる会合の日である。あなたがたは、いかなる仕事もしてはならない。この日は、あなたがたがどこに住んでいても【主】の安息日である。
4 あなたがたが定期的に召集しなければならない聖なる会合、【主】の例祭は次のとおりである。
5 第一の月の十四日には夕暮れに過越のいけにえを【主】に献げる。
6 この月の十五日は【主】への種なしパンの祭りである。七日間、あなたがたは種なしパンを食べる。
- レビ記23章は主の例祭について記されている箇所です。そこで記されている最初の例祭は、週(七日)ごとに巡ってくる主の「安息日」についてです。冒頭にあるものは常に重要です。そして、それとは区別されるかのように七つの例祭が続いて記されていきます。第一の月の十四日の「過越の祭り」、そして翌日の十五日の「種を入れないパンの祭り」というように。そして最後は、第七の月の十五日から七日間にわたる主の「仮庵の祭り」で締めくくられます(レビ23:33~42)。大きく分けると、春の祭りが四つ、秋の祭りが三つです。
- この表のアウトラインに沿って(つまり、例祭の時系列の順に)学んで行く予定です。この学びは、主の例祭に隠されている預言的な意味を探り、多くの預言者とイェシュアとその弟子たちが良きおとずれとして宣べ伝えた「御国の福音」のすばらしさを見出しながら、神の変わることのないマスタープランをしっかりと頭の中に入れることが目的です。
1. なにゆえ、安息日が他の例祭と区別されているのか
(1) 十戒における「安息日」の規定
- 安息日の規定については、十戒の第四番目に記されています。十戒は神と人(神の民)とのかかわりを永遠に規定している憲章です。永遠性をもった規定ですから、神のマスタープランにおいては最終的に実現する憲章です。第二戒の「あなたは自分のために、偶像を造ってはならない。」とその説明文は2節分ですが、第四戒の「安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ」との戒めの説明文はその倍に当たります。つまり、十戒の中で最も長く説明された戒めなのです。
【新改訳2017】出エジプト記20章8~11節
8 安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。
9 六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。
10 七日目は、あなたの神、【主】の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。 あなたも、あなたの息子や娘も、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、またあなたの町囲みの中にいる寄留者も。
11 それは【主】が六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休んだからである。それゆえ、【主】は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。
- ここには、「安息日」の性格とその規定の及ぶ範囲とその起源までもが説明されています。ユダヤ人にとってこの規定は、割礼とともに自分たちが神の民であることのしるしとして重要なものでした。彼らは世界に離散するという憂き目に遭いながらも、どこへ行っても自分たちが神の民であるというアイデンティティを支えたのが、安息日遵守と割礼の慣習、そして厳しい食物規定でした。特に、「イスラエルが安息日を守ったのではなく、安息日がイスラエルを守ったのだ」というユダヤの格言は重要です。彼らはバビロン捕囚という憂き目を通して、安息日を守ることを命懸けでするようになり、それがユダヤ人固有の伝統となったようです。捕囚前の彼らは「安息日を汚していた」のです。しかし、残念ながら、この安息日の規定が啓示している預言的な意味については、彼らは未だ覆いがかかったままなのです。
- 確かに、一週間ごとに巡ってくる「安息日」を彼らが守ったことにより、それは世界中に大きな影響を与えました。日本も一週間を七日とし、その中の一日を日曜日とし、「休日」として位置づけています。ユダヤ人にとって「安息日」は彼らの生活の中心であり、一週間に一度、日本での正月が巡ってくるようなものです。その前日はすべての必要な買い物をし、料理を作って、安息日の始まる夜には、家族が勢ぞろいしてから始まる重要な日なのです。ユダヤ人たちにとっての「安息日」の中心は、「トーラー」を読むことです。そして、神が天と地を創造したことを確認し、その神がエジプトの地から奴隷であった自分たちを救い出してくださったことを思い起こし、イスラエル(ユダヤ人)が神の民であることを再確認するのです。しかし聖書の言う真の「安息日」には、ユダヤ人が考えている「安息日」を越えた内容、つまり、神と人とが永遠に共に住むという究極的な意味が隠されて(含まれて)いるのです。
(2) 「安息日」の起源
- 安息日の規定は、出エジプトの出来事の後に神とイスラエルの民が合意のもとに締結した契約(シナイ契約、あるいはモーセ契約とも呼ばれます)の中にあります。十戒に記されている安息日の規定は、出エジプト記20章8~11節、同31章13~17節、申命記5章12~15節に記されています。しかし、その起源は創世記2章1~3節にあります。そこを見てみましょう。
【新改訳2017】創世記2章1~3節
1 こうして天と地とその万象が完成した。
2 神は第七日に、なさっていたわざを完成し、第七日に、なさっていたすべてのわざをやめられた。
3 神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。その日に神が、なさっていたすべての創造のわざをやめられたからである。
- 安息、安息日の起源が月の満ちかけによって定められたのではないかとする説があります。月はほぼ29日間の周期で、新月⇒半月⇒満月⇒半月⇒新月という四つの相を繰り返します。つまり、七日おきに新しい相を迎えることになり、アッシリヤ、バビロン暦で満月の日を指す「シャバトゥム」がその起源ではないかという説です。しかしその説では、シャバトゥムと次のシャバトゥムの間隔が八日目になる場合もあったりすることから、その説は聖書のいう「シャバット」とは似て非なるものです。
- 語源的なことですが、ヘブル語の「七」を「シェヴァ」と言います。「シャバット」と発音が似ていますが、数字の「七」は「シェヴァ」(שֶׁבַע)と表記するのに対して、「安息日」は「シャッバート」(שַׁבָּת)と表記します。「シャバット」は、もっぱら「休む」「止まる」を意味する動詞「シャーヴァット」(שָׁבַת)に由来します。ちなみに、שַׁבָּתの発音表記は「シャッバート」ですが、習慣的に「シャバット」と表記されます。英語表記ではthe Sabbath.
- ユダヤ人にとっての安息日は、土曜日(金曜の夜から始まり、土曜の夕暮れまで)ですが、キリスト教の場合はイェシュアが復活した日曜日を安息日としています。ちなみに、イスラム教の「安息日」は金曜日です。それぞれ曜日は異なったとしても、一様に主の「安息日」を守っているのです。
- 安息日についての周辺的なことに言及しましたが、安息日の起源についての箇所に目を留めたいと思います。創世記1章には「第一日目」から「第六日目」まで、神は創造のわざをなされたのち、ご自身がお造りになったすべてのものを見られて、「見よ。それは非常に良かった。」(1:31)と言われました。そしてすべての被造物は神の御手に支えられてこそ、「非常に良かった」という状態が継続できるのです。
- 2章1節に「こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。」とあります。「完成された」と訳された言葉は「カーラー」(כָּלָה)の強意形の受動態です。1章31節から直接2章2節に文章が繋がっても良いはずなのに、なぜ、2章1節があるのでしょうか。鍋谷堯爾氏によれば、二つの解釈を紹介しています。一つは「総括のセンテンス」として、もう一つの解釈として、2~3節に「第七日目」ということばが三回も登場する前に、時間だけを強調することへの「ブレーキ役としてのセンテンス」としていますが、この解釈は私にはよく理解できません。
- 続く創世記2章2~3節では、神を主語とする六つの動詞があります。
①2節「神は第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。」
※ 「告げられた」と訳しているのは新改訳のみです。原文は1節と同様、「完成した」という動詞「カーラー」(כָּלָה)のみ。
②2節「(神は)・・なさっていたすべてのわざを休まれた。」
※「シャーヴァット」(שָׁבַת)
③3節「神は第七日目を祝福し」
※「バーラフ」(בָּרַךְ)の強意形ピエル態
④3節「神は・・この日を聖であるとされた(聖別した)。
※「カーダシュ」(קָדַּשׁ)の強意形ピエル態
⑤3節「神がなさっていたすべての創造のわざ」
※「アーサー」(עָשָׂה)の不定詞
⑥3節「神がなさっていたすべての創造のわざを休まれた。」
※「シャーヴァット」(שָׁבַת)
- ⑤と⑥は③と④の動詞の説明文としての文章なので、省略すると、「神は第七日目に、わざの完成を告げられ、休まれた。そして、その日を祝福し、聖別された」というふうにまとめることができます。つまり「第七日目」だけが、他の日(第一日目から第六日目まで)とは完全に区別されているというニュアンスです。「夕があり、朝があった」というフレーズもありません。「その日を祝福した」とありますが、その祝福の内容については何も記されていません。創世記1章22節と28節にある「祝福し」には、「生めよ、ふえよ。」という内容がありました。しかし、第七日目の祝福には具体的な内容が記されていません。「休まれた」という言葉も、普通考えるような、何もしないでぼんやりとゆったりしているという意味の活動停止的な「休み」(安息)ではなく、六日間の創造行為(働き)とは全く質的に区別された「休み」(安息)のように思われるのです。
- このように「第七日目」は実に謎に包まれているのです。そもそも神に休息が必要なわけがありません。イェシュアも「わたしの父は今に至るまで働いておられます。それでわたしも働いているのです。」(ヨハネ5:17)と語っています。おそらく後の安息日の制定は、創世記2章2~3節にある「第七日目」の「神の安息」の隠された意味を日ごとの食生活の習慣と関連づけることで、神の民として重要なことを悟らせるためのもので、多分に預言的な意味合いを含んだものではないかと考えます。しかもその啓示は、創世記2章1~3節だけではとても理解することはできず、むしろイスラエルの歴史を通して漸次的に開かれていくような仕掛けになっているように思われます。
2. 「マナの奇蹟」に見る「神の安息」の啓示
(1) 「マナの奇蹟」に啓示されている「安息の祝福」
- イスラエルの民がエジプトから連れ出されてからシナイ山で神と契約を結びます。そのとき、正式に「安息日」についての律法が制定されます。それ以前に安息日を守ったという記録は聖書にはありません。アブラハムもイサクもヤコブもです。しかし、イスラエルの民が神と契約を結ぶ前に、荒野で「マナ」が与えられるという経験をします。それはおそらく、シナイで契約を結ぶために必要な準備的な経験ということができます。つまり、荒野の経験は、「人はパンのみによって生きるのではなく、神の口から出るひとつひとつのことばによる」ということを経験することでした。神のことばに絶対的に信頼する者に神は責任をもってくださるということを学ぶための経験です。マタイの福音書6章33節でイェシュアが語った「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのもの(生存に必要なもの)はすべて与えられます。」ということば。あるいはまた、「主の祈り」の中にある「私たちの日ごとの糧を毎日お与えください」という祈りも、主の安息の祝福と大いに関連しているのではないかと考えられます。
(2) 「マナ」が賦与された経緯
- イスラエルの民が荒野でアロンとモーセにつぶやきます。「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたとき・・あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。」(出エジプト16:3)と。この民のつぶやきは神に向けられたものでした。そこで神はモーセに次のことを語られました。神ご自身が天からパンを毎日供給してくださること。民は毎日外に出て一日分を集め、六日目は日ごとに集める分の二倍分を集めなければならないこと。これらの習慣を通して、「彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを、試みる」(4節)と言われたのです。神は民のつぶやきを聞かれ、荒野で朝夕、日々の糧が供給されるという奇蹟を通して、神が民の生存に必要なものを備えてくださり、そのことによって民が「主を知るようになる」ためでした。
(3) 「マナ」の特徴
① これは当時、だれも知らなかった食べ物、だれも味わったことのない不思議な食べ物。
② 六日間、朝ごとに天から降り、七日目には降らないという不思議なパターンを持つ食べ物。
③ 一年中、荒野のどこに宿営したとしても、必要な分だけ供給されるという自然ではあり得ない不思議な食べ物。
④ つぼに入れて保存できる(実際、契約の箱の中に納められた)ような不思議な食べ物。
(4) 「マナ」は「神のことば」を指し示す
- イェシュアが荒野でサタンの試みを受けられたとき、イェシュアは「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」と語り、サタンの誘惑を退けられました。つまり、「神のことば」は人が生きるために必要な「パン」なのです(マタイ4:4、申命記8:3)。
- 荒野に降ったマナの量はイスラエルの民を養うべく大変な量であったろうと思います。にもかかわらず、すべて「ただ」(無代価)という神からの賜物でした。しかもそれは、だれもが手に届くところに降りました。マナの色は「白」です。その色は神の神性、神の義を表わす「白」とも言えます。自分のものは自分で集め、自分で咀嚼し、自分で消化することのできるパンです。このパンはすべて神のことばを意味し、「イェシュア・ハマシアッハ」(イエス・キリスト)に置き換えることができます。あるいは、エデンの園の中央に置かれた「いのちの木」とつながっているかもしれません。
3. 神の安息に入る約束は残っている
- 神の「安息」について扱っているのは新約聖書の「ヘブル人への手紙」です。神の安息という重要なテーマについて、新しい意味を開示した手紙です。ちなみに、「安息」を意味する語彙がこのヘブル人への手紙に集中しています。特に、ヘブル4章1~11節を参照。この箇所には、創造の時の「神の安息」と、ヨシュアに率いられてカナン入国という「安息」と、「御国の福音」における祝福としての「終末的な安息」とが比較されつつ論じられています。しかもこの「神の安息」は、創造のみわざが完成した時からすでに存在しているのです。ということは、「第七日目」は終わっていないのです。この意味において、「神の安息に入るための約束がまだ残っている」と言えるのです(4:1)。
- どのようにして「神の安息」が継続しているかと言えば、神の御子イェシュアによる完全な贖いが十字架上でなされたことによって、いまだ神の安息の約束は存在しているのです。しかし、神の安息の約束が存在していることと、そこへ入ることとは別の問題です。イスラエルの民は不従順のゆえにそこへ入ることができませんでした。ですから、ヘブル書の作者は「ですから、だれも、あの不従順の悪い例に倣って落伍しないように、この安息に入るように努めようではありませんか。」(4:11)と奨励しているのです。「この安息に入るように努める」ということは、私たちに与えられた大祭司なるイェシュアを仰ぎ見て、その方に信頼を置くことです。その方に希望を置くことです。それは、換言するならば、イェシュアが言うように「砂地ではなく、岩地の上に家を建てる」ことであり、ヘブル人への手紙の著者に言わせるならば、「幕の内に入る」(=至聖所に入る)ことができるという神の約束(神の誓い)に望みを置くことです。その望みは必ずや船の錨のような役目を果たして、どんな嵐が来ようとも、私たちの信仰の歩みを揺らすことなく、沈むこともなくしてくれるというのです。
4. 永遠の御国を予表する「第七日」としての安息(シャバット)
- 私たちクリスチャンが毎週の聖日に教会に集まって「安息日」を過ごしていることの意味を、神のマスタープランの視点から見直す必要があります。つまり、七日毎に巡ってくる「安息日」が指し示していることは、やがて神のマスタープランの最終ステージにある「永遠の御国」の到来を示唆しているというこです。そこは、神と人とが顔と顔を合わせながら、共に住むという究極の世界です。それは今日にもイェシュアを信じる信仰によって前味として味わうことができます。ところで、旧約には図のように「安息」を表わす語彙が三つあります。
(1) 「憩い」(「メヌーハー」מְנוּחָה)
- 「憩い」と訳された「メヌーハー」は旧約で21回使われていますが、その一つがダビデの詩篇23篇にあります。詩篇23篇は、神の安息がいかなるものかを描いた預言的な詩篇だと言えますが、その中の2節後半で、主は「憩いの水のほとりに伴われます」とあります。前半の「緑の牧場に伏させ」の思想を言い直した表現と言えます。新改訳で訳された「憩いの水のほとり」の「憩い」が「メヌホート」(מְנֻחוֹת)で、「休息」「安息」の場を表わす複数形のことばです。「もの静かな水べに」(フランシスコ会訳)と訳されているように、休息だけでなく、静寂、静謐(せいひつ)のイメージが加わります。静かな、穏やかな、心の落ち着く平静な、しかも気持ちのよい快適な清閑な空間のイメージです。羊飼いである主との親しいかかわりが「静寂の水辺に」導くのです。
【新改訳2017】黙示録22章1~2節
1 御使いはまた、水晶のように輝く、いのちの水の川を私に見せた。川は神と子羊の御座から出て、
2 都の大通りの中央を流れていた。こちら側にも、あちら側にも、十二の実をならせるいのちの木があって、毎月一つの実を結んでいた。その木の葉は諸国の民を癒やした(※ここでの「癒した」とは、「元気づける」という意味)。
(2) 「安らぎ」(「マルゴーア」מַרְגוֹעַ)
- 「安らぎ」と訳された「マルゴーア」(מַרְגוֹעַ)は、旧約で1回限りの使用ですが、重要な箇所で使われています。その箇所はエレミヤ書6章16節です。
【新改訳2017】エレミヤ書 6章16節
【主】はこう言われる。「道の分かれ目に立って見渡せ。いにしえからの通り道、幸いの道はどれであるかを尋ね、それに歩んで、たましいに安らぎ(מַרְגוֹעַ)を見出せ。彼らは『私たちは歩まない』と言った。 (※新改訳改定第三版では「いこい」、口語訳では「安息」、新共同訳では「安らぎ」と訳されています。)
- エレミヤ書6章16節で言われていることは、自分の目を使い、自分の耳を使い、自分の理性を使い、自分自身での目で、昔も今も、将来も、永遠に変わることのない「昔からの通り道」(主のトーラー)を尋ね求めることで初めて見出せる神からの「いこい」を意味します。神を尋ね求めることで大切な何かを発見した喜び、そうした価値ある世界の中に自分を置いて下さったという心の喜びは、私たちの心を憩わせるはずです。注目すべきことに、(1)の「メヌーハー」מְנוּחָהと、(2) の「マルゴーア」מַרְגוֹעַの二つの語彙を使って、イェシュアはマタイの福音書11章28~29節で次のように語られました。
【新改訳2017】マタイの福音書11章28~29節
28 すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。
- マタイの福音書11章28節の「休ませてあげます」は「憩わせる、休ませる」という意味の「アナパウオー」(ἀναπαύω)が使われていますが、それをヘブル語に戻すと、「メヌーハー」(מְנוּחָה)となります。また、29節の「安らぎ」は「休息」を意味する「アナパウシス」(ἀνάπαυσις)が使われていますが、それをヘブル語に戻すと「マルゴーア」(מַרְגוֹעַ)となります。イェシュアはマタイ11章28節と29節で、イェシュアとのかかわりによってもたらされる二つの「安息」に関する語彙を用いながら、神の安息へと招いていることが分かります。この二つの言葉が行き着くところは「永遠の御国」です。その神の安息はイェシュアとのかかわりにおいてすでに味わうことができますが、その真の安息の本領は、永遠の御国、新しい地における「聖なる都―新しいエルサレム」において花開くのだと思います。
(3) 「安息」を意味する「シャッバート」(שַׁבָּת)
- この用語(名詞「シャッバート」שַׁבָּת)は旧約で111回使われています。それが最初に登場するのが出エジプト記16章です。その動詞である「休む」を意味する「シャーヴァット」(שָׁבַת)は創世記2章2節、3節に登場します。いずれも多く用いられている語彙です。このヘブル語をギリシア語にすると、名詞は「カタパウシス」(κατάπαυσις)、動詞は「カタパウオー」(καταπαύω)です。これらのギリシア語はいずれもヘブル人への手紙の特愛用語で、「御国の完成によってもたらされる神の安息」を意味します。
ベアハリート
- 「安息日」の制定は、完全な神の安息がその姿を現わす時が来ることを預言的に指し示しているのです。それゆえ、私たちの毎週の安息日は永遠の御国の幸いを、預言的に啓示しているのだと理解すべきです。安息日を楽しみとし喜びとする源泉は、私たちが「永遠の御国」をどれだけ思い巡らすことができるかにかかっていると言えるのではないでしょうか。
●聖書においての「安息日」は第七日目です。つまり、今の土曜日です。それがキリスト教会では週の初めである日曜日を安息日としています。しかしそれは伝統的にそうしているのであって、それに疑問を抱くことはありません。旧約時代には土曜日が安息日でした。そして新約時代になってもイェシュアもその弟子たちも安息日を守っていました。イェシュアが地上を去られ天に帰られた後の使徒時代の教会も第七日目を安息日としていました。いつから、どのような理由で日曜日が安息日とされるようになったのか、またこのことに関係したのはだれであったのでしょうか。この問題は真理に関係する事柄です。それを再検討することは真理に生きようとする者にとっての当然の義務です。
●ある研究によれば、第七日の安息日の代わりに日曜日を安息日として守ることは、エルサレムの初代教会で始まったのではなく、それから約一世紀経ってローマの教会で始まったとする説が有力です。その変遷には、政治的・社会的事情による反ユダヤ主義が大きくかかわっているのです。A.D.137年にローマ皇帝ハドリヌス帝はユダヤ人を弾圧し、特に、安息日を守ることと、割礼を禁止しました。ローマ教会の信者の大部分は異邦人のクリスチャンで、彼らとユダヤ人信徒の間にはいろいろな問題や摩擦があり、ローマでは早くから異邦人とユダヤ人は区別されていました。皇帝ネロの時代になって、彼はユダヤ教に改宗した妃の影響を受けて、ローマの大火の放火として。その責任をクリスチャンに負わせました。これがユダヤ人の影響によるものであることが分かって、ユダヤ人とクリスチャンの間にあった反目は深くなっていきました。ネロの死後、ユダヤ人の間に国家主義が復活して、彼らは暴動を起こしました。そのために、ローマ政府はユダヤ人への弾圧政策を取り、A.D.70年にエルサレムは破壊され、多くのユダヤ人が殺され、離散を余儀なされました。反ユダヤ主義はますます盛んとなり、ユダヤの宗教的慣習、特に、安息日を廃して。新しい制度を作り、ユダヤ的ルーツと完全に手を切ることになっていったのです。この反ユダヤ主義が今もなおキリスト教会の歴史の中に深く入り込んでいるのです。
(参考文献; 山形俊夫著「安息日の歴史と意味」1984年、福音社)
2015.1.4
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