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一致の障害となる「誤解」

17. 一致の障害となる「誤解」

【聖書箇所】 22章1節~34節

はじめに

  • 私たちは事のすべてを正しく判断することのできない弱さを持っています。信仰を同じくする者同士でもさまざまな誤解が起こり得ます。自分が良かれとおもってしたことさえも誤解が起こります。偏見に至っては無知をコンクリートで固めたようなもので解消することはより難しいものがあります。神の敵であるサタンはそうした誤解や偏見を巧みに利用して神の民の間に分裂を引き起こそうとし待ち受けています。
  • ヨシュア記22章はイスラエルのすべての部族がそれぞれ約束の地を割り当てて相続地としたあと、戦いに率先して戦った東側の三つの部族(ルベン族、ガド族、マナセの半部族)が祝福されて自分たちに与えられた送り出されたあとで問題が起こりました。結果的には問題は解決されましたが、その問題をもたらした「誤解」という恐ろしさとその誤解がどのようにして解消されたかに思いをめぐらしたいと思います。

1. 誤解を引き起こした「ひとつの祭壇」

  • 22章は「そのときヨシュアは」(1節)で始まっています。「そのとき」とは、約束の地が今や神によって占領され、各部族はそれぞれの割り当て地をいただいて安住をゆるされたときでした。すでにモーセによって東側に割り当て地をいただいていたルベン族、ガド族、マナセの半部族の者たちは、自分たちの家族を残してながら、いわば現代の単身赴任のごとく、同胞のために先頭に立って戦ってきました。そして今や安住を許されたのです。そうした彼らに対してヨシュアは感謝しながら、シロにおいて「もう、あなたがたは自分の相続地に引き帰して行きなさい」と前途を祝福して送り出しました。
  • ところが、彼らは家路に引き返す途中、ヨルダン川のほとりに大きな「ひとつの祭壇」を築きました。これが西側のイスラエルの民に誤解の種を蒔く結果となったのです。22章11~12節を見ましょう。

    【新改訳改訂第3版】
    11 イスラエル人はこういううわさを聞いた。「ルベン族、ガド族、およびマナセの半部族が、カナンの地の国境、ヨルダン川のほとりの地、イスラエル人に属する側で、一つの祭壇を築いた。」
    12 イスラエル人がそれを聞いたとき、イスラエル人の全会衆は、シロに集まり、彼らといくさをするために上って行こうとした。

  • 11節の「うわさ」という訳されたことばは原文にはありません。意訳です。原文では「~と言うのを聞いた」とあるだけです。しかし不確かな情報は「うわさ」として伝わり、人々の耳に入ります。それを聞いたイスラエルの人々は宗教的、軍事的中心地となったシロに集まり、戦いをしかけようとしたのです。それは「ひとつの祭壇」を築いたという情報を聞いて、クーデターが起こったと思ったからです。
  • 神が定めた場所以外に祭壇を築くことは律法によって禁じられていました。人が勝手気ままな所で、勝手な方法で礼拝することは許されなかったのです。ちなみに、ソロモンの治世以降、イスラエルは北と南に分裂しますが、北王国は自分たちの礼拝する場所を造りました。これと同じ感覚を西側の人々は持ったと言えます。
  • かつて「ペオル事件」や「アカン事件」において神の怒りにより大勢の人々が死んだこともあり、「ひとつの祭壇」は西側の人々にとっては深刻な問題として受けとめられました。ところが真相は違っていたのです。

2. 誤解がいかにして解消されたか

  • ルベン族、ガド族、マナセの半部族が「ひとつの祭壇」を築いた理由は、イスラエルはヨルダン川の西のみ相続地を持ち、東に住む者たちは無関係であると考えられる日が来るかもしれないという恐れからでした。と同時に、12の部族が一つであるようにという願いが動機となっていることでした。
  • 事の真相を調査する祭司ピネハスと各族長のかしらたちは真相を知って事なきを得ました。新改訳聖書は「それに満足した」と訳しています。
  • 原文では「そして好ましい、このことばは」(「ヴァイタヴ ハダヴァル」(וַיִּיטַב הַדָּבָר)とあります。岩波訳と関根訳は直訳に近い形で「それは良いことだと映った(よしと思われた)」と訳しています。フランシスコ会訳では「納得した」、リビングバイブル訳では「正しく理解した」となっています。おそらく後の二つの訳が真意だと思います。
  • この事件が大事に至らなかった理由は、問題の処理が早かったことと、適切な調査団が派遣されたこと、そして東側と西側の民たちが正面からこの問題を取り上げ、相手の言い分にじっくりと耳を傾けたことによるものです。
  • 調査団が帰って西側の民たちに報告をしたとき、人々は「これに満足した」のでした。誤解が完全に解けて、主にある一致が回復されたことに対して神をほめたたえています(33節)。東側の民たちもこの祭壇を「主が神であるという証拠(あかし)」と呼びました。
  • 「証拠」と訳されたヘブル語は「エード」(עֵד)で「証拠、あかし、証言、証人」の意です。英語ではwitness,testimony, evidenceと訳されています。旧約聖書では69回使われていますが、最初に登場するのは創世記31章(44, 48, 50, 52節)です。ヤコブとラバンとが契約の証拠として石塚を作りました。


付記

  • 22章22節に珍しいことですが、三つの神の名が並んでいます。

     画像の説明

2012.4.6


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