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レビ人の分け前、逃れの町、移せない相続地

民数記の目次

30. レビ人の分け前、逃れの町、移せない相続地

【聖書箇所】 35章1節~36章13節

はじめに

  • 民数記最後の瞑想は35章と36章です。ここには三つの事柄が扱われています。最初はイスラエルの民とレビ人の位置づけです。次は「逃れの町」の設置の目的、さして最後は相続した者が女性で、結婚した場合にはその相続地はどうなるのかということです。

1. レビ人の分け前

  • 主はモーセを通して次のように言われました。
    「その所有となる相続地の一部を、レビ人に住むための町々として与えさせなさい。彼らはその町々の回りの放牧地をレビ人に与えなければならない。」
  • ここで命じられているのは、イスラエルの各部族はレビ人に対してその一部分を相続地として与えなさいということではありません。各部族に与えられた相続地の中にレビ人が住む町を与えること、またレビ人たちの家畜のための放牧地をも与えなさいというものでした。そのために、レビ人はイスラエルの各部族の中に分散する形で住むことになります。
  • レビ人は直接神のために仕える者であるゆえに、不動産としての土地は与えられませんでした。彼らの生活していくその保証は自分が住む人々が神に対してささげるそのささげものによって与えられました。人々に働いてささげる心を持たせるのは神ご自身ですから、レビ人の受ける分は、不動産ではなく、神ご自身ということになります。
  • イスラエルの民とレビ人の関係は、新約で使徒パウロが次のように教えられています。
    「みことばを教えられる人は、教える人と良いものを分け合いなさい。思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」と述べて、みことばを教える人を愛を支えることは、自分も良いものを受け取ることになるということです。いずれもが良いものを分け合えるのは、双方が神の教えに従って生きることが前提となります。
  • イスラエルの歴史においても、レビ人がリストラされるような時代には神とのかかわりも良いものではなく、偶像礼拝に傾いていった時代でした。レビ人とイスラエルの民の良いかかわりは、神へのかかわりの投影なのです。
  • レビ人の財産は神ご自身であるという思想は、やがて新約においてはキリストを通して「御国を受け継ぐ」という言い方がなされます。「御国を受け継ぐ」その中身は神ご自身であり、そのすべての霊的な祝福を意味します。イスラエルの部族とレビ人の嗣業はイスラエル(ユダヤ人)と異邦人とのかかわりのひな型かもしれません。異邦人はユダヤ人に接木されるような形で祝福を受けるからです。しかも、ユダヤ人の約束のように不動産的な祝福ではなく、レビ人のような神ご自身(キリスト)から来る霊的祝福だからです。

レビ人の町とのがれの町.JPG

2. 「逃れの町」の存在意義

  • 神の律法は故意に人を殺せば、その者を殺してもよいというものです。これはかなりの抑止力となります。しかしもし過失によって人を殺してしまった場合には、逃れる町に逃げこむことで、守られるようにしました。これは復讐の連鎖を断ち切るために神の配剤です。復讐の連鎖が部族内に起こった場合は戦争になり、部族そのものが滅びかねません。それに歯止めをかけるための措置です。
  • 「逃れの町」はイスラエル全体で6箇所備えられました。ヨルダン川を境として東側に3箇所、そして西側に3箇所、特別に定め取っておかなくてはなりませんでした。です。過失によって人を殺した者はこのようにして自分の部族から隔離されて生きることができたのです。これは神が人間の基本人権を無条件に認めていることを示しています。

3. 神から与えられた嗣業はどんなことがあっても堅く守らなければならい

  • 27章でもヨセフの子マナセの一族のツェロフハデの娘たちが、男の兄弟がいない場合の所有地はどうなるのかという訴えをしています。それに対して、人に男の子がいない場合には相続地は娘に渡すようにというのが主の指示でした。しかし36章では相続した娘が結婚した場合の相続地はどうなるのかとの訴えに対して神がお答えになられました。神の処置は部族間の者に嫁ぎなさいということでした。この指示は与えられた相続地は堅く守らなければならないという理由からです。
  • 相続地だけでなく、地境さえも勝手に動かしてはならないのです。ましてや、土地の賦与はその部族とその子孫に永遠に与えられた神の賜物であるゆえに、決してそれを手放すようなことをしてはならないということが前提となっています。
  • この教えを今日的に受け取るならば、ひとたび自分に与えられた救いの祝福を手放すことはもちろん、次の世代へと継承すべく課題があるということです。その目的のために、結婚問題も考えられる必要があります。単に、好きだからという基準で結婚するというのではなく、より大きな神からの召しという視点から考える必要があります。受け継いだ祝福を次の世代に継承していくという召しがあることを忘れてはならないと思います。イスラエルの民が偶像礼拝によって神から与えられた相続地を完全に失ったことを考えるならば、与えられている信仰の継承は大きな課題であり、神からの召しなのだということを受けとめる必要があると思います。

2012.3.7


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