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ヨナ書の瞑想を始めるに当たって

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0. ヨナ書の瞑想を始めるに当たって

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●ヨナ書が他の預言書と異なる大きな点は、4章あるヨナ書の中でヨナに託された神のことば(預言)がわずか一言だけということです。その一言とは「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる。」(3:4)というニネベ滅亡の預言です。しかも、これを聞いたアッシリヤの首都ニネベの王とその民たちがすんなりと悔い改めたことで、神が下すと言われたわざわいが思い直されるという物語です。ヨナ書は預言書というよりは、むしろヨナという人物の物語とも言えるもので、教会学校の子どもたちにも分かりやすい教材となっています。

●ヨナの務めの時期は、B.C.862年頃の預言者エリシャの時代(B.C.896~838)と考えられます。なぜなら、Ⅱ列王記14章25節によれば、イスラエルの王ヤロブアム二世の時代(B.C.783~743)に、かつてヨナがイスラエルの繁栄を約束する希望のメッセージを語ったことが実現されたとあるからです。

【新改訳改訂第3版】Ⅱ列王記 14章25節
彼は、レボ・ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復した。それは、イスラエルの神、【主】が、そのしもべ、ガテ・ヘフェルの出の預言者アミタイの子ヨナを通して仰せられたことばのとおりであった。


●Ⅱ列王記14章25節にあるようにヨナが「ガテ・ヘフェル」の出身であるということから、彼がゼブルン族であることが分かります。なぜなら、ヨシュア記19章13節に「ガテ・ヘフェル」がゼブルン族に属する町であることが記述されているからです。ヨナ書1章9節にも、ヨナ自身が「私はヘブル人です」と述べていることから、「預言者のヨナは、シドンのツァレファテのやもめの子であった」 (ヒエロニムス 脚注)とする解釈は成り立ちません。これは預言者エリヤがやもめの子を死から生き返らせたとき、やもめの母が、エリヤに「今、私はあなたが神の人であり、あなたの口にある主のことばが真実であることを知りました。」(Ⅰ列王記17:24)と言ったことばの中に「真実」(「エメット」אֶמֶת)という語彙があることから、父の名である「アミッタイ」(אֲמִתַּי)と結びついてそのような解釈が引き出されています。だとすれば、ヨナは異邦人のやもめの子ということになり、「私はヘブル人です」というヨナ自身のことばと矛盾します。

●ところで、ヨナはヘブル語で「鳩」(「ヨーナー」יוֹנָה)を意味しますが、その言葉が聖書で初めて登場するのは創世記8章です。

【新改訳改訂第3版】創世記8章6~12節
6 四十日の終わりになって、ノアは、自分の造った箱舟の窓を開き、7・・・・
8 ・・水が地の面から引いたかどうかを見るために、鳩を彼のもとから放った。
9 鳩は、その足を休める場所が見あたらなかったので、箱舟の彼のもとに帰って来た。水が全地の面にあったからである。彼は手を差し伸べて鳩を捕らえ、箱舟の自分のところに入れた。
10 それからなお七日待って、再び鳩を箱舟から放った。
11 鳩は夕方になって、彼のもとに帰って来た。すると見よ。むしり取ったばかりのオリーブの若葉がそのくちばしにあるではないか。それで、ノアは水が地から引いたのを知った。
12 それからなお、七日待って、彼は鳩を放った。鳩はもう彼のところに戻って来なかった。


オリーブを咥えた鳩.JPG

●神のさばきとしての洪水の水が引いた頃、再度ノアは鳩を放ちます。すると鳩はオリーブの若葉をくわえて戻ってきます。「鳩」と「オリーブの若葉」の関係は、地上に新しい時代が始まったことを知らせる象徴的なかかわりをたとえています。聖書においては、
オリーブの葉は平和と和解を象徴しています

●使徒パウロはユダヤ人と異邦人の関係をオリーブと野生種のオリーブにたとえています。オリーブである選民イスラエルに、野生種のオリーブである異邦人がキリストにあって接木され、根の養分を共に受けるようになったことを述べています(ローマ11:17~18)。そして、それを「新しいひとりの人」という概念で説明しています(エペソ2:15)。これはパウロに啓示された奥義です。

【新改訳改訂第3版】エペソ人への手紙3章6節
その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。

●ヨナ書で提起されている問題はこの奥義に関することだと考えられます。イスラエルの預言者ヨナは、異邦人であるアッシリヤの首都ニネベの人々に神のことばを伝えるように命じられますが、その神のことばを聞いたニネベの人々は、奇蹟的に悔い改めて、神のさばきを免れるということが起こります。「オリーブの若葉」に象徴されるイスラエルと異邦人との平和と和解についての神の啓示が、ヨナに託されたと言えないでしょうか。しかしこの異邦人に対する神の慈愛を、ヨナは受け入れ難かったがゆえに神に取り扱われているのです。おそらくヨナの心情は、「二人の息子を持つ父のたとえ話」(放蕩息子のたとえ話)の中の「兄」の立場に近いのではないかと思います。その「兄」に対して父が弟を受け入れるように説得し続けているように、ヨナ書の最後も同じような形で終わっています。二人の息子のうちの弟の心情は単純明快ですが、兄の心情はとても複雑なのです。

●大洪水はやがて起こる大患難の型とも言えます。神のご計画(マスタープラン)によれば、その大患難の後にイェシュアは再臨し、メシア王国がこの地上に実現します。そこで初めてオリーブと野生種のオリーブがメシアなるイェシュアによって完全に接木され、真の平和と和解がこの地上に実現するのです。イスラエル(ユダヤ)人にとっても、また異邦人にとっても、この受け入れ難い神のご計画をどのように理解し、受け取るべきかが問われているように思います。

●ユダヤ人と異邦人、その「隔ての壁」はすべての分裂のルーツです。イェシュアを十字架にかけた神の選民ユダヤ人たちからキリスト教会が代って神の救いの担い手となったとする「置換神学」では、異邦人がユダヤ的ルーツを断ち切った視点で常に聖書を解釈しようとしてきました。そのことがどんなに神のみこころを傷つけて来たか、依然と知らずにいるクリスチャンたちが多いのが現状なのです。その意味で、ヨナ書は立場を換えた今日的問題とも言えるのです。

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脚注
●「ヒエロニムス」
キリスト教の聖職者・神学者で、聖書のラテン語訳であるウルガータ訳の翻訳者として知られる。四大ラテン教父のひとり。


2015.5.8


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