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ユダの最後の王ゼデキヤの愚かさ

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24. ユダの最後の王ゼデキヤの愚かさ

【聖書箇所】 21章1節~15節

ベレーシート

  • 前章の20章では初めて「バビロン」という言葉が登場しましたが、21章でも初めて登場する人物がいます。その人物の名前はバビロンの王であるネブカデレザルです。ところが面白いことに、聖書には二つの表記の仕方があるのです。「ネブカデレザル」と「ネブカデネザル」です。どちらが本当の名前なのかという問いに対しては、どちらも正しいというのが結論です。

画像の説明

  • 21章で初めて見る名前は「ネブカデレザル」です。この固有名詞は旧約では33回使われていますが、そのうちの29回はすべてエレミヤ書です。他の4回はエゼキエル書にあります。一方、「ネブカデネザル」は旧約で56回使われていますが、エレミヤ書では8回(27:6, 8, 20/28:3,11, 14/29:1, 3)です。列王記下24章と25章ではこちらの表記です。
  • 「レ」か「ネ」か、一文字の違いです。日本語で言うなら、「金本」という苗字を(「金本」さんという苗字の方には大変失礼のこととは思いますが・・)「カネモト」と呼ぶか、「カナモト」と呼ぶかの違いです。
  • ヘブル語では「レーシュ」(ר)か、「ヌン」(נ)の違いです。形が似ているので、写本の段階でこのような二つの表記になったのかもしれません。いずれにしても、この違いに気づく人は少ないかも知れませんが、その違いを原語のヘブル語できちんと説明できるならばすばらしいと思います。なぜなら、日本語(つまり訳語)のコンコルダンスとヘブル語のコンコルダンスがないとこの違いに気づきません。ただしこのことが分かったところで霊的には全く益するところなしです。しかし、聖書の舞台裏を知るためには必要とは言わないまでも、微妙な知識と言えます。

1. ゼデキヤの指導者としての愚かさ

  • 21章からしばらく、時間的順序が全く無視されて、ユダの最後の王であったゼデキヤに焦点が当てられます。彼は自分の側近をエレミヤのもとに遣わして次のように言わせました。

【新改訳改訂第3版】エレミヤ書 21章2節

どうか、私たちのために【主】に尋ねてください。バビロンの王ネブカデレザルが私たちを攻めています。【主】がかつて、あらゆる奇しいみわざを行われたように、私たちにも行い、彼を私たちから離れ去らせてくださるかもしれませんから。

  • ゼデキヤの治世11年間のうち最後の3年間は、バビロンの王ネブカデレザルに反逆しました。そのためにエルサレムはバビロン軍によって包囲されたのです。おそらく、そのような状況になったからのことだろうと思われます。ゼデキヤのこのことばには何一つ主に対するかかわりを悔い改めるという考えはみられません。かつて、エルサレムがアッシリヤの大軍に包囲されたとき、ひとりの御使いにって一晩のうちに18万5千人が死んだことによって、アッシリヤ軍は撤退したことがありました。そのような神の奇蹟的な勝利を期待してのことでした。これまでさんざんエレミヤを通しての主のことばを無視し、拒絶して来ましたが、ともかくバビロンの脅威から解放されたいという思いが先行しての派遣でした。
  • そうした派遣に対する主の応答は、甘い希望的観測を粉砕するような、きわめて厳しいものでした。この戦いを戦うのは、バビロンではなく、主自身であることを突き付けました。しかもユダの民を「惜しまず、容赦せず、あわれまない」という徹底的に厳しいものでした。
  • 国が存続の危機を迎える時、指導者たちは自分たちの保身をはかるのが常です。ゼデキヤもユダの王でありながら、最後まで、正しいさばきを行なうことができていなかったようです(21:12)。彼は単にエルサレムの町が敵から守られるなら、それでよかったのです。事の大事さを神の視点から考えることのできない王でした。それは私たち人間の愚かさを代表していると言えます。

2. 難攻不落とされたエルサレムの破壊は神によるもの

  • 主の厳しい御告げはこうです。

「この町(エルサレム)は、バビロンの王の手に渡され、彼はこれを火で焼くであろう。」(21:10後半)

  • 敵の手に渡す(原語では「与える」の「ナータン」)は主です。バビロンはその道具でしかありません。本来、エルサレムは堅固な要塞都市です。ダビデがエブス人からその町を責め取って以来、どの国からも奪い取られたことのない町でした。人間的な手段では容易に陥落させることのできない町でした。バビロンでさえ三年間エルサレムを包囲したこと自体、その町を容易には陥落させられなかったことを物語っています。
  • ユダの人々はエルサレムの堅固さに加えて、特別な神の守りがあることを期待していました。それはいわば迷信的お守り信仰です。このような信仰は一見立派そうに見えますが、神に対しては意外と頑固で、変えることができないのです。
  • 日本でも鎌倉時代の末期、元寇が日本を侵略しようと海を渡って来たとき、二度も強風によって阻まれました。元寇を壊滅されたとされる「神風」信仰はこのときに生まれたようです。そして後の第二次世界大戦の時に、「神風特攻隊」という決死部隊によって連合軍を討つという信仰で多くの若者が犠牲となりました。
  • 指導者たちの動向のあり方が国の行方を決定づけてしまうということはいつの時代にも見られることです。さばきにおける神の主権性に対して、私たち人間にはなす術はないのです。

2013.2.26


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