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ヤロブアムに対するアビヤの宣戦布告

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37. ヤロブアムに対するアビヤの宣戦布告

【聖書箇所】Ⅱ歴代誌 13章1節~22節

ベレーシート

  • ユダの王レハブアムの治世(17年間)から、その息子「アビヤ」に治世が変わります。「アビヤ」は列王記では「アビヤム」となっています。「アビヤ」の原語は「アヴィッヤー」(אֲבִיָּה)で、「主はわが父」を意味します。果たして彼は善王なのでしょうか、それとも悪王なのでしょうか。列王記によれば、以下のようにはっきりと「悪王」の評価です。

【新改訳改訂第3版】Ⅰ列王記15章3節
彼(アビヤム)は父がかつて犯したすべての罪を行い、彼の心は父ダビデの心のようには、彼の神、【主】と全く一つにはなっていなかった。


●歴代誌においてのアビヤの評価は「悪い」とも「善い」とも明確にされていません。


1. アビヤの宣戦布告

  • 「レハブアムとヤロブアムとの間には、一生の間、争いがあった。」(Ⅰ列王記15:6)とあります。その対立関係はレハブアムの子アビヤにも引き継がれます。父レハブアムの時には、イスラエルを取り戻すために、イスラエルと戦おうとして選抜戦闘員18万を召集し、戦いをしようと進軍しました。しかし途中で、神の人シェマヤによって「あなたがたの兄弟たちと戦ってはならない」という主のことばを聞かされて、行軍を中止して引き返しています(Ⅱ歴代誌11:4)。そして、レハブアムはユダに防備の町々を建てて行きました。
  • アビヤがユダの王となったときにも、ヤロブアムとの間の対立関係はそのまま継続していましたが、アビヤの場合には、彼の方からヤロブアムに宣戦を布告し、全面戦争となってしまいました。アビヤ率いるユダの軍勢は精鋭40万であるのに対し、ヤロブアム率いる北イスラレルの軍勢は精鋭80万と勇士たちによって対抗し、戦いの備えがなされました。その勢力はユダの倍でした。
  • アビヤは、父レハブアムがイスラエルを取り戻そうとして戦いをしようとしたとき、神の人シェマヤがその戦いを中止される主のことばを伝え聞いていたのでしょうか。アビヤは父をどのように見ていたかを述べている箇所があります。それによれば、「父が若くて、おくびょうであり」(13:7)と述べています。「おくびょう」と訳された原語は「ラフ・レーヴァーヴ」(רַךְ־לֵבָב)で、直訳は「心が柔らかい」という意味ですが(口語訳は「意志が弱い」、新共同訳は「気が弱い」と訳しています)、アビヤはそのように自分の父を上から目線で見下していたのです。ですから、自分の治世になって、反逆したイスラエルを武力をもって取り戻して、全イスラエルを一つに回復しようと思っていたのです。
  • したがって、アビヤはヤロブアムとイスラエルに対して「私の言うことを聞け」と高圧的な態度に出ています。つまり、自分たちには主がついているので、おまえたちにはとうてい勝ち目がない。だから私に従えと言う言い分でした。

2. 戦いで得たものは何か

全イスラエル.JPG
  • 実際の戦いにおいては、神はヤロブアムと全イスラエルを、アビヤとユダの前に打ち破られた」」(13:15)とあります。主が「打ち破られた」(「ナーガフ」נָגַף)のです。20節の「こうして、「主が彼(ヤロブアム)を打たれたので、彼は死んだ。」とあります。ここでの「打たれた」も同じく「ナーガフ」が使われています。聖書にはイスラエルの「精鋭50万が殺されて倒れた」(7節)とあります。しかし、その戦いで得た町々はほんのわずかなものでした(右図の赤枠の部分)。13章19節では「ベテルとそれに属する村落、エシァナとそれに属する村落、エフライムとそれに属する村落など、幾つかの町々を彼から取った」とあります。やがてはこれらの町々も再び北イスラエルに取り戻されてしまいます。何のための戦いだったのでしょうか。
  • イスラエルとユダとのかかわりにおいては、対立時代もあれば、協調時代もあります。しかし、ダビデ・ソロモンの時代にあったような統一国家として回復することはありませんでした。この二つが再び一つにされるのは、キリストが再臨された千年王国においてです。
  • 神は、このことを「二つの杖が一本の杖につなぐ」(エゼキエル37:16~17)という預言者の象徴的行為によって現わすようにエゼキエルに命じました。一つの杖は「ユダと、それにつくイスラエル人のために」、もう一本の杖は「エフライムの杖、ヨセフと、それにつくイスラエルの全家のために」で、その両方をつないで、エゼキエルの手の中でこれらを一本の杖とするという行為です。しばしばエゼキエル37章の「枯れた骨」のヴィジョンを、教会のリバイバルの約束として用いられることがありますが、それは全く的外れな解釈です。
  • 分裂してしまったユダとイスラエル(エフライム)が再びメシアによって統一される時が来ます。それは神によって成し遂げられます。決して人間的な働きによるものではありません。神の主権的みわざによるものです。その時こそまさに「枯れた骨が生き返る」奇蹟なのです。

3. 「ときの声を上げる」ということ

  • Ⅱ歴代誌13章15節に「ユダの人々はときの声をあげたとき」とあります。これは戦いに際して「大声を上げること」を意味しますが、それに伴い、祭司たちが「ラッパを吹き鳴らします」。原語は「ルーア」(רוּעַ)で、初出箇所は民数記10章7節です。そこでは祭司の吹くラッパの意味が指定されています。
    (1) 長く吹き鳴らされる場合、それは集会を召集するときです。
    (2) 短く吹き鳴らす場合・・・戦いに出るときです。この出陣・進軍のラッパが吹き鳴らされるとき、人々は「大声を上げるのです。

2017.4.21


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