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ベツレヘムからイスラエルの支配者になる者が出る

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5. ベツレヘムからイスラエルの支配者になる者が出る

【聖書箇所】5章1~15節

ベレーシート

  • 新改訳聖書のミカ書5章1節は、ヘブル語聖書では4章14節として置かれています。新共同訳はヘブル語聖書と同じです。なぜ、新改訳は4章の最後の節を5章の最初に置いているのかと言えば、それはメシアが生まれる場所である小さな村ベツレヘムと、包囲されて打たれ、滅ぼされて神のさばきを受けるエルサレムとを対照させるためと思われます。この箇所を新共同訳では次のように訳しています。

    【新共同訳】ミカ書
    4章14節
    今、身を裂いて悲しめ、戦うべき娘シオンよ。敵は我々を包囲した。彼らはイスラエルを治める者の頬を杖で打つ。
    5章1節
    エフラタのベツレヘムよ/お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。

エルサレム&ベツレヘム①.JPG
  • 「イスラエルを治める者」の頬が杖で打たれるエルサレムと、「イスラエルを治める者」が出るエフラタのベツレヘムが対照されています。ちなみに、新改訳では「イスラエルのさばきつかさ」(5:1)と「イスラエルの支配者」(5:2)と訳されているのですが・・。
  • 原文では前者が「ショーフェート・イスラーエール」(שׁׂפֵט יִשְׂרָאֵל)、後者は「モーシェール・ベ・イスラーエール」(מוֹשֵׁל בְּיִשְׂרָאֵל)となっています。「イスラエルを支配する者」、「イスラエルで治める者」ということで内容的には同義と言えます。
    画像の説明
  • ミカ書の預言的貢献は、イスラエルを支配する者がベツレヘム(=エフラテ)で生まれるということです。そしてこの預言はイェシュアが生まれることで実現しました。
  • 当時、エルサレムの王であったヘロデのところに、幼子を礼拝するためエルサレムにやって来た東方の博士たちが訪れます。ヘロデ王はその預言について知りませんでした。そこでヘロデは民の祭司長たち、学者たちをみな集めてキリストがどこで生まれるのかを問いただしました(マタイ2:4)。ところが、ヨハネの福音書7章42節によれば、「キリストはダビデのいたベツレヘムの村から出る」ということを知っていた人々もいたようです。おそらくその人々は会堂で当時のラビを通して教えられていたのかもしれません。

1. いと小さきところから偉大な者が出るという神の定め

【新改訳改訂第3版】ミカ書5章2節
ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。

  • ベツレヘムはユダの氏族の中で「最も小さいもの」とされています。「最も小さい」(新改訳)と訳された形容詞のヘブル語は「ツァーイール」(צָעִיר)で、「小さい、つまらない、若い、年下、末の子、弟、妹」を意味します。新共同訳・関根訳では「いと小さき者」と訳されています。
  • 聖書の中に自分の属する氏族、あるいは出生地が他よりも劣っているという意識をもっている人々がいます。

    (1) サウル
    【新改訳改訂第3版】Ⅰサムエル記9章21節
    サウルは答えて言った。「私はイスラエルの部族のうちの最も小さいベニヤミン人ではありませんか。私の家族は、ベニヤミンの部族のどの家族よりも、つまらないものではありませんか。どうしてあなたはこのようなことを私に言われるのですか。」


    (2) ギデオン
    【新改訳改訂第3版】士師記6章15節
    ギデオンは言った。「ああ、主よ。私にどのようにしてイスラエルを救うことができましょう。ご存じのように、私の分団はマナセのうちで最も弱く、私は父の家で一番若いのです。」


    (3) ダビデ
    ダビデは八人兄弟の一番年下でした。


    (4) ヤコブ
    ヤコブは弟でしたが、長子の権利を得ました(不当な方法でしたが、ひとたび得た権利は戻すことができません)。兄はエサウ。


    (5) ベニヤミン
    ヤコブの一番下の子はベニヤミンでした。そのベニヤミン部族からサウル王や預言者エレミヤ、そして使徒パウロが登場しています。


    (6) ラケル
    ラケルはレアの妹ですが、ヤコブからとても愛されました。ラケルの産んだ子はヨセフ、そしてその弟のベニヤミンです。


    (7) エフライム
    エフライムはヨセフの二番目の息子で、兄はマナセです。ヤコブが臨終前にマナセとエフライムを自分の養子とし、祝福しようとしたときに、右手でエフライムを、左手でマナセを祝福しました。そのエフライム部族から、預言者であり祭司であるサムエルが、しかも小さな村から登場しています。

  • このように、小さな氏族、小さな者、末の者、弟や妹、小さな村、閑村といった秩序的には後に来るべきものが、先に来て、神のために大いなるものとなっているのです。これを神の「昔から、永遠の昔からの定め」だと訳しています。原文では「ミッケデム・ミーメー・オーラーム」(מִקֶּדֶם מִימֵי עוֹלָם)となっており、直訳で「昔から、いにしえの日から」で「定め」という語彙はありませんが、まさに不変の神の定めなのです。使徒パウロはこの定めを以下の箇所で述べています。

    【新改訳改訂第3版】Ⅰコリント1章26~29節
    26 兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。
    27 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。
    28 また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。
    29 これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。


2. イスラエルの支配者となるメシア来臨による終末預言

  • ベツレヘムから「イスラエルの支配者になる者が出る」という主の約束は、イェシュアの誕生(初臨)によってある意味において実現しました。しかしそれは、「イスラエルの支配者になる者」がベツレヘムから生まれ出るという意味においてです。しかし真の「イスラエルの支配者」となるということは、これからの事(再臨)です。
  • したがって、3節(新共同訳は2節)の冒頭には「それゆえ」(「ラーヘーン」לָכֵן)とあり、「イスラエルの支配者」となるメシアが再臨する前後にこれこれのことが起こるということが語られています。

    (1) 神の民は敵の手に置かれる
    【新改訳改訂第3版】5章3節
    それゆえ、産婦が子を産む時まで、彼らはそのままにしておかれる。彼の兄弟のほかの者はイスラエルの子らのもとに帰るようになる。

    「産婦が子を産む時まで」というのは、期間限定で神はご自身の民を敵の手に渡されることを意味します。それは神の民が霊的に生まれ変わる時までです。敵の手とは反キリストによる大患難を預言していると考えられます。


    (2) 王なるメシアの威力
    【新改訳改訂第3版】5章4節
    彼は立って、【主】の力と、彼の神、【主】の御名の威光によって群れを飼い、彼らは安らかに住まう。今や、彼の威力が地の果てまで及ぶからだ。

    王なるメシアの威力は全世界に及び、イスラエルの民は集められて羊の群れとして養われ、安らかに住まうようになります。


    (3) イスラエルの民は諸国を潤す民、支配的存在となる
    【新改訳改訂第3版】5章7、8節
    7 そのとき、ヤコブの残りの者は、多くの国々の民のただ中で、【主】から降りる露、青草に降り注ぐ夕立のようだ。人に望みをおかず、人の子らに期待をかけない。
    8 ヤコブの残りの者は異邦の民の中、多くの国々の民のただ中で、森の獣の中の獅子、羊の群れの中の若い獅子のようだ。通り過ぎては踏みにじり、引き裂いては、一つも、のがさない。

    イスラエルの民は「露」「夕立」のように世界を潤す存在となるだけでなく、イスラエルはまるでおとなしい羊のように、諸国の中では若い獅子のようになり、支配的存在となることが預言されています。




2014.12.24


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