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ハヌカの祭りの歴史的背景(2) マカバイ記③ (3,4章)

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5. ハヌカの祭りの歴史的背景(2) マカバイ書③ (3~4章)

【聖書箇所】マカバイ記上 3~4章

ベレーシート

  • マタティアが死んだ(おそらく病に倒れた)後、5人の息子たちの中の三男のユダが父の後を継ぎます。彼は意志強固で勇気のある有能な指導者であったことが、マカバイ記上3~4章を読むと分かります。4章38~59節には、汚されたエルサレム(シオン)の神殿と祭壇をきよめて、再奉献したことが記されています。この「再奉献」こそ、「ハヌカの祭り」の由来となった出来事です。その時は西暦B.C.164年(バビロニア式セレウコス暦、すなわち、マカバイ記に記されいる暦では第148年)です。この祭りの救済史的意義については「ハヌカの瞑想2015」の最後の瞑想で取り上げたいと思いますが、今回は神殿再奉献に至った勝利へのプロセスと指導者ユダのリーダーシップに、特に彼が語ったことばや戦い方に目を留めたいと思います。
  • 父マタティアの活動は約1年間でしたが、彼の貢献はアンティオコス4世・エピファネスのユダヤ人をヘレニズム化する政策に対して反撃の道を開いたことです。その実際的な戦いは彼の息子たちが担うことになります。

1. マカバイと呼ばれたユダの名声

新共同訳続編 マカバイ記3章1~9節
1 マタティアの息子、マカバイと呼ばれるユダが、父に代わって立った。
2 兄弟全員、またその父に従っていた者たち全員が彼を助け、進んでイスラエルの戦いを戦い抜いた。
3 民は彼によって、大いなる栄光を受けた。 彼は、巨人のように、胸当てを着け、 武具に身を固めて、戦場に臨み、 剣をもって、陣営を守った。
4 その働きは、獅子にも似て、 獲物にほえかかる子獅子のようだ。
5 律法に従わない者たちを 捜し出しては追いつめ、 民を混乱させる者たちを、焼き殺した。
6 律法に従わない者たちは 彼を恐れて縮み上がり、 不法を行う者たちは皆、混乱した。 救いの道は彼の手で開かれた。
7 彼は多くの王たちに苦汁をなめさせ、 その働きは、ヤコブを喜ばせ、 彼の名は永久に記憶され、たたえられる。
8 彼はユダの町々を経巡り、 そこに住む不敬虔な者たちを滅ぼし、 イスラエルから神の怒りを遠ざけた。
9 彼の名声は、地の果てにまで及び、 滅びようとしている者たちを呼び集めた。

  • 1節に「マタティアの息子、マカバイと呼ばれるユダが、父に代わって立った」とあります。ユダのあだ名である「マカバイ」が、マカバイ戦争、ハスモン家の別称マカバイ家の名は彼から出て一般化しています。

2. マカバイの数々の勝利

  • マカバイと呼ばれたユダはかつてのダビデのように、数々の戦いに勝利していきます。負け知らずの連勝です。

(1) アポロニオスとの戦い

  • マカバイのユダに立ち向かった最初の軍勢はアポロニオスの率いる異邦人とサマリヤ人からなる軍勢でした(3:10~12)。サマリヤ人とユダヤ人の確執は根強いものがあります。この戦いに勝利したユダはアポロニオスの剣を奪い、終生この剣で戦い抜いたとあります。

(2) シリア軍の司令官セロンとの戦い

  • セロンは功名心の強い人物で、より強力な群れを編成した。一方のユダは彼を捕らえようと一握りの兵を引き連れて出撃しますが、敵の大部隊を見た兵たちは「この人数で、どうして戦えましょうか」と訴えまました。その訴えに対してユダは「戦いの勝利は兵士の数の多さによるのではなく、ただ天の力によるのみだ」と鼓舞しただけでなく、敵は略奪しようとやって来るのに対して、自分たちは「いのちと律法を守るために戦うのだ」と動機づけ、不意打ちをかけることで敵陣に打ち破りました。

(3) 三人の将軍(プトレマイオス、ニカノル、ゴルキアス)との戦い

  • これらの三人の将軍は、経済的調達のためにペルシアに遠征していたアンティオコス4世エピファネスから国事を任せられていた血縁に当たるリシアスから派遣された者たちでした。この三人の将軍は四万の歩兵と七千の騎兵をもってユダを攻め入らせました。しかし、この戦いに備えて、祈りの集会を開き、断食をし、律法の巻き物を開いた。そして祈りました(3:44~60)。そのために、ゴルギアスがユダヤ人の陣営に奇襲をかけて殲滅しようとしますが、失敗に終わりました。三人の将軍たちはマカバイ一族の勢力を見くびっていたために敗北を期したのです。
  • ユダは仲間の兵士たちに「敵の数を恐れるな。敵の勢いにおじけづくな。」と言い、むしろ先祖がいかにして紅海で救い出されたかを思い起こせと励まします。そしてその戦いに勝利しました。この戦いにおいてユダは「多量の金や銀、青や紫に染めた布のほか厖大な富」を戦利品として手に入れます。これは神殿再建のために必要なものとなりました。

(4) リシアスの軍勢との戦い

  • 三人の将軍をユダに対して差し向けたリシアスは王の命令を果たせないことを知って動揺し、落胆しますが、その翌年には彼自ら戦いを交えるために、えり抜きの兵六万と騎兵五千を召集します。相対するユダは一万、ユダは祈って戦いを交えました。常識的に考えるならば、ユダの軍勢は明らかに劣勢です。ところが、リシアスの軍勢の方が後退したのです。ユダの軍の士気はますますま高まるばかりでした。勝ち目がないと分かったリシアスは再度、体制を整えてから戦うしかないと引き上げたのです。
  • このように、ユダの連勝の秘訣は「祈り」にありました


2. 聖所のきよめと祭壇の奉献

  • リシアスの軍が引き挙げた段階で、ユダとその兄弟たちは、「見よ。我らの敵は粉砕された。都に上り、聖所をきよめ、これを新たに奉献しよう。」(4:36)と呼びかけてシオンの山を目指して進撃しました。ところが、荒れ果てた聖所の光景を見た彼らは、「衣服を裂き、激しく胸を打ち、灰をかぶり、地面に顔を伏せ、・・天に向かって叫んだ」とあります(4:40)。

(1) 聖所のきよめ

新共同訳続編 「マカバイ記」上 4章47~58節
47 そして祭司たちは、律法に従って、自然のままの石を持って来て、以前のものに倣って新しい祭壇を築いた。
48 こうして、聖所および神殿の内部を修復し、中庭を清めた。
49 また聖なる祭具類を新しくし、燭台、香壇、供えのパンの机を神殿に運び入れ、
50 香壇には香をたき、燭台には火をともして神殿内部を照らした。
51 また机には供えのパンを置き、垂れ幕を垂らした。かくしてなすべきことはすべてなし終えた。
52 第百四十八年(=西暦B.C.164)の第九の月――キスレウの月――の二十五日(=12月14日)に、彼らは朝早く起き、
53 焼き尽くす献げ物のための新しい祭壇の上に律法に従っていけにえを供えた。
54 異教徒が祭壇を汚したのと同じ日、同じ時に、歌と琴、竪琴とシンバルに合わせて、その日に祭壇を新たに奉献した。
55 民は皆、地に顔を伏せて拝み、彼らを正しく導いてくださった方を天に向かってたたえた。
56 こうして祭壇の奉献を八日にわたって祝い、喜びをもって焼き尽くす献げ物をささげ、和解の献げ物と感謝の献げ物のいけにえを屠った。
57 彼らはまた神殿の正面を黄金の冠と小盾で飾り、門と祭司部屋を再建し、戸を取り付けた。
58 民の間には大きな喜びがあふれた。こうして異邦人から受けた恥辱は取り除かれたのである。


●かつて祭壇では、アンティオコス4世エピファネスの誕生の日付に従って、毎月、豚がいけにえとしてささげられていたようです。しかしその祭壇は壊され、神のための新しい祭壇が立てられました。それは三年間の神殿が汚されていた期間が終わったことを表わしています。

●第百四十八年(=西暦B.C.164)の第九の月――キスレウの月――の二十五日(=12月14日)の三年前、つまり、第百四十五年(=西暦B.C.167)の第九の月――キスレウの月――の十五日(=12月7日)に、アンティオコス4世エピファネスが祭壇の上に荒廃をもたらす憎むべき物(ゼウス)を築いて神殿を汚したのです。


  • 神殿のきよめについては、マカバイ記下10章にも記されています。

    新共同訳続編 「マカバイ記」下 10章1~7節
    1 マカバイとその同志は、主の導きによって神殿と都とを奪還した。
    2 異国の者たちが市場に築いた盛り土の祭壇はもとより、その囲みまで跡形もなく取り払い、
    3 神殿を清め、新たな祭壇を築いた。そして火打ち石で火を取り、二年ぶりにいけにえを献げ、香をたき、燭台に火をともし、パンを供えた。
    4 これらのことを行った後、彼らは主に向かってひれ伏して言った。「主よ、わたしたちが二度とこのような災禍に陥らないように、また万一罪を犯すことがあっても、主御自身が寛容をもって矯正し、神を冒涜する野蛮な異邦人の手に決して渡さないようにしてください。」
    5 神殿の清めはキスレウの月の二十五日に行われたが、その日はかつて異国の者たちによって神殿が汚された日であった。
    6 仮庵祭のしきたりに倣い、ユダたちは歓喜のうちに八日間を過ごしたが、つい先ごろまで、けだもの同然に山中や洞穴で、仮庵祭を過ごしていたことを思い起こした。
    7 彼らは、テュルソス、実をつけた枝、更にはしゅろの葉をかざし、御座の清めにまで導いてくださったお方に賛美の歌をささげた。

(2) ハヌカの祭りの制定

新共同訳続編 「マカバイ記」上 4章59節
59 ユダとその兄弟たち、およびイスラエルの全会衆はこの祭壇奉献の日を、以後毎年同じ時期、キスレウの月の二十五日から八日間、喜びと楽しみをもって祝うことにした。


新共同訳続編 「マカバイ記」下 10章8節
8 またユダたちは、この日について公に提案し、人々の賛同を得て、ユダヤのすべての民はこの日を、年ごとの祭日として祝うことにした。


●神殿がきよめられ、祭壇が新しく奉献されることによって、ここにユダヤ教の純粋性が回復されました。そのことを記念するのが今日も行われている「宮きよめの祭り」「ハヌカの祭り」なのです。


2015.12.12


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