****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

ディアコニア共同体となるために

霊性の神学の目次を見る

C-08. ディアコニア共同体となるために


はじめに

  • 講義C「社会とのかかわを育てる」で述べたことを振り返りたい。その<学びの視座>は、私たちが神のしもべとして、神と教会、そして人と社会に仕えるというものである。マタイ福音書25章32節以下に記されている有名な『ディアコ二ア憲章』にあるように、この世の苦しむ人々に仕えることは「わたしにしてくれたことである」と主は語っておられる。
  • 使徒の働き13章36節に「ダビデは、その生きていた時代において神のみこころに仕えてのち、死んで・・」とあるが、私たちも同様に、今の時代に仕えなければならない。私たちは、自分の置かれている時代以外に生きることは不可能なのであるから。
  • 私たちはキリストのしもべとして、教会と社会の間に隔ての壁を造って、社会から遊離してはいないだろうか。講義Cでは中世のディアコニアの新しい担い手としての修道院について触れることはできなかった。修道院は教会の発展に伴い教会が世俗化していく中で、信仰の純粋性を保とうとして出現した。と同時に、隣人愛の働きも必然的に燃え上がった。ディアコニアの実践は、修道院の堅い壁を破って外にあふれ、貧しい人々の世話をし、旅人や孤児、病人、老人、困窮者の保護の必要に迫られ、宿泊所、病院、孤児院を併設していったのである。中世の暗黒期に、キリスト教の信仰と隣人愛を保ったのはまさに修道院であったのである。
  • 西欧修道院の祖と言われるベネディクトス(480~543年頃)は、イエスの教えに基づいて清貧と貞節と服従を守り、祈りと労働の生活をなし、基本的姿勢として隣人愛を保つよう説いている。そして「修道院長自ら客人に手洗いの水を与え、足を洗ってあげなさい。その後、神の慈愛を祈りなさい」と言っている。
  • 講義Cの最後として、主にある教会が、ディアコ二ア共同体となるために、ディアコ二アを生きるために、次の三つのことを提案し、チャレンジしたい。

(1) オープン・マイセルフ (Open Myself)

  • 神と人、そして社会に仕えていくために、人と人、自分と他者、教会と社会…私たちの周りにある様々な"壁"を開いていくことはできないだろうか。"璧"が開かれたその先に何があるのかわからない。しかし、私たちの周りに、何か開いていかなければならないものはたくさんあるはずである。 
  • 教会の未来を担っていく者たちにとって大切なことは、未来は今現在とつながっているということを忘れてはならない。今、私たちが触れているもの、教会の中に起こっていること、そのひとつひとつは決して未来と無関係ではない。
  • たとえば、私たちの教会に介護を必要とするお年寄りがいるなら、その人を通して、日々の介護とそれを担う家族のあり方、介護社会における教会のなすべきヴィジョンを見ることができるかもしれない。心に病を持つ青年がいるなら、その青年を通して現代の青年に共通するの心のパーソナリティを見ることができるかもしれない。もし、親に虐待された子どもがいるならば、そうした子どもを里親として育てるヴィジョンが与えられるかもしれない。あるいは、クリスチャンホームの子弟がいるならば、今日の学校教育のみに頼らず、信仰を継承するためにホーム・スクーリングのヴィジョン、不登校生の存在を通してより社会に開かれた宣教的な働きとしてのチャーチ・スクールのヴィジョン見るかもしれない。また、ビジネスに関心を持っている人がいるなら、起業精神をもって神のための会社を起こすヴィジョンを見るかもしれない。
  • 教育の領域、行政の領域、医療の領域、福祉の領域、治安の領域、メディアの領域等において、今私たちが直面し、今起こっている事柄を通して、教会と社会との間に新しい橋を掛けることができるかもしれない。
  • 神と人に仕えていくために、クリスチャンすべてに、それぞれが神からの恵みの賜物が与えられていることを学んだ。そのためには、まず私たち一人ひとりが、<オープン マイ・セルフ>し、自分の殻を抜け出さなければならない。神学校に行くだけが献身の道ではない。むしろ、今、私たちが生き、生活しているところから「私自身を開く」ことである。それから、教会を外へ、地域へ、と開いていけないだろうか。そのためには、私たちひとりひとりに神からの召しが必要であるのは言うまでもない。

(2) ホスピタリティ・マインド (Hospitality Mind)

  • ホスピタリティ・マインドとは、「もてなしの心」である。今日、最も元気のある企業は、ホスピタリティを志向した企業であると言われる。つまりホスピタリティ・マインドを持った人々からなる組織である。それは公式の命令系統にそって行動せず、臨機応変にいつも変化する「形のない組織」であり、そこには創造性と自主性が求められ、活かされている。しかも従業員は相互に信頼し合い、強い連帯感を持っている。今は、ホスピタリティ・マインドはビジネス界においては常識であり、これを有しない企業の明日はないと言われているほどである。人間性が大きな比重を占めている。
  • このホスピタリティ・マインドが、今日のクリスチャンの中に、あるいは教会の中に欠けてはいないだろうか。電話の応対一つで、教会の雰囲気が分かってしまうような教会では人の心をつかむことはできない。今、社会が求めている人間は、ホスピタリティ・マインドを持った人であり、ビジネス界においてもホスピタリティの質が戦略的位置の主要な部分になってきている。今日、どの顧客に対しても、「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」「次の方どうぞ」と言ったマニュアル化されたサ―ビスはロボットでもできる。もっと血の通った人間性が求められているのである。これからの社会の動向として、これまでの「規模が大きいことは良いことだ」という量的な考え方から、「小さいことは良いことだ」「小さいけれども、温かい」という質への時代へと移行しつつある。
  • 人に夢と希望を与え、喜びと感動を与え、心地良さを与えるホスピタリティ・マインドを持った人こそ、真の仕え人であるといえる。 とはいえ、このような人材は、一朝一夕にして育たない。日本の茶道の本質はホスピタリティ・マインドである。今日、茶道というと、作法のうるさいイメージがあるが、お茶を立てるということは、もともと茶をたてる人と飲む人の関係がより重要であったはずである。。初対面であったとしても、あたかも何年も付き合ってきたかのような温かいもてなしをする、そんな心こめたもてなしは、短期間の稽古でできものではないらしい。ただお茶を飲むだけのように見えるが、お茶の世界を極めるには、何十年の時間を要しても終わりのない道のりだと言われている。確かに、日本の茶道、華道のように、庶民の伝統文化の中で何十年もの練習を必要とするものは、世界でもあまり類を見ない。茶道における「一期一会」は、まさにライフスタイルそのものなのである。
  • ホスピタリティという単語を英和辞典で調べると、だいたいどの辞書にも「思いやり」「気配り」「もてなし」「態度」「身のこなし」「物腰」「振る舞い」「厚遇」あるいは「饗応」ということばで説明されている。しかしそれらはいずれも表面的な形での説明である。ホスピタリティというのは、その人の性格や教養、そして文化的・社会的背景や経験などをベースにして、どれだけ相手の立場や気持ちにそって対応できるかということである。
  • 本来のホスピタリティとは、相手の喜びや幸福に対する無償の心配りであって、対等の関係が求められる。そして、その関係においては、より精神的なもの、より人間的なものが最も重要な要素である。究極的には、人間の世界においては、「モノではなくココロ」しか相手に通じないのである。
  • 「人には親切、しかし自分には厳しく」相手に対してはホスピタリティ・マインドをもって対応する。人間は、そもそも他人に対しては厳しく、自分には寛大である。そうではなく、他人にはいつも温かくやさしく接するべきである。
  • 聖書では、「何ごとでも自分にしてもらいたいことは、人にもそのようにしなさい。」とイエスは語られた。これは聖書における人と人との関係における黄金律である。

(3) 人の心を知る (Personality Mind)

  • 人に仕えようとするとき、私たちは人の心を知ることを知らなければならない。とはいえ、人の心というものはきわめてミステリアスで奥深い。人の心を知る知恵と知識を身に付けなければならない。教会の働きの多くは、人と関わるものでありながら、その人間理解についてはきわめて無知であることが多いのである。
  • 一つの例として、「アダルト・チルドレン」という名のパーソナリティ特性
  • 例えば、最近の若者の心が見えなくなってきている。どう理解すればよいのかわからない。今日の若い世代は、ひと昔前の若者と比べて大きく変容している。それゆえ、教会の牧師やリーダーである年長者が若者と関わろうとすると、つまずかせる可能性が高い。あなたは〈アダルト・チルドレン〉ということばを聞いたことがあるだろうか。
  • アダルト・チルドレンとは、「安全な場所」として機能しない家族、つまり子どもにとってトラウマ(心的外傷)が継続的に生じてしまう家族の中で育った人々のことであるが、程度の差があるにせよ、普通の子も、その根底に「アダルト・チルドレン」と共通するパーソナリティの特性を有している。そうした今日の若者の思考と行動を理解していくことが、これからの教会において重要である。これからの時代、家族崩壊による心の傷をもった人は増え続けるであろう。
  • その特徴は、
    ①周囲が期待しているように振舞おうとする。
    ②ノーが言えない。
    ③しがみつきと愛情を混同する。
    ④楽しめない、遊べない。
    ⑤フリをする。
    ⑥自己処罰に嗜癖。
    ⑦他人に自分の真価を知られることを怖れ、恥じる。
    ⑧他人に承認されることを渇望し、淋しがる。
    ⑨何もしない完璧主義者である。
    ⑩変化を嫌う。
    ⑪被害妄想に陥りやすい。
    ⑫表情に乏しい。
  • 人の心を知る人、人の心を理解する人が必要とされる時代である。


霊性の神学の目次を見る

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional