****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

ダニエルの主に対する忠誠

文字サイズ:

7. ダニエルの主に対する忠誠

【聖書箇所】 6章1節~28節

ベレーシート

  • ダニエル書6章は、3章にある三人の青年ー「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの主に対する忠誠」の話ととてもよく似ています。いわば姉妹編のような物語です。だた一つ異なっているのは、6章でのダニエルの推定年齢が80歳ほどいうことです。

画像の説明

1.  法令にあえて従わなかったダニエル

  • バビロンの法制度とメディヤ・ペルシヤの法制度との大きな違いは、前者が絶対専制君主であって王自らが法そのものです。ところが後者は、ひとたび法令を発するならば、たとい王といえどもそれに従わなければならない立憲国家でした。法が制定されたならば、王といえどもそれを勝手に変更したり、取り消したりすることはできませんでした。
  • ダニエルはいずれの法制度であったとしても関係なく、神の法の下に生きることを選び取った人物です。そのために、ダニエルは他の高官の策略にはめられ、獅子の穴の中に投げ入れられてしまいました。
  • ダリヨス王は国を治めるために、120人の「太守」(総督、知事)を任命し、その上に三人の「大臣」(総監)を置きまた。その「大臣」の一人がダニエルでした。ダニエルはいわばユダヤ人で捕虜として連れて来られたよそ者です。しかも彼は、他の同僚よりも「きわだってすぐれていた」ために、王はダニエルに国全体を治めされる責任を与えようとしました。そのために、ダニエルは同僚たちから妬みを買ってしまったのです。「太守と大臣たち」は国政についてダニエルを訴える口実を見つけようとしましたが、何の口実も欠点も見つけることができなかったため、巧みな策略によってダニエルを陥れようと謀ったのです。
  • ダニエルは同僚の策略を知りながらも、自分の家に帰って、いつものように、日に三度、神に祈ることをやめませんでした。そのことが禁令にふれることになったのです。ダニエルを信頼するダリヨス王は、非常に憂い、なんとかダニエルを救おうとしましたが、王が制定し、自ら署名した禁令を変更することは許されませんでした。そのためにダニエルは獅子の穴に投げ込まれてしまったのです。

2. 獅子の穴の中で守られたダニエル

  • 普通ならば、獅子の穴の中に入れらるやいなや、すぐに食い殺されていたに違いありませんが、ダニエルはその身になんの害をも受けることなく、全く無傷でした。なぜなら神が御使いを送って獅子の口を閉ざされたからです。
  • このように、神を信頼する者は必ずすべての危険から守られるのだろうか。否です。すでに3章18節では三人の青年たちが神の守りを確信している箇所で、神への忠誠を破らせようとする状況の中で、「もしそうでなくても」と言って偶像への礼拝を拒絶しています。ダニエルも同様に、神への忠誠を妨げる禁令に対して、そのような思いであったろうと思われます。ところが、ここでは神はダニエルを守られました。
  • イエスご自身は「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。」と言われました(マタイ5:10~12)。
  • 使徒パウロも愛弟子のテモテに対して、「何というひどい迫害に私は耐えて来たことでしょう。しかし、主はいっさいのことから私を救い出してくださいました。 確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」(Ⅱテモテ3:11~12)と述べています。
  • 「獅子」は、信仰者に対する悪魔による迫害の象徴です。しかし使徒ペテロは苦難の中に置かれている者たちに対して、以下のように励ましています。

    新改訳改訂第3版 Ⅰペテロ5章8~9節

    8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
    9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。
    10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。

  • ダニエルは獅子の穴の中で、これまで以上に、確かな神の臨在を経験したに違いありません。ダニエル書の6章の意義は、迫害という苦難において必ずや神の介入があるということを示すだけでなく、同時に、神の民を苦しめる敵は必ず自滅するという真理を示すためであったと言えます。事実、ダニエルを陥れようとした者たちは、その妻子と共に、獅子の穴の中に投げ入れられてしまったからです。

2013.8.17


a:9164 t:1 y:3

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional