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サマリヤ人の起源の経緯

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列王記の目次

39. サマリヤ人の起源の経緯

【聖書箇所】 17章1節~41節

はじめに

  • 新約聖書でしばしば「サマリヤ人」という言葉、あるいはその人々が登場します。イエスはユダヤからガリラヤへ行かれるときに、「サマリヤを通って行かなければならなかった」とヨハネの福音書4章4節にあります。そしてイエスはそこでひとりの女性にあい、渇くことのない生ける水を与えただけなく、そのサマリヤの町に住む人たちがイエスを信じたと記しています。「良きサマリヤ人のたとえ話」や、「10人のツァラアト」が癒されたにもかかわらず、イエスのところに戻ってきて感謝をささげたのはサマリヤ人であったことをルカも記しています。イエスはサマリヤ人に対して好意的のように見えますが、ユダヤ人とサマリヤ人との関係は犬猿の仲だったのです。なぜそのようや関係だったのか、サマリヤ人と呼ばれるようになったその起源と経緯が17章によって知ることができるのです。

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(岩波書店「旧約聖書ー列王記」234頁より引用)

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(大島力監修「図解 聖書」127頁より引用)

1. 北イスラエルの首都サマリヤの陥落

  • 北イスラエルの最後の王ホセアは、その在位中にアッシリヤの王シャルマヌエセル(BC.727~722)によって隷属させられ、みつぎものを納めるようになりました。ところが、ホセアはエジプトを頼みとし、アッシリヤに対する謀反を起こしてみつぎものを納めることをやめました。そのことでホセアは捕えられ牢獄につながれました(17:4)。
  • ホセアの在位9年目に、サマリヤはアッシリヤによって包囲され、陥落しました。アッシリヤの王の政策は、イスラエル人をアッシリヤに捕え移し(強制移住)、彼らを「ハラフ」、「バボル」(ゴザン川のほとり)、「メディヤ」の町々に住ませました。一方、占拠したサマリヤの町には、「バビロン」「クテ」「アワ」「ハマテ」「セファルワイム」から人々を強制移動させて住まわせました。
  • 北イスラエルの町サマリヤが陥落したその原因を聖書は、「こうなったのは」という表現で説明していますが、それによれば、イスラエルの人々が主に対して罪を犯して、異邦人の風習に従って歩んだからである」としています(17:7~8)。

2. サマリヤでの二重礼拝の経緯

  • さて、異邦人がサマリヤの町に住み始めたときに、不思議なことが起こりました。それは主が獅子を送って彼らのうち幾人かを殺したからです。移住させられた人々は、アッシリヤの王にこのことの原因として、「イスラエルの神に関するならわしを知りないからだ」と訴えために、アッシリヤの王はサマリヤから強制移住させた中から一人の祭司を遣わして、どのようにして主を礼拝するのかを教えさせました。そのために、主と他の偶像を同時に礼拝するという二重礼拝がなされました。主を礼拝するといっても、それは主を真に恐れての礼拝ではなく、また、神の律法に従って歩むわけでもありませんでしたが、一応、主への礼拝の形だけはなされたのです。
  • この「ひとりの祭司」が誰であったのか、その名前は記されていません。ただこの祭司は「ベテル」に住んだとあります。おそらく、彼はかつてそこに置かれていた祭壇で礼拝をしていた祭司だったと思われます。
  • 「ベテル」(神の家)はもともと分裂後、南ユダにあるエルサレムが民が影響されないようにベテルを宗教的中心地として選び、そこに金の子牛の像を据えて礼拝を守らせた場所でした。そこで、「ひとりの祭司」はアッシリヤの王が移住させた異邦人たちに主の礼拝の仕方を教えたのでした。したがって、新約時代に登場する「サマリヤ人」は、主について知っており、彼らなりの伝統的な礼拝をしていたと考えられます。主に対する礼拝とそれぞれの地域から移住させられた人々の偶像への礼拝が、同時になされるという二重礼拝が起こったのです。
  • 日本でいうならば、神道の神棚と仏教の仏壇が一つの家の中に置かれ、両方に対して礼拝がなされるという風習が築かれるようになったということです。これが「サマリヤ人」の宗教的風習の経緯です。

3. ユダヤ人と犬猿の仲にある「サマリヤ人」

  • 聖書ではイスラエルの民がアッシリヤの各地に捕囚されたとありますが、果たして、捕囚され移住された民がその民のすべてなのか、それともその一部なのか、はっきりとは記されていません。もし前者であれば、サマリヤの町は異邦人の町という事になります。しかし後者であれば、雑婚という形での世代がつながれてきているわけです。
  • ユダの民(南ユダ王国)も、主に対する罪のゆえに、バビロンの捕囚の民となります。しかし世代を経て、彼らは神のトーラーを通して霊的にリセットされて帰還します。そして神殿を再建しますが、そのときにサマリヤ人たちも協力しようと申し出ますが、帰還したユダヤ人は信仰の違いからその申し出を拒絶します。それはエズラやネヘミヤたちが民族の血を守るという堅い結束を展開していたからです。その結果、サマリヤ人はそれに対抗するかのように、ゲリジム山に神殿を築いて礼拝するようになります。
  • サマリヤにおける主の礼拝においては、モーセの五書のみが正典とされています。ですから、サマリヤ人は神の律法を知っているわけです。神がサマリヤに移住した者を獅子で殺したことによって、そこに主への礼拝の形を残存させましたが、これは神の隠された導きだったのです。イエスが出会ったサマリヤの女が、イエスに「私はキリストと呼ばれるメシアが来られることを知っています」と言っています。そのように彼女が言えたのは、神のトーラーがサマリヤで教え伝えられていたからです。イエスとサマリヤの女との出会いは、神が定めた必然的なものだったのです。なんとサマリヤに住む者たちは、イエスと出会ったひとりの女を通して、イエスと出会い、さらには自分たちが直接イエスから聞いてイエスが約束されたメシアであることを信じたのです。
  • さらには、使徒の働きにおいて、エルサレムにおいて迫害が起こったために弟子たちは各地に散って行き、そこで福音を伝えます。使徒の働き8章には、サマリヤにリバイバルが起こったことが記録されています。なぜリバイバルと言えるのか、そこはイエスがかつてそこに行ったときに多くの人々がイエスをメシアと信じたからです(ヨハネ4:39~42)。

画像の説明

現代のサマリヤ人(ゲムジム山)。ユダヤ人とは風貌が異なります。

2012.11.30


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