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イスラエルの指導者たちのための哀歌

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19. イスラエルの指導者たちのための哀歌

【聖書箇所】 19章1節~32節

ベレーシート 

  • イエス・キリストは神の国について多くのたとえ話を語られました。しかしこれはイエスの独自な語り口ではなく、すでに預言者たちが語った手法(修辞法)でした。預言者エゼキエルも多くの寓話(たとえ話)を用いながら、これまでに起こった出来事とこれから起ころうとする出来事を預言しました。該当する人物や国や出来事を直接的に語ることをせずに、比喩を用いて語るという手法は、聞く者にとっては奥歯に衣を着せたように聞こえるはずです。もっと分かるようにはっきりと話してくれれば・・と思いますが、耳を開いてその意味するところを聞こうとしなければ分からない仕掛けになっているのです。イエスがたとえで語った神の国もいわば隠されているのです。
  • すでに、15章では「役に立たないぶどうの木のたとえ話」、16章の「捨て子のたとえ話」、17章の「大鷲のたとえ話」が語られ、そして19章の「子獅子とぶどうの木の枝のたとえ話」と続いています。しかもこれは、イスラエルの指導者たちのための「哀歌」とされています。

1. 第一の哀歌(1~9節)

  • 第一の哀歌はすでに起こった出来事を内容としています。ここには「二つの子獅子のたとえ」があります。以下はそれぞれの比喩とその意味のリストです。

画像の説明

  • 子獅子のうちの一頭である「エホヤハズ」はヨシヤ王の三男。父ヨシヤ王が戦死したBC.609年、イスラエルの指導者たちはエホヤハズを擁立しましたが、エジプトの王パロ・ネコは彼を捕えてリブナに幽閉し、代わりにエジプトの傀儡王としてエホヤキムを立てます。エホヤハズはやがてはエジプトに連行されて、そこで生涯を閉じました。
  • 子獅子のうちの他の一頭は「エホヤキン」です。エホヤキムの死後に即位しますが、わずか三か月でネブカデネザルによってバビロンに連行され捕囚の身となります。バビロンでは後に優遇措置を受けますが、二度とエルサレムに戻ることはありませんでした。

2. 第二の哀歌(10~14節)

  • 第二の哀歌は「ぶどうの木のたとえ」によって歌われました。

画像の説明

  • 第二の哀歌はこれから起こる出来事です。ぶどうの木の強い枝であるゼデキヤ王が神の審判によってバビロンに連行されます。「王の杖となる強い枝がなくなった」とは、ユダの王制がここで絶える(廃止される)ことを意味しています。ユダの王国にとってこれはまさに「哀歌」(悲しみの歌)そのものです。

2013.6.1


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