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アラムの王ベン・ハダデとイスラエルの王アハブとの戦い

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列王記の目次

21. アラムの王ベン・ハダデとイスラエルの王アハブとの戦い

【聖書箇所】 20章1節~43節

はじめに

  • 20章には、アラムの王ベン・ハダデと北イスラエルの王との戦いが記されています。ベン・ハダデの軍勢はおびただしい数でイスラエルの首都サマリヤに上って来て、そこを包囲し攻めたとあります。しかしこの戦いにおいて、主が介入します。その目的は、以下のように、預言者の一人とひとりの神の人がそれぞれアハブに対して語ったことばの中にあります。

(1) 列王記上 20章13節

ちょうどそのころ、ひとりの預言者がイスラエルの王アハブに近づいて言った。「【主】はこう仰せられる。『あなたはこのおびただしい大軍をみな見たか。見よ。わたしは、きょう、これをあなたの手に引き渡す。あなたは、わたしこそ【主】であることを知ろう。』」

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(2) 列王記上 20章28節

ときに、ひとりの神の人が近づいて来て、イスラエルの王に言った。「【主】はこう仰せられる。『アラムが、主は山の神であって、低地の神でない、と言っているので、わたしはこのおびただしい大軍を全部あなたの手に渡す。それによって、あなたがたは、わたしこそ【主】であることを知るであろう。』」

  • 20章は大きく三つの部分に分かれます。最も重要なのは(3)の部分です。そこには「偶像礼拝」がどういうことか、その本質を見せられます。
    (1) 01節~25節 ベン・ハダデの最初の攻撃
    (2) 26節~34節 ベン・ハダデの再攻撃
    (3) 35節~43節 アハブの死の預言


1. ベン・ハダデと「契約を結んだ」アハブ

  • アラムの王ベン・ハダデがサマリヤを包囲し、攻めたことが記されています。それはおびただしい軍勢で、北イスラエルの王アハブはベン・ハダデの要求をそのまま呑むより致し方ありませんでした。強気に出たベン・ハダデはさらなる要求を突き付けましたとき、ひとりの預言者が主から遣わされ、「このおびたたじい大軍をあなたの手に引き渡す。あにたは、わたしこそ、主であることを知る」とアハブに語りました。この預言通り、アハブはアラムを打って、大損害を与えました。
  • しかし、翌年、再び、ガリラヤ湖の東附近にあるアフェクで戦いのために互いに対峙します。その時にも、あるひとりの神の人がアハブのもとに遣わされて言います。「わたしはこのおびただしい大軍を全部あなたの手に渡す。それによって、あなたがたは、わたしこそ【主】であることを知るであろう。」と。実際、そのようになりました。ベン・ハダデは降伏しますが、アハブはなんと彼を殺すことなく、寛大に処置しただけでなく、契約を結んで、彼を去らせたのでした。このアハブの処置は主のみこころを損ねたのです。

2. 預言のことばに「不機嫌になり、激しく怒った」アハブ

  • 20章の最後にあるアハブについての記述は、アハブがどういう者であるかをよく表しています。
  • ある教会に通っているひとりの女性が結婚のことで相談したいということで、その教会の牧師と話をすることになりました。それからその彼女は教会に来ることがなくなりました。事の真相は、彼女は自分の結婚のことで、牧師に自分の結婚についての考えに同意してほしかっただけでした。ですから、それが受け入れられなかったとき、彼女はその教会を去ったのです。この問題の根底には、「偶像礼拝むというものがどういうことかを如実に表しています。つまり、形のなっている偶像を拝むことが偶像礼拝なのではなく、あくまでも、自分中心な思いや生き方そのものが偶像礼拝なのです。自分の思いや考えが受け入れられないことで、アハズのように「不機嫌になり、激しく怒る」という気持ちや行為を取るとき、それは立派な偶像礼拝なのです。偶像の本質はどこまでも「自分のため」であり、その目的のために神も利用されるのです。
  • アハブとの戦いは主の戦いであり、そこにおける勝利はどこまでも神自身のものでした。したがって、敵の所有しているものはすべて主のものです。にもかかわらず、アハブはベン・アダムを殺すことでそのいのちを主にささげることをせずに、自分の将来の利益を考えて彼と契約を結びました。主が「わたしが聖絶しようとした者をあなたが逃がした」というのは正しいのです。
  • かつて、イスラエルの初代の王サウルは、アマレクとの戦いにおいて聖絶せよと主から言われましたが、サウル王はアマレクの王アガクを生かし、また、価値あると思われるものを残しておきました。そのことは預言者サムエルによって非難されたばかりが、主はサウルを王位から退かせられました。
  • アハブのベン・アダデに対する処置は、人間的に考えるならば、一見心優しい処置と言えます。しかしそこには、何が自分にとって益となるがか常に計算されているのです。それが偶像礼拝という罪です。この罪の代償は死であり、彼のみならず、やがてし北イスラエル全体の罪として神のさばきをもたらすことになるのです。
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  • ちなみに、「不機嫌になって、激しく怒る」ことを、ヘブル語では「サル、ヴェザーエーフ」と言います。自己中心的態度を表す表現と言えます。「不機嫌な」という意味の形容詞「サル」סַרの動詞「サーラル」סָרַרは、「頑固になる、反逆する」という意味です。

2012.10.13


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