****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

アッシリヤの脅威に屈しなかったヒゼキヤ

文字サイズ:

列王記の目次

40. アッシリアの脅威に屈しなかったヒゼキヤ

【聖書箇所】 18章1節~19章37節

はじめに

  • ユダの王ヒゼキヤ王の治世はまさに動乱の時代です。北の強国アッシリアの脅威にさらされ、北イスラエル王国の首都サマリヤは陥落します。そしてアッシリアはユダのエルサレムをも包囲しました。風前の灯と思われましたが、主の使いは18万5千人ものアッシリア軍勢を一晩のうちに壊滅させたのです。

画像の説明

画像の説明

(大島力監修「図解 聖書」129頁より引用)

1. ヒゼキヤの宗教(礼拝)改革

  • ヒゼキヤが25歳にしてユダの王として即位したとき、彼がまず取り組んだことは、「彼はすべて父祖ダビデが行ったとおりに、主の目にかなうことを行なった」(列王記下18:3)とあるように、父アハズによって閉鎖されていた主の宮の扉を開き、ダビデ時代に制定された礼拝を回復しよう立ち上がりました。そのような改革をおこなうことができたのは、ひとえに、イザヤという優れた預言者がいたからでした。父アハズはイザヤの忠告を無視し、アッシリヤに援助を求めました。確かに、父アハブの政策のゆえに、ユダはアッシリヤから救われたかのように見えました。しかしそのために払った代償は神殿の宝物蔵をカラにしてしまうだけでなく、アッシリヤの礼拝のスタイルを持ち込まざるを得ないことになってしまいました。当然ながら、祭司たちやレビ人たちはリストラされました。しかし、偶像礼拝によって閉じられた神殿が、再びヒゼキヤによって開かれたのです。彼は徹底した宗教改革を断行しました。ダビデ以来、だれもが出来なかった「高きところを取り除いた」だけでなく、全イスラエルに呼びかけて、悔い改めの実としての「過越の祭り」を行なうことを呼びかけたのです。
  • このヒゼキヤの宗教改革の霊的エネルギーが、やがてアッシリヤの脅威に屈することなく、堅く神に拠り頼む土台を作り得たのだと言えます。

2. アッシリヤの大軍に包囲されたエルサレム

  • ヒゼキヤの第四年には、アッシリヤのシャルマヌエセルがサマリヤを包囲し、その三年後にはサルゴン2世によってサマリヤは陥落し、人々はアッシリアに捕囚となって連れて行かれました。聖書はこの出来事の原因を次のように記しています。

「これは、彼らが彼らの神、主の御声に聞き従わず、その契約を破り、主のしもべモーセが命じたすべてのことに聞き従わず、これを行なわなかったからである。」(18:12)

  • ヒゼキヤ14年目には、アッシリヤの王セナケリブが南ユダ王国に攻め入り、ユダのすべての城壁のある町々を攻め、そこを占拠しました。この脅威に驚いたヒゼキヤはなんとしてもエルサレムを守るために、敵の王が求めるどんな要求も呑む代わりに、ここ(エルサレム)から引き上げてほしいと頼みます。実際、ヒゼキヤは求められるままに、金銀を渡しました。
  • 再び(701年)に、アッシリヤの王セナケリブがエルサレムに大軍を送りエルサレムを包囲します。まさに国家存亡の危機を迎えます。しかしこの時ばかりは、ヒゼキヤは敵に対して徹底抗戦を決意します。
  • 敵は包囲した後、すぐに攻めることはせずに心理作戦に出ます。つまり、ユダの民に対して、ヒゼキヤ王に対する不信感を煽り、あざけり。ののしり、脅迫します。この心理作戦は王と民の信頼関係を内から崩すことにありました。しかし、王と民のその信頼のきずなは敵が想定する以上のものであったのです。危機に対する対応の根底にこの関係が築かれていたことが重要なのです。

3. 危機管理に対するヒゼキヤの対応

(1) 敵の脅しに対して

  • 敵の心理作戦に対するヒゼキヤの対応としては、民たちを集めて次のように言いました。
    「強くあれ、雄々しくあれ。恐れてはならない。・・大いなる方が私たちとともにおられるから、・・・その方は私たちを助け、私たちの戦いを戦ってくださる」と励ましたのです。これによって民たちは「奮い立った」とあります。「奮い立った」と言っても城を出て行って戦うということではありません。神を信頼して、むしろ「静かにしている」ことなのです。これは預言者イザヤが常に強調したメッセージでした。

(2) 水の問題

画像の説明
  • 列王記には記されていませんが、歴代誌を見ると、敵の包囲に対してヒゼキヤが取った行動はきわめて現実的なものでした。それは第一に水の問題でした。エルサレムは山の上にある要塞都市ですが、包囲されれば間違いなく陥落するのは時間の問題です。敵もそのように読んだに違いありません。ところが、敵の気づかないところに「ギホンの泉」という水源がありました。ヒゼキヤはそこから直結する岩盤を掘ったトンネル(全長533m)をひそかに造っていたのです。

(3) 勝利の秘訣としての祈り

  • 現実的な対応だけでなく、ヒゼキヤは勝利の最後の秘策をもっていました。それは主に祈ることです。彼はどのように祈ったのでしょうか。その祈りとは、「あなたが主であることを示してください」でした。そしてその祈りは神に聞かれました。奇蹟が起きたのです。「その夜、主の使いが出て行って、アッシリヤの陣営で、18万5千人を打ち殺し」(列王記下19:35)、全滅させたのです。
  • アッシリヤの王セナケリブは帰還を余儀なくされました。そして彼は自分の二人の息子によって剣で打ち殺されました。アッシリヤは神の民を矯正し、さばくために神によって用いられたに過ぎません。しかし、アッシリヤの王は自ら高ぶったために自滅したのです。

2012.12.4


a:10296 t:1 y:5

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional