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わたしは全能の神である

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56. わたしは全能の神である  わたしの前を歩み 

【聖書箇所】 創世記17章1節後半

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【読み】
ー エル・シャッイ ヒットハッーフ レファーナイ ヴェフイェー ターーム

【文法】
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【翻訳】

【新改訳改訂3】
「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」
【口語訳】
「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。」
【新共同訳】
「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。」
【岩波訳】
「わたしはエル・シャッダイ。わが前を歩み、完全であれ。」
【NKJV】
“I am Almighty God; walk before Me and be blameless.”

【瞑想】

16章では、アブラムとサライが軽率な人間的画策によって神の約束を実現させようとして、サライの女奴隷ハガルをとおして自分たちの子どもをつくろうとしました。その結果、イシュマエルが生まれますが、13年という期間にわたって神は彼らに顕現されることもなく、語られることもありませんでした。彼らは神不在の経験を余儀なくされました。そして13年目に、つまりアブラムが99歳、サライが89歳のときになって、神は再び彼らに現われたのでした。その最初の語りかけはこうです。

「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」

約束の更新において、神ご自身は自ら「わたしは全能の神である」と宣言します。「全能」の訳された「シャッダイ」(שַׁדַּי)は、「乳房」という意味の「シャド」(שַׁד)から派生しています。生まれた子どもにとって母親の乳房には栄養や免疫など、生きるために必要なすべてが含まれています。幼児が乳房を通して栄養が与えられなければ死んでしまいます。神がアブラハムに対して自らを「全能の神」として啓示されたことは重要です。「力ある乳房」が保障された幼子はたくましく生きていくことができるように。神はアブラハムに対してもそうような必要に応えることのできる神として現わされました。

約束されたカナンの地を、神は「乳と蜜の流れる地」と言われましたが、そこが「乳の流れる地」というのは、神の民のすべての必要が保障されている地だからです。

その神にふさわしく生きるべきアブラムに対する要求は、「神の前を歩み、全き者であれ」というものでした。ここでの「全き者」(「ターミーム」תָמִים)は、道徳的に完全な者であれということではなく、神とのかかわりにおける完全さ、すなわち、神を信頼することにおいて完全であれ、という神の要求です。この要求の背景にはアブラムの失敗の経験があります。神のアブラムに対する目的は「わたしがあなたを多くの国民の父とする」ことでした。その目的の実現のための要求が、「わたしの前を歩み、全き者であれ」でした。つまり、アブラムが妻サライの提案を受け入れたときには、神の要求する意味では「神の御前を歩ん」ではいなかったということです。

ここでの「(わたしの前を)歩み」とは、「ハーラフ」הָלַךְの強意形のヒットパエル態であり、より主体的、自覚的、自発的に「歩く、歩き回る」という意味です。

アブラハムの召命の記事にも「彼らはカナンの地に行く(הָלַךְ)ために、ウルから一緒に出かけた」とあります(11:31)。12:1にも神はアブラムに「あなたは父の家を出て(הָלַךְ)」と語られ、父の家から離れるよう語られました。そして彼は主が告げられたとおりに「出かけ」(הָלַךְ)、ハランから「出た」(הָלַךְ)のです。そしてカナンの地へ赴き、南のネゲブの方へ「旅を続けた」(הָלַךְ)のです。そして飢饉のためにエジプトへ逃れました。しかしエジプトのパロは彼らをエジプトから追い出したために、「旅を続け」(הָלַךְ)て、かつて祭壇を築いた場所にまで、戻っています。このように、アブラハムの召命は「漂白」と密接にかかわっています。つまり、歩き回っているのです。一つのところにとどまることなく、常に漂白の旅を続けているのです。それは後のイスラエルの民の姿でもあり、やがてはイエス・キリストにある者たちが天の都を目指して旅している姿にも重なります。

1. アブラハムの生涯に見る「ハーラフ」という動詞

(1) アブラハム以前の「ハーラフ」の系譜
「ハーラフ」という動詞は、旧約においては1549回も使われていますが、その最初に登場するのが創世記のエデンの園においてです。そこでは神ご自身が「そよ風の吹くころ、彼ら(アダムとエバ)は園を歩き回られる神である主の声を聞いた」(3:8)とあります。神が園を歩き回られる(הָלַךְ)のは、人との交わりを求めておられるからです。単に、散歩していたわけではありません。神と人とが交わりを持つ場所こそエデンの園だったからです。

創世記5:22と24では、エノクが「神とともに歩んだ(הָלַךְ)」とあり、6:9ではノアがやはり「神とともに歩んだ(הָלַךְ)」と記されています。これは二人だけの特筆すべき記述です。

(2) アブラハムの生涯における「ハーラフ」
アブラムがウルから呼び出されて、親族、ならびに父の家を出て(הָלַךְ)カナンまで導かれました。また13章では、甥のロトからも離れた後に、神は「立って、その地を歩き回りなさい(הָלַךְ)。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」と仰せられました。

そして16章の信仰の失敗があり、13年間の沈黙の後に、「あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」と語られています。しかも、ここでの「歩み」という要求はヘブル語の強意形ヒットパエル態(再帰態)が使われています。これは自ら、主体的に、自覚的に、自発的に歩むことを意味しています。ところが、この神の前を歩み、神とのかかわりにおいて完全な信頼をもって生きるということはそう簡単なことではありません。人間がもっている常識の枠を超えることを要求されるからです。

そこから改名の秘密が次第に明らかになりつつあります。つまり、「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ」ということばをいつも自覚して生きるようにするために、主は改名を命じられました。この改名の意味を悟ったアブラハムは神の命じられるままに、そのしるしとしての「割礼」を受けたのです。これは神の約束に自覚的に生きることのしるしとなるべきものでした。

そのような経験をしたアブラハムは22章で彼の信仰の生涯において最大の試練を受けます。22章で、再び、神である主はアブラハムに現われ、「ひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい(הָלַךְ)。」と言われ、彼は従います。息子のイサクもいけにえを持たずに行こうとする父と一緒に歩き続けた(הָלַךְ)とあります。なにかしら不穏な空気が立ちこめる中、父は息子を連れ(הָלַךְ)、息子のイサクは父と一緒に歩き続けた(הָלַךְ)のです。興味深いことに、アブラハムの生涯においていつも「ハーラフ」という言葉が結びついていますが、それもここまでです。なぜなら、信仰の旅路はここにおいて究極に至ったからです。

2. 「ハーラフ」(הָלַךְ)は神と人とのすべての歩みを表わす統括用語

このように、「ハーラフ」(הָלַךְ)は、信仰によって、神とともに歩き回る生き方を意味しています。これがアブラハムの生涯の目的であり、信仰の民の父であることの所以です。神の民イスラエルの歴史を鑑みるならば、エジプトから荒野へ、そして約束の地からバビロンの地へ、またそこから約束の地への帰還、そしてまたそこから世界中に散っていく離散の歴史を経験しながら、今や、イスラエルの国が建国されて、世界中のユダヤ人たちが祖国に戻っている現実があります。彼らは漂白の民であり、その不安定さと苦しみによって、信仰の民として練り上げられていったと言えます。

「アブラハム」という改名は、それまでの「アブラム」に一字「ハ」が入るだけ(ヘブル語では「ヘイ」הという一字が入るだけ)に過ぎませんが、救済史的な視点からすればきわめて重要な一字なのです。サライも実は、「ヨード」י が抜け落ちて、その代わりに「へイ」ה が付きます。

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名前の改名において、アブラムもサライも「へイ」ה という一字が付けられたのは何故か。ひとつの仮説ですが、「ה」は「ハーラフ」הָלַךְの頭文字だということです。

halakh

「アブラム」が「アブラハム」へ、「サライ」から「サラ」へ。一つの文字「へイ」ה が入ることで、アブラハムとサラから始まる信仰の民のあるべき生き方と生きる道を絶えず意識して生きることを神は求められたのではないかと思います。それは人間的な視点から見るならば苦しみを伴いますが、彼らと彼らに続くイスラエルの民はその苦しみをとおして、天にある確固とした希望を見出す民となったのです。神を信頼することによる救いの希望は、漂白の旅の苦しみの中で培われていったのです。


2013.4.11


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