****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

わたしは、知っている(1)

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22. わたしは、知っている(1)

【聖書箇所】 2章2~3節

【新改訳改訂第3版】
2 わたしは、あなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。
3 あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。

【新共同訳】
2 わたしは、あなたの行いと労苦と忍耐を知っており、また、あなたが悪者どもに我慢できず、自ら使徒と称して実はそうでない者どもを調べ、彼らのうそを見抜いたことも知っている。
3 あなたはよく忍耐して、わたしの名のために我慢し、疲れ果てることがなかった。


ベレーシート

  • 黙示録2章2~3節は、一つの主要動詞「わたしは知っています」しかありません。栄光の主ご自身がエペソの教会について知っている賞賛すべきことが記されています。次節の4節の内容が叱責であることを考えと、主はまず賞賛を語り、その後で叱責するという順序をもっていることが分かります。このことは大いに学ぶべきことです。
  • 他の教会にはない、エペソの教会に対する賞賛すべきこととは何か。それは以下の事柄です。

偽使徒を見抜いたこと

  • エペソの教会が賞賛されていることは、偽使徒を見抜いたことです。偽使徒が何を教えたのか、具体的なことは何も記されていません。
  • 使徒パウロはその生涯において、三度の伝道旅行をしていますが、他のどの地よりも多く過ごしたのがエペソでした。それはおそらく宣教の戦略的重要性によるものであったと考えられます。事実、そこでは多くのユダヤ人と異邦人が回心しています(使徒19:10)。そしてアジアにおける有力な教会を設立しました。それがエペソ教会です。エルサレム、アンテオケに続く重要な教会でした。その教会が直面した難題は、偽使徒たちの出現でした。使徒ではないのに、使徒と自称する人々の仮面をはぐための戦いは、予想を越えた苦しみをもたらしたようです。いわば今日のカリスマ的指導者に対する戦いを予想させます。
  • 使徒ペテロや使徒パウロといった初代教会の指導者たちは、真に教会に仕える人でした。彼らは強制とか支配とか金銭欲とは無縁の人でした。しかし、偽使徒と呼ばれる者たちは、今日の「カリスマ的指導者たち」のように、聖書とかけ離れた教えや行動で人々を魅了したと考えられます。人々をマインドコントロールし、教会をカルト化させます。
  • 使徒パウロがエペソの長老たちに語った訣別説教の中で、「私が出発したあと、凶暴な狼があなたがたの中にはいり込んで来て、群れを荒し回ることを、私は知っています。あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。」とう警告的預言をしました(使徒20章29~30節)。この預言どおりのことがエペソの教会を襲ったと考えられます。しかし、エペソの教会はキリストの使徒と自称する者たちをためし、彼らが偽ものであることを見抜き、彼らを斥けたことが賞賛されています。その賞賛の内容は以下の通りです。

    (1) 「忍耐」のゆえに
    「忍耐」と訳された原語は「ピュポモネー」(ύπομονη)です。これは「不動の持久力」、「堅忍不抜」を意味します。つまり、苦痛・困難・損失を受け留めて、これを恵みと栄光に変化させる勇気です。

    (2) 「労苦」のゆえに
    「労苦」と訳された原語は「コポス」(κόπος)です。それは「まさに力尽きて倒れんとするばかりの働き、全身全霊の力を消費し尽くすばかりの働き」を意味します。


2013.12.25


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