****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

わたしの名のために(レマアン・シェミー)

文字サイズ:

20. わたしの名のために(レマアン・シェミー)

【聖書箇所】 20章1節~44節

ベレーシート 

  • この章には背信のイスラエルの歴史が描かれています。ここにはイスラエルの民がエジプトにおいて、荒野において、カナンにおいて、そして現在において、以下のようなパターンが繰り返されています(5〜44節)。

(1) 主のイスラエルに対する恵みの行為
(2) それに対するイスラエルの背反
(3) 背反に対する主の怒り
(4) 主の怒りを思いとどめた理由(真意)


1. わたしの名のために

レマアン シェミー.JPG
  • 20章では4回使われています。9, 14, 22, 44節。背反の罪を犯すイスラエルの民に対して、主は憤りを彼らの上に注ぎ、その怒りを全うしようと思うのですが、主はそれを思いとどめられます。その理由は、諸国の民の目の前で、主ご自身の名を汚すことになると考えられたからです。ここで言う「わたしの名を汚す」とは「侮られる」ことです。つまり、主の民に対する選びも、導きも、信頼もいい加減なものだと思われることです。そうならないために、主はご自身の名のために、あるいは、主の名にかけて、背反を繰り返すイスラエルの民に対して救いの手を差し伸べるということなのです。
  • 「わたしの名のために」という思想は、イザヤ書48章9節にも言及されていますが、実は、エゼキエル書の特愛フレーズなのです。エゼキエル20章以外の箇所としては、36章20~23節にその思想があります。
    「わたしが、あなたがたの悪い行ないや、腐敗したわざによってでなく、ただわたしの名のために、あなたがたをあしらうとき、イスラエルの家よ、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。」(20:44)とあります。これは神の一方的な恩寵を暗示しています。

2. わたしの聖なることを示す

  • 39節以降には、主ご自身がイスラエルの民をその背反の罪のゆえに捨てることをせず、彼らを造り変えることにおいて、ご自身の名の聖なることを示すことを約束しています。

    【新改訳改訂第3版】エゼキエル20章39~41節

    39・・・後にはきっと、あなたがたはわたしに聞くようになる。あなたがたは二度と自分たちのささげ物や偶像で、わたしの聖なる名を汚さなくなる。
    40 わたしの聖なる山、イスラエルの高い山の上で、──神である主の御告げ──その所で、この地にいるイスラエルの全家はみな、わたしに仕えるからだ。その所で、わたしは彼らを喜んで受け入れ、その所で、あなたがたのすべての聖なる物とともに、あなたがたの奉納物と最上のささげ物を求める。
    41 わたしがあなたがたを国々の民の中から連れ出し、その散らされている国々からあなたがたを集めるとき、わたしは、あなたがたをなだめのかおりとして喜んで受け入れる。わたしは、諸国の民が見ている前で、あなたがたのうちに、わたしの聖なることを示す

  • やがて後の時代には、イスラエルの全家が二度と主の聖なる名を汚さなくなるように神がなさるのです。その点こそ主と偶像の異なるところなのです。

2013.6.4


a:3084 t:4 y:1

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional