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ごろつきの大将がギルアデの大将となったエフタ

士師記の目次

9. ごろつきの大将がギルアデの大将となったエフタ

【聖書箇所】 10章1節~11章40節

はじめに

  • 士師記に登場する士師たちは、出生においても、召しの方法も、戦い方においてもそれぞれ実にユニークです。10章には3人の士師の名が登場しますが、特に注目すべき士師は「エフタ」です。
  • これまでの流れと少し異なる点があります。それは、これまで主に対して背教したイスラエル人に対して、主は矯正的な意味で民を敵の手に渡されました。その苦しみが限界に達した時、民は「主に叫び求める」ことで、ひとりの救助者(士師)を遣わして、その苦境から解放させるという循環のパターンでした。そのパターンそのものはなんら変わっていませんが、民か苦しみのゆえに主に叫び求める際に、単なる叫び求めではなく、主に対する悔い改めとその実を結んだことが記されています。この点がこれまでとは異なった点です。
  • しかも、悔い改めのことばを一度は主は拒絶します。しかし民がその悔い改めの実を結び、主に仕えた姿を見てから彼らをあわれみ敵と戦う士師を、ギデオンのように主からの直接的な召しではなく、民のかしらを通して間接的に召すという形を取っています。

1. ごろつきの大将であったエフタ

  • ギルアデ人(ギルアデ人とは、ヨルダン東側のギルアデ地域に住む人々という意味。父親の名前も同じくギルアデでした。)のエフタは遊女の子であったとあります。その出生のゆえに父の家ではのけ者的存在とされ、正妻の子どもたちによって家から追い出されています。しかしエフタは「勇士であった」(11:1)とあるように、ある種のカリスマ性をもっており、彼のもとにはごろつき(関根訳、岩波訳では「ならず者」)が集まってきて共に生活していたようです。いわばエフタはごろつきの大将となっていたのです。
  • アモン人とイスラエルとの戦いのためにそれぞれが陣を構えたとき、その戦いの指揮を取るにふさわしい人物がイスラエルにはおりませんでした。そこでギルアデに住む民のかしらたちは、その苦肉の策として、エフタに白羽の矢を立てたのでした。
  • 民のかしらたちはエフタに対して「来て、私たちの首領となってください。」と嘆願しています。「首領」と訳されたことばは「カーツィーン」קָצִיןで、「指揮官」(岩波訳)、「大将」(関根訳)とも訳されます。交渉の結果、11:8で「首領」から「頭」(ローシュרֹאשׁ)に転じていますが、11:11では「頭」と「首領」の両方を兼ね備える者となっています。すなわち、戦時の時にも平和なときにも「首領」と呼ばれることになった人物は、士師と呼ばれる者のうち、エフタただ一人です。

2. 誓願を立てたエフタ

  • エフタが、敵との戦いにおいて誓願を立てたという点においても、士師たちの中で彼だけでした。「誓願を立てる」ということは神と特別な取引をするとことです。つまり、自分の願いを聞き届けてくださった時に、あることをする、あるささげものをする、あるいはあることをしない(物断ち)ことを約束することです。誓願を立てることは、義務ではなく、全く個人の自由意志ですが、誓願を立てるにははっきりと口に出さなければ有効とはされませんでした。しかも、ひとたび誓願した場合には、それを破ることはできず、必ず約束したことを果たさなければなりませんでした。それゆえ誓願は軽々しくすべきことではありませんでした。ある意味では、いのちがけの神との取引きだったのです。
  • 誓願を立てた例としては、エルカナの妻ハンナがそうです。彼女には子どもがなく、もう一つのエルカナの妻ぺニンナとの確執でつらい日々を送っていました。毎年恒例の礼拝のためにシロに上った際に、ハンナは誓願を立てます。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はこの子の一生を主におささげします。」(1サムエル1:11)と。ハンナの祈りは主に聞かれて、一人の男の子が生まれます。彼女はこの子の生涯を約束通り主にささげたのです。この子の名はサムエル。やがてイスラエルの王制の舵取りをする人(最後の士師であり、預言者)となります。
  • エフタも同様に誓願を立てました。「もしあなたが確かにアモン人を私の手に与えてくださるなら、私がアモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る、その者を主のものといたします。私はその者を全焼のいけにえとしてささげます。」(11:30~31)と。ところが、彼の家の戸口から最初に出て来たのは彼の一人娘でした。
  • エフタの一人娘を主にささげたゆえに、彼女は結婚することもできず、また彼の子孫を残すことができませんでした。それはエフタにとっても、エフタの娘にとっても大きな悲しみとなりました。果たして、エフタはアモン人との戦いにおいて誓願すべきことであったのかどうか、考えさせられます。士師記において、敵との戦いの前には、主がはっきりと「あなたの手に敵を渡した」という約束がありましたが、エフタの場合にはそのような約束がなかったためにに、エフタとしては勝利の確信がどうしても必要だったのかもしれません。視点を換えるなら、イスラエルの勝利のためにエフタの「ひとり子」が犠牲になったと言えます。これはやがて現されるイエス・キリストの贖いを予表している点で重要です

3. 教訓的な事柄

  • エフタという人物を見る上でいくつかの教訓的な事柄があります。そのひとつは、エフタがアモン人との交渉において見られるように、彼は300年前に起こった歴史的な出来事を知っていたということです。当時は聖書はなく、歴史的な出来事は口伝によって伝えられていました。エフタはいったいだれからそのことを教えられていたのでしょうか。彼は自分の父の家から追い出されたましたが、神がなされたみわざ、自分たちを導かれた神のストーリーは聞かされて育ったのです。
  • もうひとつの教訓的な事柄は、エフタとそのひとり娘は、モーセの律法において「誓願を立てる」ことの意味とその重さを知るだけでなく、それに従ったということです。そうした背景に神のトーラーの生きた教育がなされていたという事実があったということです。親も子も神のトーラーに聞き従い、それを次の世代に継承しようとする課題です。これは主にある者に課せられた今日的課題と言えます。

2012.4.25


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