ある詩篇の前後にある詩篇との関連性を探ってみる
(18) ある詩篇の前後にある詩篇との関連性を探る
- あるひとつの詩篇を瞑想するとき、その詩篇の前後にある詩篇との何らかの関係性を発見することは実にエキサイティングなことです。詩篇全体が五つに区分されていることは、おそらくモーセの五書と無関係ではありません。ある学者はいみじくも「モーセの律法は神から語りかけられた五書であるとすれば、詩篇は民が神に語りかけた五書である」と述べています。それぞれの巻にある数多くの詩篇がどのような意図で配列されているのか、全く無秩序に配列されているとは思えません。聖書に霊感を与え、記者をして書かせたお方が聖霊なる神であられるならば、神は秩序の神ですから、その配列やコンテキスト(文脈)の中にも何らかの意図やメッセージが隠されているかもしれません。そのすべてを知ることは到底できないとしても、どこかにそれを発見するとき、私たちの心はエキサイトします。「つながりの喜び」と言えるものです。
- 人間の出会いもまさに神秘そのものです。決して単なる偶然ではなく、さまざまな出来事のつながりが見えない糸で結ばれています。そのことを知ったとき私たちは驚きを感じます。詩篇の瞑想の旅の中で、詩篇と詩篇の前後の配列の中に、何らかの関係性を発見することはその旅をさらにおもしろくしてくれると信じます。