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あなたが自分で買い戻しなさい

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92. あなたが自分で買い戻しなさい

【聖書箇所】 ルツ記4章8節

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【読み】
ヴァーメル ハッーエール レヴォーアズ ケー ーフ  ヴァイシューフ ナア

【文法】
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【翻訳】

【新改訳改訂3】
それで、この買い戻しの権利のある親類の人はボアズに、「あなたがお買いなさい」と言って、自分のはきものを脱いだ。
【口語訳】
そこで親戚の人がボアズにむかい「あなたが自分であがないなさい」と言って、そのくつを脱いだので、
【新共同訳】
その親戚の人は、「どうぞあなたがその人をお引き取りください」とボアズに言って、履物を脱いだ。
【岩波訳】
そこで、かの贖い手はボアズに、「どうぞ、お買い取りください。」と言って、自分の履物を脱いだ。
【樋口訳】
そこで、そのあがない人はボアズに「あなたが自分でそれをあがないなさい。」と言った。それで彼はそのくつを脱いだ。
【NKJV】
Therefore the close relative said to Boaz, "Buy it for yourself . " So he took off his sandal.
【NIV】
So the kinsman-redeemer said to Boaz, "Buy it yourself." And he removed his sandal.

【瞑想】

ルツ記4章8節のフレーズでは、「ゴーエール」の元になっている「ガーアル」(גָּאַל)という動詞に注目してみたいと思います。「ガーアル」はルツ記のキーワードです。「ゴーエール」(גֹּאֵל)というのは「ガーラル」の分詞形で、冠詞付で名詞として扱われます。「贖う者、近親者として義務を果たす者、買い戻しの権利を持つ親近者、親戚」という意味です。これが神に使われると「贖い主」となります。名詞の「ゲウッラー」(גְּאֻלָּה) は旧約に14回、ルツ記では2回(4:6, 7)使われていますが、その意味は「買い戻す権利」です。

ルツ記に登場する「買い戻しの権利を持つ者」(ゴーエール)という存在の背景には、イスラエルにおける土地についての独特な思想があります。土地の売買について日本とは全く異なる考え方をしていることを理解しておく必要があります。イスラエルの土地の真の所有者は神であり、すべての土地の所有権は神にのみ属しているということ。人間に与えられているのは土地の「使用権」にすぎません。もし、人が貧しさのためにその土地を手放さなければならなくなった場合であっても、50年毎に巡ってくる「ヨベルの年」には、無償で元の「使用権」を持っている者に戻されなければならない規定が律法によって定められていました(レビ27:24)。したがって使用権の売買についてもヨベルまでに残っている年数によってその価値が決まるのです。したがって、厳密には土地の使用権を売ってしまうのではなく、土地の「収穫の回数」に応じた分だけを売ることになります。

エリメレクの家族が飢饉のために、土地の「収穫の回数」に応じた分を買い取ってもらい、それを新しい土地での生活の資金としたことは十分考えられます。しかし今、エリメレクは死に、その使用権は妻のナオミが受け継いでいます。ナオミが買い取ってもらった土地(当然以前よりは少ない額になります)の使用権を、再び、買い戻さなければ自分の土地として使用することができません。そのためにイスラエルの律法では最も近い親戚がそれを買い戻すことの権利を有していました。その「買い戻す権利を有している者」(ゴーエール)には、以下の三つの義務がありました。

(1) もしある親戚が生活に困り果てて、そのために身売りして奴隷になったり、土地の使用権を処分しなければならなくなったりした場合、ゴーエールとなる人は、その能力に応じて、兄弟とその関係者、ならびに兄弟の土地を買い戻さなければならない。
(2) ゴーエールとなる人は、自分の兄弟が殺された場合、その報復者とならなければならない。
(3) ゴーエールとなる者は、兄弟が子孫を残さずに死んでしまった場合、遺された妻をめとり、その妻が産んだ初めの男の子に死んだ兄弟の名前を継がせて、その名がイスラエルから消し去られないようにしなければならない。

以上でもわかるように、ゴーエールにとっての責任は大きい割には、自分にとって得するようなものは何もありません。買い戻した土地から収穫できるものはすべて自分の所有とはならないからです。また残された妻を娶って子どもを得たとしても、それは死んだ夫の子孫ということになってしまうのです。また土地の権利も娶った家族の所有となるのです。ゴーエールはへたをすれば自分の財産も失いかねないほどだったのです。ですから、ゴーエールは兄弟や親戚に対する愛なしには、あるいは神に従うという愛がなければとても履行できるものではなかったのです。このようなゴーエールとしての割の合わない責任をボアズはナオミとルツのために引き受けようとしているのです。

落ちぶれた人間を徹底的に買い戻す(贖う)ことはリスクが余りに大きいのです。それゆえ、ボアズのルツに対する愛がなければ買い戻すということはあり得ません。しかし、ボアズは自分の損得を考えずに、利害を無視して、エリメレクの財産を買い戻し、合わせてルツとナオミの生涯までも責任を負うことを公の前で告白したのである。しかも、法的に正式な手続きがなされたことが重要です。その正当な手続きとして、買い戻しの権利を優先的にもっていた親戚の人が自分の履物を脱いで、ボアズに渡したことです。これば自分に与えられている権利を一切放棄するということを表わします。モーセも神からの召命を受けたとき、「あたなの足のくつを脱げ」(出エジプト3:5)と言われましたが、同じことを意味しています。

ナオミとルツにとって、ボアズはまさに神が備えてくださったゴーエール(親戚)でした。ナオミの巧みな計らいがあったとしても、そもそも異邦人である彼女を偏見を抱くことなく、真実な愛をもって妻として迎え入れてくれるボアズと「はからずも」出会ったことが、彼女たちの生涯が祝福されることになった要因でした。しかしその背後には、だれも知ることのできないさらに神の深い秘密が隠されていたのです。

2013.5.17


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