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「天の女王」崇拝への審判

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10. 「天の女王」崇拝への審判

【聖書箇所】 7章1節~34節

ベレーシート

  • 預言者が語るメッセージは常に、人間の迷信的、幻想的信仰を打破して、真の神への信仰へと導くものであることを念頭に置く必要があります。私たち人間のレベルではなく、神の基準レベルで真理を語っているからです。ですから、そのようなメッセージを聞いても当初は何が問題となっているのか、真の問題点が何なのかよく分からないことが多いのです。エレミヤの時代の民たちもそのようであったようです。しかしそれは今日の私たちの問題でもあるのです。

1. エルサレムとその神殿の崩壊を告げるエレミヤ

  • エレミヤ書7章には、主の家の門に立って、礼拝するためにその門から入る人々に向かって語ります。

    【新改訳改訂第3版】エレミヤ書7章3~4節

    3 イスラエルの神、万軍の【主】は、こう仰せられる。あなたがたの行いと、わざとを改めよ。そうすれば、わたしは、あなたがたをこの所に住ませよう。
    4 あなたがたは、『これは【主】の宮、【主】の宮、【主】の宮だ』と言っている偽りのことばを信頼してはならない。

  • ここには「改めよ」という命令があります。5節にも同じことばがあり、二度繰り返されています。原語は「ヤータヴ」יָטַבで、「正しくせよ、正しく行え」ということです。主はエレミヤを通して、「わたしがあなたがたに絶えず、しきりに語りかけたのに、あなたがたは聞こうとも・・しなかった」と糾弾しています。つまり、神がしきりに、繰り返し語っているにもかかわらず、神の民は一向に耳を傾けず、行ないを正そうとはしないのです。それゆえ、主はかつてシロにしたと同じように(シロはかつて主の幕屋があった場所、そこがペリシテ人たちによって破壊された出来事を意味しています)、エルサレムの神殿とその地を滅亡させると宣告しています。
  • イスラエルの民にとって神殿は聖域です。かつてアッシリヤ軍がエルサレムを包囲した時も決して破壊されることはありませんでした。それゆえ、エルサレム神殿は決して崩壊などしないという楽観的信仰がありました。そのような信仰と神学に対して、「『これは主の宮、主の宮、主の宮だ』と言っている偽りのことばを信用してはならない。」(7:4)と語ったエレミヤ自身が、かえって偽預言者呼ばわりされ、孤独を強いられたことは言うまでもありません。

2. 「天の女王」への崇拝

天の女王.PNG
  • ここではじめて出くわす存在が登場します。それは「天の女王」ということばです。「メレヘト ハッシャーマイム」です。エレミヤ44章にも3度(17,18,25節)出てきます。この存在は私たちが注意しなければならない霊的存在です。なぜなら、神はエレミヤに対して、この「天の女王」を拝む者たちのために決してとりなして祈ってはならないと言っているからです。18節に「子どもたちはたきぎを集め、父たちは火をたき、女たちは麦粉をこねて『天の女王』のための供えのパン菓子を作り、わたしの怒りを引き起こすために、ほかの神々に注ぎのぶどう酒を注いでいる。」とあるように、家族総出でこの「天の女王」を礼拝しているからです。
アルテミス.PNG
  • 「天の女王」と「異教の神々」には密接な関係があります。その関係とは「天の女王」が「異教の神々」の元締め的存在だということです。「天の女王」に対する真の知識をもたずに、神の民であるイスラエルはそれを拝んでいるということなのです。それがどんなに神を怒らせているかも知らずに、です。かつてモーセがシナイ山に神の律法を受け取って戻るまでの間に、待ちきれなくなった民たちは、自分たちをエジプトから救い出してくださった神を礼拝するために「金の子牛」を造って拝みました。そのことによって3,000人の人がさばかれましたが、彼らはおそらくなぜ神が怒ったのか理解できずにいたのです。というのは、まだ神に対する真の知識、神の律法を知らなかったからです。
  • 「天の女王」に対する真の知識をもたずに、イスラエルの民はカナンの地に住み、知らずのうちにカナンの宗教の影響を受けていたのです。後に、エルサレムがバビロンによって破壊され、多くの者たちが捕囚の民となってバビロンへ連行されましたが、なかにはエジプトへと逃れた者たちもいました。エレミヤも彼らと一緒にエジプトへ行ったようです。彼らはエジプトの地でも、自分たちがこうした結果になったのは、ヨシヤ王の改革運動のせいで、自分たちが「天の女王」にいけにえをささげなかったからだと考えていました(エレミヤ44:18)。
  • しみのように消えることのない罪、抜きがたいとげ、それが偶像礼拝の持つ力です。その背後に存在する霊的な力であり、人間の力で勝つことはできません。それには神のトーラー(みことば)と聖霊の力(特に、知恵の霊)が必要なのです。
  • 聖書はこの「天の女王」についての正体について多くは語っていません。地域ごとにいろいろな名前で呼ばれています。カナンでは「アシュタロテ」、ローマでは「ヴィーナス」、シリアでは「イスター」、日本では「天照大神」、エペソでは「アルテミス」・・といった具合です。
  • エレミヤ書44章19節では、「女王にかたどった備えのパン菓子」という表現があります。バビロンでは「天の女王」は金星として崇拝されましたから、おそらくパンは金星にちなんで星の形をしたものであったろうと言われています。「天の女王」の背景にはサタンが存在していることは言うまでもありませんが、異教的な風習の中に、あまりにも自然な形でその影響を与えているのです。
  • たとえば、キリスト教の三大祭りの一つである「クリスマス」の中にもその支配が働いています。なんと多くの異教的なものが入り込んできていたとしても、それを知らずにクリスマスをしているようなものです。キリストの誕生とクリスマスツリー、リース、ケーキなどは本来的には全く関係ないものです。にもかかわらず、そうしたことに無感覚にさせてしまうのが「宗教の霊」の力です。それが今回、エレミヤ書で登場している「天の女王」の存在です。神の民が「天の女王」を崇拝しながら、同時に「主」を礼拝しに神殿(主の宮)に来ていたことに対して、神が怒られるのは当然のことです。なぜなら、聖書の神は純粋な愛を求められる神だからです。

3. ユダの犯した最も悪質な行為である小児犠牲

  • 7章30節~8章3節において、ユダが犯した罪の中で最も悪質な行為である「小児犠牲(生贄)」が指摘されています。それゆえに、主の恐るべきさばきが臨むのです。生贄をささげるのは、権力者(王)がそれによって特別な富と力を神から与えられると信じられていたからです。古代の世界(あるいは近世・現代においても)ではそうした信仰のゆえに生贄は当然のことだったようです。また、生贄はだれが権力をもっているかを人々に示す示威行為であったのです。

【新改訳改訂第3版】エレミヤ 7章29節
『あなたの長い髪を切り捨て、裸の丘の上で哀歌を唱えよ。
【主】は、この世代の者を、激しく怒って、退け、捨てたからだ。』

  • 「裸の丘」(禿山)とはエレミヤ書に多く使われています(3:2, 21/4:11/7:29/12:12/14:6)。それはバアルの祭儀が行われた場所を指しています。性的な乱れのあった場所、つまりイスラエルの恥を示す場所という意味で用いられます。7:29ではその「裸の丘で哀歌を唱えよ」とあります。
  • 「長い髪」と訳されたヘブル語は「ネーゼルנֵזֶרで、聖別、冠、記章を意味します。特に、記章は大祭司がのかぶり物に着つけられる「聖別の記章」で、それには金の札がついていて、「主の聖なるもの」という文字が刻まれていました(出29:6/39:30/レビ8:9)。また、この語はナジル人のにも用いられていて、聖別のしるしとして髪の毛を伸ばしておかなければなりませんでした(民6章)。さらには、この語は「王の冠」の意味にも用いられています。シオンの娘(イスラエル)長い髪の毛は、処女として主にささげられた聖別のしるしです。それゆえそれを切るということは、単に悲しみの表現にとどまるだけでなく、聖別された者がその資格を失ったことを表す恥のしるしなのです(「新聖書註解」いのちのことば社、旧約4、エレミヤ7:29の注解参照)。
  • イスラエルがなにゆえに聖別された者としての栄光を失ったかといえば、神殿の偶像設置とベン・ヒノムの谷にあるトフェテの高き所で行われた小児犠牲(幼児犠牲)のゆえです。脚注「付記」参照。「これは、わたしが命じたことでもなく、思いつきもしなかったことだ」(エレミヤ7:31)とあるように、「幼児犠牲」は主の強い嫌悪感の対象でした。この主の嫌悪感は何に根差すものなのでしょうか。今日の人道主義的感覚ではなかなか理解できません。おそらく堕落した人間の宗教的本質に深く根差した事柄と言えます。幼児犠牲は人間の側からなされる神に対する献身的行為であり、最大の犠牲的行為と言えます。それによって神の愛顧と祝福を勝ち取ろうとする行為なのです。それゆえに、主はこれに対して強い嫌悪感を示しているのです。
  • そこは「虐殺の谷」と呼ばれる(7:32)。つまり、子どもを犠牲とした場所は、イスラエルの民がその敵によって虐殺される場所となるという意味です。しかもその死体は葬られることなく、空の鳥、地の獣の餌食となるという恐るべき災いが預言されています。

【付記】用語説明 (岩波訳の補注ー用語解説より)

「ベン・ヒノムの谷」
エルサレム西南部を取り巻く、水のない涸れ谷。この谷には子どもをモレクに献げて火渡りさせたり、焼き殺したりした。トフェテという聖所が置かれていた(エレミヤ7:31~34/19:6/32:35)。元来名誉ある名であったらしいが(エレ7:32)、エレミヤ書の呪詛の詞(エレ7:32~34、なおイザヤ30:33/66:24も併用)のため、ユダヤ教ではその名はゲヘナ(地獄)に通じ、最後的な処罰の場所とされる。

「トフェテ」
ベン・ヒノムの谷に設けられた聖所の名。そこでバアル(エレミヤ19:5)ないしヤーウェ(エレ7:31)のために、小児犠牲が献げられた。この人身御供はアハズ王以来見られたが(王下16:3/歴代下28:3)、ヨシヤ王によって根絶された(王下23:10)。


2013.1.29


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