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「エジプトのハレル詩篇」の神学

エジプト・ハレル詩篇(詩篇113~118篇)

「エジプト・ハレル詩篇」の神学

  • 「エジプト・ハレル詩篇」はどのような意図をもって編纂されたのだろうか。そこにある神学はなにか。仮説としてテーマをPs113:3の「だれが、われわれの神、主のようであろうか」ーその卓越性、あいるは無比性としたいと思います。ちなみに「卓越性」を英語では「エクセレンス」(excellence)です。

    画像の説明


Ps113における卓越性

神が自らを低くされて、弱い者、貧しい者を高く引きあげて、高い座に着かせられる(主の家に住まわせる)という点において、他に比べるべきものはありません。

Ps114における卓越性

神の民の救いと導きにおいて現される神の(自然界を巻き込んだ)奇蹟的介入において、他に比べるべきものはありません。

Ps115における卓越性

神はその望むところをことごとく行われるという全能性において、他に比べるべきものはありません。特に、この神の全能性は偶像の無能性との対比において強調されています。

Ps116における卓越性

神がことごとく良くしてくださるという神の善において、他と比べるべきものはありません。「良くしてくれる」と訳されたヘブル語は「ガーマル」(גָּמַל)で、神への信仰、信頼に対して「報い」「乳離れさせ」「すべてのことを成し遂げ」、アロンの杖に「芽をふかせる」奇蹟で、「豊かにあしらわれ」ます。この恩寵のすべてを味わうことのできた方は御子イエスのみでした。

Ps117における卓越性

主の恵み(ヘセド)と真実(エメット)はいつの時代においても、誰に対しても、圧倒させるほどに大きい(「ガーヴァル」(גָּבַר)ということにおいて、他と比べるべきものはありません。恵みと真実(まこと)は、御子イエス・キリストにおいて現わされます。この方を知ることが永遠のいのちを持つことなのです。

Ps118における卓越性

詩篇118篇はメシア詩篇です。「家を建てる者たちの捨てた(脚注)石。それが礎の石になった」(22節)とあるように、神の「家」を建てるべく選ばれたイスラエルの民たちが捨てた石とは、神が遣わされた御子イエス・キリストを預言しています。しかし、神はその「捨てられた石」を家を建てる上でなくてはならない要(かなめ)の石とされたということにおいて、神の卓越性がたたえられています。「これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである」とする復活による逆転のみわざ。この点において、他に比べるべきものはないのです。


脚注

●ここでの「石」は単数の「エヴェン」(אֱבֶן)で、御子イェシュアのことを指し示しています。「捨てた」と訳されたヘブル語は「マーアス」(מָאַס)で、きわめて辛辣な意味をもった語彙です。単に「捨てた」という意味ではこの動詞のもつ意味を正しく伝えていません。「マーアス」(מָאַס)は、忌み嫌う、吐き気を催すほどに嫌で嫌でたまらないものとして扱う、断固として拒絶する、軽蔑することを意味します。ところが、そのような「石」を、神はご自身の家を建てる「要(かなめ)の石」とされたのです。人間の目にはとても不可解なことであり、不思議な出来事なのです。イエスの復活はまさにその不可解な出来事なのです。

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